【農家の坊の話】

重たそうな鉛色の空から、雨が降り始めたのは。坊が畑の土おこしを終えて、間もなくのことでした。


農耕機を倉に押し込めて、雨に当たらずに済んだと坊が一息ついた、その時にです。抑え切れなくなってきたように、それは激しく降り始めたのでした。


つなぎの上をくつろげながら、鼻は土臭さといっぱいの雨の湿り気を吸い込みます。顎から滴る汗は、まるで軒先から垂れる雨だれのようでした。


起こされた土の上に、雨は次から次へ落ちて来ます。そうしてそれらを、大地はごくごくと飲みこんで行くのでした。


(今日は一日雨なんだろうな)


南の森から、東の街の方まで、すっぽりとぶあつそうな灰色の空の布団が広がっています。耳を覆うように聞こえるのは、雨が大地に溶ける音、雨が屋根を叩く音だけです。

きっともう、今日は屋内作業に精を出すしかないのでしょう。この前収穫した芋の選定作業も、晴れの日の暇に任せてやるしかなかったので、まだまだ手つかずです。こんな時、独り身ではいささかの寂しさが心に触れてくるのです。


ふと、坊は昔の事を思い出しました。それは坊がまだほんの小さくて、くわもすきも持てなかった頃の事。

まだ、大好きだった村のおばあが生きていた、ほんとうに小さな頃の事です。


「坊。雨ばっかみてねえで、ばあと芋喰うべ」


村のおばあは、坊の良い遊び相手でした。厳密にいえば、坊の父方の曾祖母にあたる人です。が、その時は少し離れた都会に住んでいた坊には、村のおばあ、としか判っちゃいなかったのです。

何かの折にふれ、田舎に遊びに行く事がありました。そんな時は、忙しくしている大人の代わりに、決まっておばあが坊の相手をしてくれていたのでした。


「おばあ、こんなに雨が降ってるよ」


向うじゃあ、こんなに降らないよ。と、縁側に座って庭先を眺めていた坊に、よっこいせ、とおばあも隣に腰を下ろしました。

本当は都会でだって同じくらい降る日はありました。けれども、坊のおうちは窓も小さくて少ないものでしたから、雨も空も遠かったのです。

おばあは抱えてきた蒸したての、ほかほか湯気を立てている芋を坊にやって、しわくちゃの顔をにんまりさせました。

笑うともっとしわくちゃになってしまうので、小さなおばあの目は、皺だかなんだか判らなくなってしまうのでした。


「そうかい。坊はこんなに見んのは初めてかい」


芋は温かいうちに食べなくてはいけないと知っている坊です。おはしに突き刺された、ほこほこ湯気を立てている芋に、はふりとかぶりつきました。

とても熱いものですから、金魚みたいに口をパクパクさせて、舌の上で芋の塊を転がします。熱すぎたせいで、坊の口からは汽車の煙突みたいに白いものがほっ、ほっと出ました。


「おばあ」

「うん?」

「どうして雨が降るの?」


隣に座るおばあも、坊と同じように熱い芋を食べているはずです。だのに、おばあの口は湯気を履くどころか、重たそうにぴったりとじて、ねりねりと動いているだけです。

うん、と大きく喉を動かして、おばあは細く目を開けました。自分よりほんの少しだけ高いおばあの目が、何を見ているのか、坊もちらりとそちらの方を見ました。

けれどそこには、ただただ真っ広で、平らな剥き出しの農地に、空から大雨が落ち続けて白く煙るだけです。

おばあが黙ってしまうと、ざあざあ言う音だけが聞こえていました。


「坊、水飲むべ」

「うん、飲むよ」

「土だってな、おんなしなんだ」


ほっくり、おばあが芋を噛みます。


「水飲まねえと、乾いちまうべよ。毎日、天気続きじゃあ、からっからになっちまうっしょや。だからな、空の神さんが水飲ませてやんだわ」


坊も、芋を齧ります。幾分か冷めたいもは、丁度いい温かさです。この芋は去年、目の前の農地に獲れたものです。納屋にしまって少しずつ食べているものでした。

まだそれを知らない坊に、おばあは食べかけの芋を大切なものをお供えするみたいに、両手で空に掲げました。


「この芋はな、この土でできたんだわ」

「そうなの?」

「んだ。坊が母ちゃんの腹から産まれたみてえに、この芋も、土の母ちゃんから生まれたんだ」

「ふうん」

「空の父ちゃんが母ちゃんの具合良いように、晴れたり雨降らしたりしてんのよ」

「じゃあ、こんなに雨が降っても大丈夫だね」


坊の言葉に、おばあはその頭をくしゃくしゃ撫でてやりました。


「ただなあ、父ちゃんなあ。加減が判んねえから、たまに降らしすぎんだわ。こりゃあちょっとやりすぎだべな」


その時の坊には、小さすぎておばあの言う事が半分も判っていなかったのですけれども。


あれからたくさんの季節と天を見てきた坊には、おばあの言っていた意味が判るようになりました。晴れの日だけでも、雨に降られてばかりでも、農作物はうまくいかないのです。


(今日も降りすぎかもなあ。収穫時期だら、やられちまってるべや)


なんだか勢いを増しているような雨脚です。


(いくら母ちゃんの事が好きだからって、やりすぎはよくねえよ)


重い空を見上げて、坊は一歩、倉の外に出ました。すぐさま、頭のてっぺんから雨に降られます。


頭に落ちて神を伝い、顔に降るのと一緒にほっぺたをつるりと伝って顎から雨がしたたり落ちます。今度は汗でなく、つなぎが濡れました。


(明日は晴れてもらいてえなあ…)


大地と空の都合など、坊に口出しできるものなどではないのですけれども。おこし立ての土に寝かせてやらねばならない子らが、倉庫の中でまどろんでいるのですから。



森の中で小ぐまは晴れの夢を見ていました。

街では子供が明日の公園で何をして遊ぼうかと考えています。

村の青年はのんびりと、休憩を取ることにしました。


ある、雨の日のお話でした。

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雨の日の話 結佳 @yuka0515

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