追加の演奏の選曲
「小瓶に入れて女神に祈る」
「どうかお助け下さいと」
枯れた花を見た彼の落ち込み具合を表すかのように物悲しげだった曲調から、一転して花が生き返った喜びを表す明るい曲調に変わる。
しばしの間奏の後、今度は女性パートの部分をローザベルが歌い始めた。
「目が覚めるたび、朝日の中に貴方を呼ぶわ」
「おはよう、今日もご機嫌よう」
笑顔で時折目を見交わしながら、互いを想い合う恋人達の歌を歌い交わすレイとローザベルを会場の人達は皆笑顔で聞いている。
女性にしては少し低めの声だが、ローザベルの歌声はとてもやさしく響き音程もしっかりしている。これはまだ若い歌い手としては、かなり上手いと言っても良いだろう。
レイは密かに感心しつつ、最後の合唱部分までお互いを見ながら歌い交わす。
「この花を君へ」
「想いを込めて、今、届けよう」
「想いを込めて、今、届けよう」
最後の演奏が終わった途端に、また大きな拍手が沸き起こった。
「ありがとうございました」
これ以上無い笑顔のローザベルに、レイは一旦竪琴を置いて立ち上がった。
そして彼女の右の手を取り、そっと手の甲にキスを贈った。唐突にローザベルは真っ赤になる。
あちこちから女性の悲鳴のような歓声が上がり、男性達の冷やかすような笑う声と重なる。
少し赤い顔で二人揃って深々と一礼した後、レイは早足で舞台から下がる彼女を見送った。
その後を何人ものシルフ達が追いかけて行き、舞台袖にはミレー夫人が来てくれているのが見えて密かに安堵のため息をこぼした。
改めて座り直すレイを見て、また会場が静まり返る。
台の上に置かれた、カードがぎっしり入った木箱を見て小さく笑ったレイは、そっと手を伸ばしてその木箱を手に取った。そして会場を振り返ると少し大きな声で話し始めた。
「拙い演奏をお聞きいただき有難うございます。実は舞台に上がる前に、光栄な事に何人ものご婦人から演奏を希望する曲を幾つも頼まれました。それでカードに書いてくださいってお願いしたら、こんなに届いちゃいました。これを全部演奏したら、間違いなく夜が明けてしまいます」
肩を竦めてそう言うと、あちこちから笑いが起こる。
「それで、演奏する曲を選びたいと思いますが、どなたかご協力いただける方はいらっしゃいませんでしょうか?」
レイの言葉に、舞台近くにいた三組のご夫婦が次々に手を挙げてくれた。
「ありがとうございます。では女性の方に選んでいただきましょう。えっと、何曲選んでいただけばよろしいでしょうかね?」
舞台袖に控えている進行役の執事を横目で見ると、少し考えて指を三本立ててくれた。
「えっと、どうやらあと三曲は演奏しても大丈夫みたいですね。では、ちょうど三組の方が名乗りを上げて下さったので一人一曲ずつ選んでいただきましょう。もしも僕が知らない曲が出たら正直に白状しますので、その場合は希望を出してくださった方にお許しいただいてから、もう一度選んでいただきますね」
申し訳なさそうなその言葉に、小さく笑う声があちこちから聞こえた。
舞台に上がってきてくれたご夫婦に木箱を渡し、順番に男性が木箱を持ってご婦人に一枚引いてもらうのを三回繰り返した。
「ありがとうございます。では最初の曲ですね。ええと……さざなみの調べ。ああ、これなら大丈夫ですね。では一曲目はさざなみの調べに決まりました。それから二曲目は、竜と揺り籠。ええ、子守唄ですか? こんな所で誰を寝かしつけるんですか?」
カードに書かれた曲名を読んだレイが笑いながらそう言うと、会場からも笑いが起こった。
「では二曲目は、竜と揺り籠に決定ですね。そして最後の曲は……」
三枚目のカードを見たレイは、目を見開いた。
「ええ、偉大なる翼には、一人では絶対に無理だと思いますけど」
困ったようなレイの声に、あちこちから同意するような笑い声と共に聞きたいと声が掛かる。
「えっと、一部分だけでも構いませんか?」
拍手が起こるのを聞き、苦笑いしたレイは竪琴を抱え直した。
「では、選曲にご協力いただき、ありがとうございました」
役目を終えた三組のご夫婦が笑って手を振りながら舞台から下がるのを見送り、一つ深呼吸をしたレイは、まずは一曲目のさざなみの調べを弾き始めた。
「お疲れ様でした。見事な歌声でしたわ」
舞台から下がって来たローザベルに、笑顔のミレー夫人が駆け寄る。
「はい、ありがとうございます。あの……先ほどはご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。もう大丈夫ですので、戻らせていただきます」
小さな声でそう言ってそのまま下がろうとするローザベルの前に、ミレー夫人は持っていた扇を差し出して彼女の動きを止めた。
「迎えの者が間も無く参りますので、どうぞ今夜は我が屋敷へお泊まりください」
「い、いえ、とんでもありません」
屋敷にまで招いてくれると言われて焦ったように首を振る彼女を見て、ミレー夫人はにっこりと笑った。しかしその目は笑っていない。
「レイルズ様からお預かりしましたのでね。無責任な事は出来ませんわ。この騒ぎが落ち着くまで、貴女は、彼女の側に、いないほうが、よろしくてよ」
わざわざ言葉を区切って言う意味深なその言い方に、ローザベルの目が見開かれる。
「あの、まさかミレー様は……その、今日、叔母が何をしようとしていたか……ご存知なのですか?」
ごく小さな震える声で尋ねられ、ミレー夫人は器用に右の眉だけを寄せて見せた。
「もちろんですわ。彼女が一部の執事達に命じた事も、それから、貴女に何をさせようとしたのかもね」
怯えるように息を呑んで震え始めた彼女を見て、小さくため息を吐いたミレー夫人は、そっと手を伸ばして彼女の腕を撫でた。
「もう大丈夫ですよ。万事私めにお任せを。それにしてもラフカ様も、今回は冗談だと言い逃れるにしては少々やり過ぎましたわね。事が発覚した時にどうなるか考えなかったのでしょうかねえ。本当に、考え無しにも程があります」
呆れたようにそう言って持っていた扇で口元を覆うと、舞台で三組のご夫婦にカードを選んでもらっているレイを見た。
「レイルズ様は、違和感程度は感じておられるでしょうけれども、恐らく何もお気付きになっておられませんわ。ですから、貴女が罪悪感を感じる事も、引け目を感じる事もありませんわ。よろしいですね」
泣きそうな顔で縋るような目で自分を見つめるローザベルに、ミレー夫人は今度は優しく笑って頷いてみせた。
「お辛かったですわね。もう大丈夫ですよ。ああ、迎えが来たようですね。では参りましょう」
そっと彼女の背中に手を回すと、迎えに来た執事の案内でミレー夫人はローザベルを伴って、密かに会場を後にしたのだった。
衝立の上に座ったブルーのシルフとニコスのシルフ達は、揃って会場を後にする二人を見送り満足したように頷くと、ふわりと揃って浮き上がり、さざなみの調べの演奏を始めたレイの元へ飛んで行ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます