鳥の行方
結佳
鳥の行方
ずっとウサギの欲しかった輝明くんに、お父さんが連れ帰って来たのは、怪我をした小鳥でした。
【鳥の行方】
ずっと、輝明君は可愛らしく飛び跳ねるうさぎが欲しかったのです。
けれど、その日。お父さんがお前に良いものを連れ帰ってきたと、期待を煽っておいて懐から取り出したのは、怪我をした、小さな灰色の小鳥でした。
輝明君は、飛ぶ鳥じゃあなくて、飛び跳ねるうさぎが欲しかったのだと。長い耳を可愛く垂れて、鼻をひくひく動かしているうさぎが欲しかったのだと。お父さんに文句を言いましたが、お父さんはこう言ったのでした。
「まずはこの小鳥を飼いならせたなら、うさぎを飼ってやることにしよう」
なので、輝明君は小鳥の怪我を、一生懸命治してやることにしました。
まずは小鳥が心地いいように、お母さんからもらった木箱に柔らかな布を敷いて、巣を作ってやりました。そうして、小鳥の怪我がよくなるように、栄養たっぷりの餌をお小遣いで買って与えてやったのです。
最初はおびえて小さくなっていた小鳥も、甲斐甲斐しく自分の世話を焼いてくれる輝明くんに心を許したようで、次第にその手に乗せられた餌を食べられるようになりました。
そうして、怪我はまだ治りきっていないながらも、綺麗な歌声を響かせるようになったのです。その小鳥の声を聞いたお父さんは、満足そうに輝明君の頭を撫でたのでした。
お父さんは、念のため獣医さんに小鳥の様子を見てもらっていました。小鳥の怪我はすっかりよくなって、じき飛べるようにもなるだろう。そう言われた事を、お父さんが誇りに思っているからです。
小鳥にかまけている間、輝明君はうさぎが欲しいということを忘れていました。一日一日、良くなっている小鳥の傍にいるのが楽しかったのです。
柔らかな寝床に寝かされていた小鳥は、或る日素敵な籠の中に移されました。
鳥がいつその中で自由に飛ぶ練習をしても良いようにと、輝明君が考えたのです。輝明君がお母さんのお手伝いをしたお金で買ってきた、本当に素敵な籠でした。
輝明君と小鳥は、すっかり仲良しになりました。
学校から帰ってくると、まず先に小鳥に今日の出来事を話して聞かせてやっていました。自分を撫でる輝明君の手を、気持よさそうに受け止めている小鳥の姿を、お母さんも何度か目にしていました。
小鳥はそのまま、輝明君の良き友となるかと思われました。自由に飛びまわれる小鳥と、それに戯れる輝明君の姿が見られるようになるのではないか、と思われました。
けれど、その生活は或る日唐突に。ひっくり返すように終わりを告げたのでした。
輝明君の友達が、輝明君がずっとうさぎを欲しがっていると知っていた、とても心の優しい友達が。遠方の親せきからうさぎをもらってきたのです。
親切なその友達は、輝明君がずっとうさぎを欲しがっているのを知っていました。なので、輝明君を喜ばせてあげたいと思って、うさぎをくれたのでした。
友達は、輝明君が小鳥を飼っているのも知っていました。けれども、お父さんがうさぎを買ってきてくれない、と悲しそうにしていたのも知っていたのでした。
輝明君の事だから、きっと小鳥もうさぎも可愛がってくれるだろう。心の優しい友達には、そう考えたのです。
ずっと欲しかったうさぎ。それも、まるきり理想通りの、可愛らしい白毛のむくむくしたうさぎです。
輝明君は、一目で、うさぎに夢中になりました。
その次の日には、小鳥に与えていた温かな毛布でうさぎの寝床を作ってやりました。そのまた次の日には、小鳥の餌を飼っていたお金で、うさぎのおやつを買ってきました。
甲斐甲斐しくうさぎの世話を焼く輝明君をみて、お父さんは言いました。
「うさぎの世話をするのはいいが、小鳥の具合はどうなんだい」
今までは聞こえていた、小鳥の歌が聞こえなくなってきた事が気になったのです。
「小鳥はすっかり良くなってるよ。籠の中で大人しくしているよ」
お父さんの顔も見ないで、うさぎの毛並みを撫でながら輝明君は言いました。
本当は、うさぎにすっかり夢中になっていたので、鳥の様子を見に行くこともしてはいませんでした。
そのくらい、真っ白なうさぎは輝明君の理想にぴったりの、本当に素晴らしいうさぎだったのです。
放っておかれた小鳥は、餌をもらえないことをじっと耐えていました。
