あの日の真実と聖なる警告

『決して扉を開けるな!』

 またしても悲鳴のような叫び声が聞こえてレイはブルーを振り返る。

『ねえ、さっきの子達は、どう、なったの……』

 視界が消える寸前、飛び散ったのは間違いなく血飛沫だった。それも大量の。

 何も言わないブルーのシルフを見て、レイの目に涙があふれる。

『そ、そんな……』

 震えながらも自分も戦うと言っていたあの少女達を思い出して、信じられない事実に必死になって首を振る。



『誰か、机をもっと持ってきてくれ。こっちだ!』

 また別の人物の叫びが聞こえる。若い男性が数名かかりで大きな机を運んできて扉の前に立てかけた。そのまま全員揃ってその机ごと扉を必死で押さえ始める。

 見えた光景は、豪華な装飾が施された天井の高い広くて丸い部屋の中だった。

 どうやら会議室のようで、中央部分が低くなっていてそこに演説台のようなものが置かれていた。

 そして部屋の床全体がすり鉢状の緩やかな斜めになっていた。

 斜めになった床には、中央部分から同心円状に広がるリング状に備え付けられた椅子と机が並んでいるが今は誰もそこには座っていない。

 年配の男性達や女性が何人か、中央の一番低くなった演説台の周りに集まっていて、それ以外の人達は全員が左右にある二つの大きな扉を必死になって押さえていた。

 しかし、どちらの扉も外側から何度も大きな音をたてて叩かれていて、ミシミシと嫌な音を立て始めていたのだ。



『何故だ! 何故精霊通信が届かない!』

 中央に集まっている人の中では比較的若い一人がそう叫んで頭を掻きむしる。

『私がやってみます!』

 細身の背の高い女性が、そう宣言して胸元の短剣を抜いた。

 柄には真っ赤なルビーが輝いているし、あの刃の輝きは間違い無くミスリルだ。

『シルフ、大至急ファンラーゼンの皇王様をお呼びして。緊急事態よ』

 しかし、目の前に現れた古代種と思われる大きなシルフは、彼女の言葉にも戸惑うように首を振っているだけだ。

 あちこちから絶望のため息が聞こえる。

『それなら答えてシルフ。何故皇王様を呼べない?』

 真っ青になりつつも真剣な声の彼女の質問を、周りにいる人達は食い入るようにして聞いている。


『我らには越せない結界が張られてる』

『ここアルカーシュを覆い尽くす闇の結界』

『我らには超えられない悪しき結界』


『そんな、まさか……』

 呆然とそう呟いた女性の手から、ミスリルの短剣が落ちて床に突き刺さる。

 しかし誰もそれを見ていなかった。

『閉じ込められたのか?』

 怯えたような年配の男性の呟きに答えられる人はいない。




『ああ、扉が!』

 絶望に満ちた悲鳴に、その場にいた全員が振り返る。

 その直後、巨大な扉が弾け飛び机ごと飛ばされる人達。そして雪崩れ込んでくる闇の眷属達。

 会議室が一瞬で真っ赤に染まる。

 何人かは風の盾や炎の盾を使って防ごうとしたが、多方面から同時に攻撃されてしまってはどうしようもなかった。

 真っ赤に染まった床に次々に倒れ込む人達。

 低くなった中央部分は、すでに血の池と化していた。



 それを見たレイの悲鳴は真っ暗な空間に消えてしまい、また視界が暗転する。



『巫女姫を探せ!』

『どこに隠した!』

 突然目に入ってきた、廊下にいたやや神経質そうな甲高い声で辺りに喚き散らす人物を見て、レイは息が止まりそうになるくらいに驚いた。

 その人物には見覚えがあったのだ。

 間違い無い。

 それは過去見の夢で見た、駆け落ちした父さんと母さんを軍人達と共に追い詰め、父さんを殺せと命じたあの司令官らしき人物だったのだ。



『閣下、連れて参りました』

 その時、タガルノの軍人らしき人物が、年配の神官らしき人を片手で軽々と引きずって連れて来て、あの男の前にまるで荷物のように転がした。

 その神官はおそらくはかなりの高位の神官と思われた。

 ひどく破れた血まみれの神官服は簡素な仕立てだが、そこに全面にわたって施された刺繍は見事と言う他はない。曲がって歪んでいるが、右腕には宝石の嵌った銀色の腕輪が何本もはめられていた。

