レイの疑問
「ええ、ちょっと待ってください!」
ソファーの突っ伏したままそう叫んだレイは、いきなりものすごい勢いで体を起こした。
「じゃあ、じゃあその良からぬ企みでの僕のお相手は、誰の筈だったんですか? ってか、そもそもその企みの首謀者って……もしかして……ラフカ夫人?」
最後はごく小さな声の呟きだったが、そこにいた全員の耳に聞こえていた。
顔を見合わせたルークとゲルハルト公爵は、揃って無言で首を振った。
「まあそれはもういい。未遂に終わったんだからそれ以上騒ぐな」
思い切り嫌そうなルークの言葉に、ゲルハルト公爵も嫌そうに顔をしかめつつ頷いている。
首謀者がラフカ夫人だとレイが言っても誰も否定しないのを見て、レイは何となくではあるが全体の状況を察した。
要するに、これもラフカ夫人が考えた色仕掛けの一つなのだろう。それもかなりタチの悪い。
恐らくだが、そういった状況になれば、不誠実だとレイの事を散々悪く言い、もしかしたら誰かがクラウディアにも告げ口するつもりだったのかも知れないと思い至り、絶句する。
もしもそんな事態になっていて、それが彼女の耳に入ったらどうなっていただろう。
あの恋愛小説での主人公の、その後の大騒動を思い出して血の気が引いたレイだった。
迂闊にワインを飲んでいたらどんな事態を引き起こしていただろう。
ルーク達が血相を変えて駆けつけて来てくれた意味が今更ながらよく分かった。
そして、もしもまたそのような事をされたらどうしたらいいのか分からず、眉を寄せたまま困ってしまい二人を交互に見る。もしもそうなら、怖くて夜会でのワインが飲めなくなってしまう。
「レイルズ様。ルーク様が仰られたように、どうか今夜の一件はもうこれ以上無駄に掘り起こさないでやってはいただけませんか。今夜の夜会に出ていた大半の方々は、何が起こったのか知らぬままに、突然にラフカ夫人がお倒れになって驚いています。このまま、彼女の気が触れて倒れたのだという騒ぎだった事にしてやってください」
申し訳なさそうなイプリー夫人の言葉に、もっと困ってしまう。
『彼女の言う通りだよ』
『もうこんな事は起きないから』
『大丈夫だよ』
ニコスのシルフ達までが、現れて心配そうにしつつもそう言って揃って頷く。
納得出来ない部分もあるが、どうやら本当に今はこれ以上は聞かない方が良さそうだ。
「わかりました。じゃあもう聞きません」
眉を寄せつつも頷いてそう答える彼を見て、三人は揃って安堵のため息を吐くのだった。
結局、用意されたお茶には誰も手をつける事も無くその場は解散となり、イプリー夫人はゲルハルト公爵が送り届けて下さると言うので、レイはルークと一緒にそのまま本部へ戻った。
念のため確認すると、レイの竪琴はもう執事の手によって本人よりも先に本部へ届けられているらしい。
「ねえルーク、一つだけ聞いても良いですか?」
渡り廊下まで戻って来たところで、立ち止まったレイは遠慮がちにルークに質問した。
「おう、改まって何だよ。まあ答えられるかどうかは分からないけどな」
同じく立ち止まり自分を振り返ったルークに、レイは小さくため息を吐いて渡り廊下の天井を見上げた。
「ローザベルは……彼女はどこで今夜の企みを知ったのかな?」
予想通りの質問に、ルークもため息を吐く。
「彼女はラフカ夫人の親戚で、精霊魔法訓練所へ通うために夫人の屋敷に居候していたわけだ。企みを耳にする機会は十分あったんじゃないか。そもそも、彼女にシルフが話したんだと俺は思うけどな」
「ああそっか。シルフ達ならどんな内緒話の企みもお見通しだね」
小さくそう呟いて納得しかけたが、まだ何かが引っかかって考え込む。
「どうした。まだ何かあるか?」
心配そうなルークの言葉に、もう一度ため息を吐いたレイは中庭を振り返った。
今はいくつかの松明が灯されているだけで、広い中庭は真っ暗なままだ。
「ラフカ夫人が、僕の演奏が終わった後に何か叫んで倒れて大騒ぎになったんだ。あれ、なんて言ったんだろう。僕が聞こえたのは、私は悪くないって気が触れたみたいに叫んでるところだけだったんだ」
立ち止まったまま大きなため息を吐いたルークは、首を振ってレイを見た。
「言わずにおこうかと思ったけど、いずれ誰かの口から耳に入るだろうからな。面白半分に聞かせられるよりはまだましか」
小さな声でそう呟いたルークは、もう一度首を振ってレイの背中を叩いた。
「分かった。本部に戻ったら詳しく教えてやるから、とにかく一旦戻ろう」
真顔のルークにそう言われて、頷いたレイは黙ってルークの後について渡り廊下を歩き始めた。
「おかえりなさい」
本部に戻ったレイとルークを、執事達とラスティとジルが出迎えてくれる。
「はい、ただいま戻りました」
何か言いたげなラスティの腕を叩いたルークは、執事に別室を用意してくれるように頼み、レイを振り返った。
「じゃあ、いろいろ話してやるから、もうこのままおいで」
素直に頷き、執事に伴われて普段は使わない小部屋に通される。
向かい合わせのソファーと低めの机が置いてあるだけの部屋だ。黙ってソファーに座るルークを見て、レイは向かい側に座った。
執事が手早く、綺麗な氷を入れたグラスにブランデーを注ぎ、ルークのところにはそのまま、レイの前には水で薄めたブランデーを置いてくれた。
残りの氷が入ったピッチャーと、ブランデーのボトルと水差しが並べて置かれ、二人の間に小さめに切ったチーズの上に罪作りが乗せられた小皿が置かれる。
「失礼致します。御用があればお呼びください」
一礼した執事は、そう言って下がってしまった。
扉が閉まる音がしてから、ルークがグラスを手にした。レイも目の前のグラスを持つ。
「精霊王に感謝と祝福を」
乾杯の決まり文句を言ったルークは、苦笑いしてこう続けた。
「そしてお前の初めてを守ってくれたシルフ達とラピスにも乾杯だな」
同じく乾杯しようとグラスを掲げていたレイは、ルークのその言葉に唐突に真っ赤になり悲鳴を上げてグラスを取り落としかけてルークを慌てさせたのだった。
「それじゃあ、話さなかった詳しいあれやこれやを教えてやるよ。きっと言いたい事は山ほどあるだろうから、それはあとで聞いてやる。とにかく、今後の為にもしっかり聞いてくれよな」
グラスを一息に飲み干したルークは、そう言うと追加のブランデーをグラスに注いだ。
そして真顔でレイの顔を見て、ゆっくりと口を開いた。
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