悪夢と暴挙
『ええ、駄目だよ! 早く火を消さないと!』
突然目の前に広がった衝撃的な光景に、しかし悲鳴のようなレイの叫びは決して届かない。
『おい、あれは何だ!』
その時、側にいたブルーのシルフの焦ったように叫ぶ声が聞こえて驚く。
いつも落ち着いたブルーのあんな声は始めて聞く。
口を開こうとしたその時に目に飛び込んできたのは、父さんが着ていたのと同じ服を来た数人の男達が武器を手に戦っている光景だった。
しかし、その戦っている相手は人では無かった。
あり得ない。
だがそこにいたのは、間違いなく精霊王の物語の挿絵で見た覚えのある異形の生き物の数々だったのだ。
『ねえ、あれって……あれってガーゴイルだよね? どうして、闇の眷属がこんな所にいるの……しかも、あんなに沢山……これって、百年前の光景なんだよね?』
震えるレイの呟きが聞こえたかのように、ブルーのシルフが呻く。
『決して守りを疎かにしていた訳ではないアルカーシュが、何故あれほどまでに呆気なくタガルノの攻撃に陥落したのかずっと疑問に思っていた。そして、後に我がシルフ達にその時の様子を尋ねても、怯えるばかりで要領を得なかった訳が分かった……これは、これは許し難き暴挙だ』
初めて聞く、激しい怒りに震えるブルーの声に、レイは目を見開く。
『じゃあ、これはタガルノがやったって言うの?』
『その通りだ。まさか、ここまでとは……』
怒りに震えるブルーのシルフの言葉に、レイは言葉も無く呆然と目の前の光景に視線を戻した。
繰り広げられるその光景に、レイもブルーも一切手出しが出来ず、ただ呆然と見ている事しか出来ない。
しかも先ほどとは違って、何故か音が一切聞こえないのだ。
焼け落ちる建物の下敷きになる人々。それを必死に助けようとする人を、背後から闇の眷属が襲いかかる。
無音のそれは、これが現実にあった事だとは到底思えないくらいに、非現実的なあり得ない光景だった。
また、視界が暗転する。
場面が変わっても、やはり一方的な虐殺行為とも取れる悪夢のような光景が広がっていた。
窓を割って広い建物内部に侵入したガーゴイルをはじめとする闇の眷属達は、まるで行くべき場所が分かっているかのように広い廊下を飛んで、とある場所に殺到した。
途中に行き違った逃げ惑う人達を、まるで花でも手折るかのように一方的に殺す光景にレイは悲鳴を抑えられない。
『誰か! 誰かいないの!』
レイのその言葉が聞こえたかのように、その時父さんと同じ制服を着た一団が、抜き身の剣を手に廊下を走ってガーゴイルの群れを追いかけて行った。
彼らが手にしているのは、間違いなくミスリルの剣だ。
開かない扉の前で怒り狂って大暴れする闇の眷属達に追いついた一団は、即座に戦いを開始した。
あり得ないくらいに高く飛び上がった一人の兵士が、背中から近くにいたガーゴイルを叩き切る。
黒い煙になって消えていくガーゴイルを振り返りもせず、その兵士は次々と闇の眷属達をその剣で切り捨てていった。
別の兵士は、カマイタチやカッターの技を使って高い位置にいる闇の眷属を叩き落とす。
即座に堕ちた闇の眷属に別の兵士が襲いかかり、抵抗する間も与えず黒い霧に変えていった。
しかし、減った以上の数の闇の眷属達があちこちから集まってきて、男達は次第に追い詰められていき、気がつけば守るべき扉から大きく引き離されてしまっていた。
『何があろうとも決して開けるな!』
突然聞こえた悲鳴のような声に、レイが飛び上がる。
そこには三十人くらいの人達が集まっていて、見上げる程の大きな扉の前に机や椅子を積み上げ、全員で必死になって押さえている光景だった。
『キーゼル達が来るまで、何としても持ち堪えるんだ!』
『おうさ!』
一番大きな棚を押さえた年配の男性の声に、同じく机や椅子を押さえていた年齢はさまざまな男性達が声を揃えて返事をする。足が震えている男性もいたが、それでも全員が全身の体重をかけるようにして、必死になって机を押さえ続けていた。
『巫女達を守れ!』
己を鼓舞するためであろう神官と思われる制服を着た若い男性の声に、またあちこちから応える声が聞こえた。
部屋の中央では、母さんが着ていたような揃いの服を着た巫女達やまだ幼い子供達が、怯えるように手を取り合って一箇所に集まっていた。
年配の僧侶と思われる女性達が、若い巫女達や子供達を外側から抱き抱えるようにして守っている。
『フォルク様。私なら風の盾を作れます。衛兵達を守るためにも行かせてください!』
まだ若い巫女の一人が、震えながらも気丈にそう叫んで立ち上がる。
『わ、私も風の盾ならば出来ます。それにカマイタチとカッターも少しなら出来ます。私も行かせてください!』
続いてもう一人、さらに幼いおそらくはニーカと変わらない年齢の少女もそう言って立ち上がった。
フォルクと呼ばれた年配の神官は押さえていた机から手を離さずに振り返って首を振った。
『駄目だ。其方達は最後の砦だ。我らが守りきれなくなった時には、どうかその力でここにいる皆を守ってやってくれ。勝とうと思うな。逃げて生き延びる道を探せ』
真剣なその声に、手を取り合っていた巫女達が呻くような声を上げる。中には泣き出す子供もいた。
年配の女性が、泣き出した少女を抱きしめて頬にキスを贈る。
『聖なる星よ、聖デメティルよ。私はどうなっても構いません。どうか、どうかこの子達をお守りください』
しがみつく小さな手を撫でながら、震えるその女性は何度も何度もそう言い続けていた。
先ほどから、扉の向こうでは甲高い奇妙な鳴き声や金属同士が打ち合うような戦いの音、そして時折扉を大きく叩く振動が伝わってきていたのだが、次第に剣戟の音が小さくなりやがて静かになっていった。
『静かになったわ』
戸惑いつつ、先程の巫女が小さくそう呟いてもう一度立ち上がって扉を見る。
机や椅子を押さえていた男性達も、顔を見合わせてから、揃って何か言いたげに扉を見上げた。
しばしの沈黙の後、いきなり扉が弾け飛び闇の眷属達が部屋の中になだれ込んで来た。
勢い余って弾け飛ぶ机や椅子と一緒に、それを押さえていた男性達が弾き飛ばされて壁に当たって落ちる。
甲高い少女達の悲鳴と血飛沫がその場を埋め尽くした瞬間、また視界が暗転した。
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