企みの裏で

 時は少し遡る。

 今夜の夜会に参加する為、三人の侍女達に手伝ってもらいながら自室で身支度を整えようとしていたローザベルの所へ、とんでもない乱入者が現れたのが事の始まりだった。




「では、次はコルセットを締めますので、脱いでいただけますか」

 砂時計のような女性の体の形そのままに作られた、背中できつく締めるまるで鎧のようなコルセットを持った侍女の言葉にローザベルは頷き、別の侍女が彼女が湯上がりに羽織っていた薄手のガウンを脱がせて、控えていたもう一人の侍女に脱いだガウンを渡す。

 これでもう、彼女の上半身を守るものは何も無い。



 その時、いきなり何の前触れも無しに、それどころか部屋に入る際にノックすらせずにラフカ夫人が執事を伴って入って来たのだ。



 通常、未婚の女性であるローザベルが着替えをしている最中に、勝手に侍女以外の第三者が部屋に入って来る事は無い。

 それどころか、男性である執事を連れて入る事など決して有り得ない事だ。

 しかし、夫人は当たり前のように部屋に入ったところで大きな包みを抱えた執事を待たせ、そのまま彼女のすぐ近くまで声もかけずに近付いて来た。

 執事が入って来た事に気付いて焦った侍女の一人が、咄嗟に彼女に膝掛けを羽織らせた為、素肌を執事に見られたのは一瞬だったが、恥ずかしさに真っ赤になって俯くローザベルの近くまで来て足を止めたラフカ夫人は、そんな彼女を頭の先から爪先まで不躾に眺めて鼻で笑った。

 今の彼女が身につけているのは、上半身を隠す羽織った膝掛けの他は、下半身を守る膝上まであるふんわりとした下着と綿兎のスリッパだけだ。淑女の上半身を守る、腰の締まった硬いコルセットを今まさに身に付けようとしていたところだったのだから当然だ。

 身長は平均よりも少し大きい程度。女性らしいまろやかな線を描く彼女の身体を見てにんまりと笑ったラフカ夫人は、持っていた扇の先で俯くローザベルの顎を引っ掛けて無理矢理上を向かせた。

 怯える彼女に顔を寄せた夫人は、もう一度にんまりと笑って口を開いた。



「以前話した件、今日仕掛ける事にした。己の役割を理解しておるな?」



 氷のように冷たいその声で告げられた内容を理解したローザベルの顔が蒼白になる。

「叔母上様……本気ですか?」

「未熟で愚かで己の身分を弁えぬ無礼千万な平民に、せめてひとときの夢を見せてやろうと言うに何がいけないと? それだけ立派な身体に育ったのなら、せめて少しは役に立って見せるがいい」

 震え始めたローザベルを見てもう一度鼻で笑った夫人は、今度は扇の先に膝掛けを引っ掛けると、何とそのまま彼女が羽織っていた膝掛けを引き落とした。

 何をされたのか一瞬理解出来なかった彼女の無防備な上半身が、明るい部屋に晒される。

 悲鳴を上げて咄嗟に胸元を隠す彼女の腕を、夫人の扇がキツく叩いて下ろさせる。

「今から色仕掛けをしようかと言うに、この程度の事で恥ずかしがってなんとする。んん? 教えたであろう? その立派に育った身体を使って、どうやって殿方を籠絡させるか」

 嘲るようなひどく冷たいその言葉に、彼女のお世話をしていた侍女達が息を飲んで口を開きかけたが、夫人に横目で睨みつけられてしまい、慌てて一歩下がって深々と頭を下げて控えた。



 その為、半裸で下着だけで立ち尽くす彼女を守るものはもう何も無くなってしまった。

「ど……どうか、こればかりは、お許しを……」

 胸元を晒したまま可哀想なくらいにぶるぶると震える彼女のその言葉に、しかし夫人は鼻で笑った。

「今夜のコルセットはこれを使いなさい。これならば、事が終われば自分で身に付けられるであろう?」

 夫人の言葉に執事が侍女のすぐ前まで近寄って来て、持っていた包みを侍女に押し付けるようにして渡す。

 目線は足元に下げたままで進み出て来た執事は、半裸のままで立ち尽くすローザベルを直視しない。

「では、活躍を期待していますよ」

 一転して優しい口調になった夫人は、扇で彼女の胸をなぶるように叩くと笑いながら部屋から出て行った。

 深々と一礼した執事がその後を追い、衝立で隠された扉が音を立てて閉まるまで誰も口を開く事も、身動きする事すら出来なかった。




「ローザベル様……これはまさか……」

 辺境の地にある実家から彼女についてオルダムまで来てくれた仲の良い侍女が、文字通りガタガタと震えながら渡された包みを開く。

 そこに入っていたのは夫人の言葉通りコルセットだったが、通常の背中で縛り上げて締め付けるものでは無く、前開きになった形のコルセットだった。しかも、胸元にごく小さな金具がいくつも取り付けられているだけで、縛り上げる必要が無い。お腹部分の一番引き締まった箇所だけが、金具を引っ掛けて引き締める形になっていて、これなら確かに一人で脱ぎ着が出来るだろう。

 しかも素材はごく薄くて軽い上に、これ以上無いくらいに上等なレースで飾られてはいるが胸元の切り込みが有り得ないくらいに深い為に、これでは彼女が身につけたら豊かなふくらみのある胸は収まり切らず、胸の先がギリギリ隠れるかどうかという位置だ。背中側の切り込みも深く腰に近い位置までほぼ丸出しになっている。

 これは決して未婚の女性が身につけるようなものではない。

 これは、いわば性を売りにする女性が身体や胸を相手に見せつけて、すぐにでも男性が触れられるようにする為の、そういった行為が前提のコルセットなのだ。

 戸惑うように無言で顔を見合わせた三人の侍女達は、無言でいつも彼女が身に付けているコルセットを見た。

 美しい女性の身体の線を見せると同時に、山なりの線を描く胸元から腰回りまでをしっかりと覆うその形は、女性の身体を不用意な接触から守る意味もある。

 渡されたコルセットと、用意していたいつものコルセットを見比べて、あまりの違いに顔面蒼白になる侍女達。

 涙を浮かべつつも気丈に顔を上げたローザベルは、戸惑う侍女達を見て口を開いた。

「コルセットはそれを使うわ。命令だもの……でも、でもドレスの胸元のレースを大至急もう一段増やして。それから背中側も。お願い……せめて。何とか胸元を隠して恥ずかしくないようにして……」

 最後は消えそうなその言葉に大きく頷いた侍女達は、大急ぎで支度を始めた。

 控えの間からお針箱と予備のレースの入った木箱を持って来て、大急ぎでレースを引き絞る為のなみ縫いを始めたのだ。

 一人の侍女が持って来たガウンを羽織り直したローザベルは、幅の広いレースを手にすると自分も針と糸を手にして、無言でソファーに座ってレースになみ縫いを施し始めたのだった。

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