歌と演奏

 拍手と共に、舞台から歌を披露した年配の女性達が下がってくる。

 通りやすいように、レイは衝立の後ろまで下がってその女性達を通した。

 皆、レイの前を通り過ぎる時には笑顔で一礼してから通り過ぎて行く。一番最後の少し腰の曲がったかなり年配の女性には、二人の執事が左右から手を貸して支えるようにしながらゆっくりと進み、それでもレイの前を一礼してから通り過ぎて行った。



 女性達が下がった舞台に並べられていた椅子が手早く執事達の手によって片付けられ、レイの為の椅子が一つと低めの台が椅子の横に並べて置かれた。

 その台の上に、小箱が置かれるのを見てレイは目を瞬いた。

 あれは一体何だろう?

 このまま出て行って良いのか困っていると、一人の執事が駆け寄って来て一礼した。

「木箱の中に、皆様から頂きました演奏希望の曲の書いたカードが入っております。好きにお選び下さいとのリューベント侯爵夫人からの伝言でございます」

「分かりました。ありがとうございます」

 執事にお礼を言って、そのまま二台の竪琴を持って舞台に上がる。

 後ろ姿を見送るその執事は、何か言いたげに腕を上げてレイの肩を叩きかけたが、残念ながらそれに気付かなかったレイは、そのまま舞台に上がってしまった。

「どうやらご婦人方の不謹慎な企ては失敗したようですね。良かった」

 ごく小さな声で、安堵のため息と共にそう呟いたその執事は軽く身震いをして、何事もなかったかのようにそのまま下がっていった。




 舞台に上がったレイは、木箱の中にぎっしりと入ったカードを見て、絶句してしまった。

 最初にご婦人方から聞いた曲は全部合わせても十曲程度だったはずだが、これはその数倍は余裕であるだろう。

「ええ、どうしよう。これを全部演奏したら夜が明けちゃうよ」

 小さく呟き、とにかくまずは侯爵閣下の希望の曲を演奏する事にした。



 軽く音を確認するために、指で弦をなぞるようにして端から一気に音を出していく。

 流れるようなその音に、舞台の近くにいた人達が一斉に振り返った。

 軽く一礼して竪琴を抱え直したレイは、空の彼方へ、の前奏部分をゆっくりと爪弾き始めた。



「煌めく初春の蒼天の下」

「舞い立つその姿の美しきこと」

「大いなる翼のその下に」

「我らを守りし偉大なる竜よ」

「願わくばその先の遥か彼方へ」

「我ともに連れて行きなむ」



 ゆっくりと歌い始めた優しいレイの歌声に舞台に近かった人達だけでなく、少し離れた場所で歓談していた人達までが次々に振り返って舞台に注目し始めた。



「凍れる初冬の曇天の下」

「舞い降りるその姿美しきこと」

「大いなる翼のその下に」

「我らを守りし偉大なる竜よ」

「願わくばその先の遥か彼方へ」

「我ともに連れて行きなむ」



 ここで間奏が入り、流れるような風を表す竪琴特有の音の上下が続く。

 会場はすっかり静まり返り、ほぼ全員が彼の演奏に注目している。



「我が幼き日の無垢なる憧れ」

「かの空の彼方へと飛び行く竜よ」

「願わくば我ともに行きなむ」

「なれど我が背に翼無く」

「独り地に在りてただ天を仰ぐのみ」


「願わくばその蒼天の遥か彼方へ」

「我ともに連れて行きなむ」

「願わくばその青空の遥か彼方へ」

「我ともに連れて行きなむ」



 最後は、顔を上げて朗々と歌い上げる。

 レイの優しい歌声は、静まり返った会場に響き渡った。

 最後にもう一度竪琴の音の上下があり、最後に一気に和音をかき鳴らして最初の歌は終了した。



 一瞬の沈黙の後、大きな拍手が沸き起こる。

 一度深呼吸をしたレイは、軽く一礼してから竪琴を抱え直した。

 二曲目は、ラフカ夫人に頼まれた、この花を君へ。

 今回はレイ一人なので女性のパートも歌うつもりでいたのだが、執事が駆け寄って来てレイに耳打ちした。

「レイルズ様、ローザベル嬢がご一緒に歌ってくださると仰っておられますが、よろしいでしょうか?」

 一瞬目を瞬いたが、笑顔で頷く。

「もちろんです。よろしくお願いします」

 頷いて下がる執事を横目で見て、レイはごく軽く竪琴を爪弾き始めた。

 単調な音の上下が続いている間に、ローザベルが一人で舞台に上がってきた。

 まばらに拍手が起こる。

「突然ですが、どうぞよろしくお願いいたします」

 軽く一礼してそう言われて、笑顔のレイは大きく頷いた。

「こちらこそよろしくお願いします。キィはこれで大丈夫ですか?」

 軽く和音を弾いて見せると彼女も笑顔で頷く。

 頷き返したレイは、前奏の部分をゆっくりと爪弾き始めた。



「目が覚めるたび、朝日の中の君に呼びかける」

「おはよう、今日もご機嫌よう」



 前半の男性パートを歌い始めたレイは、竪琴の上側部分にブルーのシルフとニコスのシルフ達が現れて座るのを見て笑顔になる。

 優しい笑顔のその歌声を聴きながらうっとりとしているブルーのシルフやニコスのシルフ達を見ながら、レイはさらに丁寧にゆっくりと想いを込めて歌い続ける。



「いつだってあなたは僕の真ん中にいる」

「そんな貴女に届けたい」

「広い野原一杯に咲いている、この花を全部」

「だけど僕には届ける術が無い」



 歌いながらレイは、花祭りの時にピクニックに出掛けた時の事を思い出していた。

 誰もいない広い野原いっぱいに、文字通りあふれんばかりに咲き誇っていた春の花々。

 確かにあの花を全部彼女に届けたいと願っても、絶対に無理だろう。

 そして摘んできた野の花は散るのも早い。

 精霊達の助けも無しに、ただ摘んで持って帰って来ただけならすぐに萎んで枯れてしまうだろう。

 きっと彼の枯れかけた花は、ウィンディーネとノーム達が頑張って助けてくれたのだと思えた。

 自分の思いつきに小さく笑ったレイは、最後の花が枯れかけて女神に助けを求めて祈る部分をまるで自分の事のように感情を込めて歌った。

 摘んできた花が枯れかけて落ち込む彼の心情が、これ以上無いくらいに理解出来たからだ。



 笑顔で楽しそうに歌うレイを見ながら、ブルーのシルフとニコスのシルフ達は何故か満足気に何度も頷いていた。

 そして、そんな彼を少し離れたところで満足気に見守るミレー夫人と、それとは対照的に、会場の隅で顔色を無くして扇を握りしめながら、無言で立ち尽くしているラフカ夫人がいたのだった。

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