第八幕 ③

 洋司とキスしてしまったら、二股だ。

 付き合う、と言う言葉こそなかったけど、未来と侑歩は二人だけで会い、キスをしている。洋司とは夫婦だったけれど、夫婦と呼べるような関係ではなかった。

 キスをしたのは一度だけ。それも、触れるか触れないかの、フレンチキス。

 だから、洋司に対して後ろめたさはあったけれど、二股をしている、という気持ちはなかった。結婚はしているけれど、未来が好きなのは侑歩だ、と思っていた。

 侑歩は未来が生まれて初めて、本当の意味で恋した人だ。洋司のことは好きだったが、小学生が抱く淡い初恋のようなものだった。

 彼が未来と結婚したのは、未来に安定した家族関係を与えるためだ。洋司自身もそう言っていた。

 養護施設の子供は、十八になったら独立しなければならない。結婚すれば、一生安定した家族関係を未来に与えることができる、と。

 昔、学生だった洋司がいつも言っていた。

 施設の子どもは成人もしていないのに追い出される。それは、国の失策だ、と。

「僕と父さんの夢は、そういう子供達を集めて、生活の基盤を作れるような場所を作ることなんだ。寮、とかそういう自立支援の場所。父さんが大学を退職したら、そのお金を元手に、一緒にNPOを立ち上げようと考えている。ミクちゃんが大きくなるまでに、間に合うといいなぁ」

 彼はそう言って優しい笑顔を未来に向けた。

 洋司は勉強を教えるだけでなく、子供達の悩みをよく聞いてくれた。優しくて、何でも知っていて、未来の憧れだった「洋にい」。突然来なくなった時は、すごく悲しくて、毎晩泣いた。後で、時々園にも来ていた、お父さんの澤村先生が亡くなったからだと知った。

 その彼に再会したのは、未来が高校一年の時。

 道端で声を掛けられ、近況を聞かれ後、連絡先を交換した。それから、時々会うようになり、未来は進路の悩みや将来のことなどを洋司に相談するようになった。そして、洋司は未来に告げたのだ。「結婚をしないか、僕がミクちゃんの保護者になるから」と。

 その時の未来は、まるでシンデレラになった気分だった。王子様がやってきて、未来を苦しい状況から救ってくれる。優しくて、大好きだった洋にいと結婚して、将来への不安から解放される。

 洋司は言葉通り、未来と結婚した。アシタバ園の園長先生に許可をもらって、未来が十六歳になった時に婚姻届を出した。未来は高校を退学し、二人のことを容認してくれる、今の高校に入り直した。そして、二年、何事もなく洋司と暮らしてきた。

「十八になったら、奥さんにしていい?」

 未来にキスをして、洋司はそう言った。洋司にとって、未来は単なる妹のような存在ではなかった、と言うことだ。

 未来は枕を顔に押しつけ泣いた。

 施設の子供は大人に振り回され、性の間で揺れる子が多い。そういうことを間近で見ていた洋司は、未来を想って、未来が十八歳になるまで待っていたのだろう。そんな洋司の気持ちにも気づけなかった。洋司が本当に保護者として、未来と結婚したのだと思っていた。

 子供だった、と思う。侑歩と恋をするまで、自分はなんて子供だったのだろう。

 新しい高校で同じクラスになった高遠侑歩には、アイドルに抱くような憧れを抱いていたに過ぎない。なのに、彼に見つめられ、その瞳に捉えられてしまった。

 自分がしているのは、二股だ。洋司への想いと、侑歩への恋心に板挟みになり、未来はどうしていいか分からず、ただただ泣くしかなかった。


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