 だが明らかに相当殴られていたのであろうその神官は、まさに満身創痍の状態だった。

 顔は目が開かないほどに腫れ上がり、鼻と口からは今もダラダラと血が流れ続けている。その口の中は歯が折れて血まみれだ。

 両腕は荒縄で後ろ手できつく拘束されているが、肩が外れていると思われるおかしな向きで止まっている。右足も膝下は明らかに折れているのだろう変な向きで曲がっているが、手当てされた様子は無い。

 着ている神官服は、あちこち敗れて酷い有り様だ。

『答えろ。巫女姫を何処に隠した?』

 靴の爪先で神官の顔を上げさせたその男が忌々しげにそう尋ねる。

『だれ、が、こ、た、える、か……』

 満身創痍の神官は、それでも男の問いに気丈にも逆らって見せる。

『そうか』

 短くそう言うと、いきなり男は神官の顔を力一杯蹴飛ばした。

 悲鳴も上げられずに床を転がる神官。

『殺せ』

 短く命じた男は、それっきり引きずられて行く神官にも向きもせず、無言で腕を組んで考え込む。

『まさかあのままここに戻っていないのか?』

『ならば何処へ行った?』

『どういう事だ? まさか死んだ訳はあるまい』

 また無言になる男は、周囲の騒動にも一切見向きもしない。そして闇の眷属達は何故か彼の横を素通りして行く。

 しばらくしてため息を吐いた男が右手を差し出すと、そこには真っ黒な羽虫のようなものがふわふわと飛んで来て留まった。

 あれは、テシオスとバルドが起こした降誕祭での騒動の際に、彼らの体に留まっていた黒い羽虫だ。

『やはりおらぬか。ならばもうここには用は無い。もういい、皆殺せ』

 なんの感情も籠らない声でそれだけを告げると、男はいきなり消えてしまった。

 置いて行かれた黒い羽虫は、一瞬文句を言うかのように大きく羽ばたき、そのまま何処かへ飛んで行ってしまった。



 また視界が暗転する。



 次に見えたのは、真っ暗な中を並んで自分を見つめている光の精霊達だった。

「今のって……」



 揃って頷いた光の精霊達は悲しそうにゆっくりと首を振った。


『これが暴挙の全て』

『タガルノに巣食う闇の根源が目覚めようと胎動を始めている』

『タガルノの一部の者達はそれに同調しようとしている』

『だが奴の目覚めには強力な贄を必要としている』

『そのために目を付けられたのがお母上』

『あれほどの力を持つ人の子は我らとてもついぞ見かけぬ』

『まつろわぬ民達の誰よりも強い力を持つ』

『其方の友人や想い人の軽く数十倍はあろう』

『なれどお母上は精霊王の元へ旅立たれてしまった』

『どうか気を付けられよ』

『奴が次に狙うとしたら』

『それは其方を置いて他には無い』

『古竜の主よりも強き者はこの世にはおらぬ』

『今は決して其方の伴侶である古竜の側を離れるでない』

『今は決して聖なる結界に守られたこの国から出てはならぬ』

『我らが守る』

『巫女姫様の愛し子を』

『我らが守る』

『唯一の古竜の主殿を』

『我らが守る』

『巫女姫様が愛したこの世界を』

『我らが守る』

『精霊王より託されし聖なる結界に守られたこの世界を』



 揃って厳かに宣言するかのようにそう言った光の精霊達に、レイは何か言おうとしたが果たせなかった。

 また視界が真っ暗になり、レイの意識はそこでぷっつりと途切れてしまったのだった。

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