鳥の他の世話はお母さんも手伝ってくれていたのですが、餌だけは輝明君が自分でやるんだと約束していたのです。なので、お母さんは小鳥が輝明君から餌を貰えているものと思っていました。
小鳥はずっと、輝明君が思いだして空っぽの餌箱に美味しい餌を入れてくれると信じていたのです。
声を振り絞って歌ってみせた時もありました。籠をつついて、輝明君がこちらを見てくれるのを待ったこともありました。
けれど、いつまでたっても輝明君が小鳥に美味しい餌をくれる様子はありませんでした。何故なら、輝明君はうさぎの世話で忙しかったからです。
すっかり、小鳥は歌が歌えなくなっていました。それすら、輝明君は知りませんでした。だって、輝明君の一番の友達は、白いうさぎなのですから。
このままでは、自分の食べるものが得られないと、小鳥は或る日気が付きました。この籠の中にいては、いずれ飢えて死んでしまうと。
なので小鳥は。餌を得られない事にすっかり慣れてしまったその小鳥は。
お母さんが籠を開けて巣の中の掃除をしてくれたそのとき、籠の戸が開いたその瞬間に。一度だって出た事の無い、外の世界へ飛び出したのでした。
そうです。小鳥は、輝明君がうさぎにかまけている間に、上手に飛べるようになっていたのです。
輝明君が見てくれるやも。そんな気持ちはあったのでしょうか。孤独に練習をしていた小鳥を、家族の誰もが知りませんでした。
換気のために開けられていた窓すらも通り抜けて、その先の大空へ、小鳥は飛んでゆきました。お母さんは慌てて手を伸ばします。が、その手は小鳥ではなく、もはや立派な鳥に成長していたその体に届くことはありませんでした。
うさぎにかまけていた輝明君です。小鳥が逃げだしてしまったことに、お父さんから大変なお叱りを受けました。
「どうしてちゃんと世話をしてやらなかったんだい」
「ちゃんとしてやっていたよ。逃げてしまったのは、お母さんが鳥の籠を開けてしまったからだよ」
お父さんに責められて、それが悔しくて腹立たしくて、輝明君は小鳥が逃げたのはお母さんのせいだと言いました。お母さんは小鳥が勝手に逃げてしまったのだと、小鳥のせいだと言いました。
「そうだよ、小鳥が悪いんだ。僕があんなに良くしてやったのに」
輝明君は、悔しそうに地団駄を踏みました。素敵な寝床や、籠を与えてやったのに。あれだけ可愛がってやったのに。怪我に良いように、良い餌も与えてやったのに。
そう言う輝明君の腕の中には、艶の良い毛皮を持った、丸々太った白いうさぎが、鼻をひくひく言わせて居ました。
或る日、聞いた事のないくらい素敵な鳥の鳴き声が聞こえたと、輝明君は庭に出ました。
見上げたその木の上で歌っていたのは、あの日の小鳥でした。灰色の羽毛から綺麗な群青色の羽毛に生え換わったその鳥が、とても綺麗な声で歌っていたのです。
丸々肥えた兎を抱えて、輝明君は怒鳴りつけました。
勝手に逃げるなんて、お前はどうしようもないやつだ。
あれだけ可愛がっていたのに、お前なんて外の世界で生きているはずがない。
もし生きていけないからと泣いて帰って来ても、家になんか入れてやらない。
そうやって鳴いてられるのも僕がちゃんと世話をしてやったからなのに、この恩知らず。
恩知らず!
輝明君にそう乱暴な言葉を投げつけられた鳥は、翼を広げて木から飛び立ちました。けれど、輝明君は鳥を追って走ることはしません。何故なら、うさぎが重くて抱えているのに精一杯だったのですから。
あの日、輝明君が小鳥をそのまま可愛がっていたら、今頃その歌声は輝明君の肩の上で聞こえたでしょうか。あの日、輝明君が小鳥に美味しい餌をやることをやめなければ、人懐こい手乗りの鳥になっていたのでしょうか。
籠の中に居た鳥は、そのまま籠の中で可愛がられて生きてゆくのと、大空に解き放たれて生きてゆくのと、果たしてどちらが幸せだったのでしょう。
それは、大空に翼を広げた鳥にも、輝明君にも誰にも、判らないことでした。
ただ一つ、判ることと言えば。
恐らくこの鳥の向かう行方は、恐らく鳥にとって新しい人生の始まりである。ただ、それだけなのでした。
鳥の行方 結佳 @yuka0515
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