第七幕 ①
「ただいま」
そう言って、澤村洋司は未来のいるリビングに入ってきた。
2LDKのマンションの一室。そこで、未来は彼と暮らしている。
「おかえりなさい」
舞台衣装を作る手を止めて、未来は努めて明るく言った。
うん、と頷いて、洋司はリビングの隅にある自分の机の横に鞄を置く。
「何かある?」
「え、食べる?」
うん、と頷いて、洋司は未来のそばにあるソファに腰を下ろした。
「ええと、パスタと鯛のカルパッチョ、作ってあるよ。あと、ビールでも飲む?」
「カルパッチョとビールだけでいいや」
未来は立ち上がって、洋司の夕食を準備し始める。冷蔵庫からできあがったカルパッチョを取り出し、ビールとコップを用意した。それを洋司が座っているソファの前のテーブルに置く。
「未来は?」
「食べたよ?」
そう言って、テーブルから少し離れた場所に座り、未来は作業を再開した。
「それ、ずっと作ってるけど、何?」
「演劇部のコに頼まれて、衣装作っているの。結構、楽しいよ」
ふうんと、ビールのプルトップに手を掛けて、ビールを開ける。プシ、と言う音がして、ぷうんとアルコールの匂いがリビングに漂った。
洋司はコップに入れず、そのまま飲み始める。
「未来は昔から手先が器用だったものね」
うん、と未来は頷いた。
洋司と未来は、未来が小学校四年生の頃に出会っている。未来がいた「アシタバ園」という児童養護施設に学習ボランティアに来ていた学生の一人だった。
未来は、洋にい、と呼んで、彼にとても懐いていた。社会福祉学科に通っていた洋司は、卒業したらアシタバ園の職員になる、と未来に言っていた。
けれど、未来が六年生になり、もうすぐ中学生という時、洋司の父親が死んだ。彼は残された家族のために、税理士の資格を取って普通に就職したのだ。
(あれ以来、一度も会ったことはなかったのに)
未来はカルパッチョを食べている洋司にそっと視線を向ける。
未来が高校一年の春、偶然二人は再会し、洋司は彼女の保護者になる、と申し出た。あれから三年、未来はこうして洋司と暮らしている。洋司との暮らしは、何も不自由はなかった。進学もしたいならしていい、と言われている。
けれど、恋愛は、してはいけない気がした。洋司に養われている自分は、他の男の人を好きになってはいけないと思った。
侑歩とキスした後ろめたさに、未来は押し潰されそうになる。洋司を裏切っているようで、居たたまれなくなる。
「洋ちゃん、おいしい?」
「うん、未来が作るのは何でもおいしいよ」
優しい洋ちゃん──この人が何を自分に望んでいるのかが分からない。彼には家族がいる。それなのに、何故結婚という形を取ってまで、自分と家族になることを選んだのか。
「ねぇ、なんで、私と家族になったの?」
つい、口に出してしまった。
洋司が驚いたように、未来を見る。
「なんで、そんなこと、訊くの?」
洋司は、手にしていたビールをテーブルに置いて立ち上がり、未来に近付いた。そっと、彼女を抱きすくめる。
「僕は、未来に幸せになってほしいんだ。未来には大人に振り回されたりしない、不安のない世界で生きてほしい。それだけが、今の僕にできることだから」
(高遠君)
未来は洋司に抱きすくめられながら、侑歩のことを想う。
不安のない未来、そこには、未来の自由な恋愛はあるのだろうか。
未来に好きな人ができたら、洋司はどうするのだろう。洋司は保護者として、それを認めてくれるだろうか。
──夫なのに?
未来は洋司の背中に手を回し、気付かれないように、そっと溜息をついた。
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