価値観の違い

「説得しなくていいって、どうしてですか。相手の人に本の良さを分かってもらわないといけないのに」

 そう言って戸惑うレイに、ルークが大きなため息を吐く。

「だからそもそもそこが間違ってるんだ。言っておくけど、相手の持っている価値観や考え方を変えるのって、そう簡単な事じゃあないぞ」

「でも……」

「そこでさっきの話になる。他人との付き合いで大切な事の一つが、価値観を認めるって言ったあれだ」

「つまり、本が要らないって価値観ですか?」

 明らかに不服だと言わんばかりのレイの様子に、ルークが頷く。

「そうだよ。まあちょっとこれは極端な例ではあるが、その人にとっては本なんて必要の無いもので、そんな人は何かを調べたい時は、大抵辞書を引くんじゃ無くて他の人に聞くんだよ。例えその人が辞書を使って調べてから答えてくれたとしても、自分が使っていなければ辞書なんて必要ないと思えるわけだ。分かるか?」

「結局お世話になっているのなら、それはその人にとっても必要だと思いますけど?」

 不満たらたらだと言わんばかりのレイの口振りに、横で聞いているマイリーは笑いを堪えるのに必死だ。

「考え方としては間違っていないよ。だけどそれをわざわざその人物に、真正面からそれを言うかって話なんだよ」

「つまり、あなたは間違っています。って言うかどうか?」

「そういうこと。でも馬鹿正直に本人にそれを言ったら、まあ大抵の場合は喧嘩になるな」

 肩を竦めて笑うルークの言葉に、それでもレイは納得いかないとばかりに眉を寄せる。

「何でも正しい事を言えば良いってものじゃないし、人と考え方が違うなんて当たり前だよ。大事なのは、違う考え方や価値観であるのを認めて、それと上手に付き合うって事さ」

「考え方の違いを認めるって、そう言う意味ですか」

 まだ納得がいかない風のレイを、ルークとマイリーが面白そうに見ている。



「それじゃあもう一つ例え話をしてみようか。ジャスミンとマークの一件だ」

 突然の話の変更にレイの目が見開かれる。

 ジャスミンとマークの恋の話は、当然マイリーも報告を受けて知っている。

 今のところはこれ以上の進展はないようなので静観している状態だが、当然、何か問題があれば即座に対応する手筈にもなっている。

「もしも二人の恋がラフカ婦人達に知られたら、どうなると思う?」

 無言になるレイを見て、マイリーは小さく頷く。

「そんなの絶対に駄目です。僕は何があってもマークを応援します」

「待て待て、いきなりそこまで話を飛ばすんじゃあないよ」

 笑ったルークの言葉に、レイが勢いよく振り返る。

「それってどう言う意味ですか!」

「おお、マーク軍曹の話になると食いつきが違うな」

 からかうようなルークの言葉に、レイがまた眉を寄せる。

「だからその顔はやめろって。眉間に皺が残るぞ」

 指先で眉間を突かれて、ため息を吐いたレイはマイリーを振り返った。

「教えてください」

「二人の恋の事が彼女達に知れたとしたら、間違いなく鼻で笑ってマーク軍曹の事をこう言うだろうな。身分を弁えぬ愚か者だと」

 確かにその通りであろう事はレイにも容易に想像出来たので口を尖らせたまま頷く。そんなレイを見て、マイリーは肩を竦めて笑っている。

「だけど、マーク軍曹に何かするような事はまあしないだろうさ。彼は陛下から直々にお褒めの言葉を賜るくらいに評価されている。軍内部での評価も高い。今後、間違いなくもっと昇進するだろう」

 一転して笑顔で頷くレイに、ルークが笑って彼の額を突っつく。

「な、さっきの話と同じさ。マーク軍曹がどれだけ評価されようが、昇進しようが、彼女達は自分の価値観でしか物事を図ろうとしない。つまり、彼女達にとっては血筋が最重要なのであって、その人物の為人ひととなりや能力や才能は関係ない」

「ううん、そんなの、嫌です……」

 また眉間に皺が寄るレイを見て、ルークが吹き出す。



「身分に関わらず能力の高い者を評価する今の風潮そのものも気に入らないのさ。市井の農民がいきなり竜の主になったが為に自分よりも高い身分になった事なんて、その最たるものだろうな」

 ますます眉を寄せるレイを見て、マイリーが苦笑いしている。

「だけど、貴族社会の中ではそう言った人たちは大勢いるよ。決して無視出来ないくらいにね」

「じゃあどうすればいいんですか!」

 情けない声で叫ぶレイに、ルークとマイリーが顔を見合わせて肩を竦める。

「だから、ここでもさっきの話になるのさ。もう少しわかりやすく言うと、お互いに違う価値観を否定しないって事だよ。分かるか」

「価値観を否定しない?」

「お前からすれば、ラフカ夫人の価値観は自分には決して相容れないものだろう?」

 当然なので素直に頷く。

「だけど彼女からすれば、お前の存在そのものも含めて、今の竜騎士隊は気に入らない事だらけだ。これも分かるな?」

 頷くレイを見て、マイリーが笑う。

「そこまで考えて彼女の行いを見てごらん。決して気に入らないからと、竜騎士隊に対して何かする事は無い。せいぜいが夜会や会食の席で嫌味を言う程度だ。これも分かるな」

「はい、わかります。それでえっと、この場合の何かするって言うのは……例えば、武器を持って僕を攻撃して来るとか、ですか?」

「その通りさ。彼女は竜騎士隊の存在意義も含めてその価値観そのものは認めている。気に食わないってのは、あくまでも個人的な感情であって、公式の場ではオルダムの貴族として竜騎士隊を応援してくれているんだよ」

 驚きに目を見開くレイを見て、マイリーは頷いた。

「つまり、違う価値観そのものは認めている。だけど気に入らないから嫌味を言ったり、間違いを指摘して笑い者にしようとするんだよ」

「ええ、でもそんなのぼく嫌だよ」

 正直な感想にマイリーが堪えきれずに笑う。

「忌憚ないご意見をありがとうな。そこで彼女のような人は考える訳だ。ならば自分と同じ考えの人達を集めて、もっと自分と同じ考え方の人を増やしていこうってな」

「それがつまり、ティミーを持ち上げるって言ってた、あれですか」

「そうだよ、分かってるじゃないか」

「だから、どうしてそんな事をするんですか?」

 無邪気な質問にルークとマイリーが揃ってため息を吐く。

「おお、本当にそこまで分かってて、どうして意味が分からないのかが俺には分からないぞ」

 呆れたようなルークの言葉に、振り返ったレイがまた首を傾げる。



「気に入らない物事を自分達の思い通りにしたいからさ」

 真顔のマイリーの言葉に、レイはまた眉を寄せた。

「そんなの無茶ですよ」

「彼女達は無茶だとは思っていないんだよ」

 平然とそう言うマイリーに、レイの眉の皺はもうこれ以上ないくらいに深くなっていたのだった。



 ブルーのシルフとニコスのシルフ達は燭台に黙ったまま並んで座り、真剣に彼らの話を聞いているのだった。

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