儀式の前に

「母上!」

 神殿の別所へ向かった竜騎士達とひとまず別れて、別室に案内されたティミーを待っていたのは、急遽呼び出された、正装に身を包んだ母親であるヴィッセラート伯爵夫人と執事のマーカスだった。

「ティミー!」

 手を差し伸べてくれた母親の胸に躊躇いもなく飛びつく。

「こんなに小さいのに、まさか、まさか貴方が竜の主になるなんて……精霊王はなんて酷い気まぐれな事をなさるの……」

 力一杯抱きしめる母の手が震えているのに気付き、ティミーはなお一層力を込めて母親を抱きしめ返した。

「大丈夫ですよ母上。きっと父上だったらこう仰いますよ、でかした。見事にやり遂げてみせなさいってね」

「ティミー、ティミー、ティミー……」

 震えたまま何度も何度も名前を呼び続ける母親の頬に、ティミーは笑ってそっとキスを贈った。

「実を言うと僕も不安で一杯です。でもロベリオ様が仰ってくださったんです。一緒に頑張って成長しようねって。あのね、ロベリオ様とユージン様が僕の指導を担当して下さるんですよ。憧れの方に指導してもらえるなんて、夢みたいです」

「まあ、そうなのね。それは素晴らしいわ」

 腕を緩めてティミーの顔を見ながらそう言って笑ったが、またすぐにティミーを抱きしめて肩に顔を埋めたまま黙ってしまう。

「母上。ええと、任命の儀式っていうのがあるそうですので、もう行かないと駄目なんです」

「ええ、分かってるわ。分かってるけど、お願いだからあと少しだけ、少しだけこうしててちょうだい……」

 あまりにも早く、突然の巣立ちが決まってしまった大切な一人息子を、夫人はただ震えながら抱きしめる事しか出来ずにいたのだった。




 その時、ノックの音がしてアルジェント卿とマシュー達が入って来た。

 慌てたように手を離して立ち上がる夫人を見て、アルジェント卿はそっとその手を取った。

「おめでとうございます。リュゼ。貴女の御子息はきっと立派な竜騎士となるでしょう。長生きはするものですな。まさか自分が新たな竜騎士の誕生の場に立ち会う事になるとは」

「ありがとうございます。ですがまだティミーは十三歳の子供です。どうか、どうかよろしくご指導くださいますようお願い申し上げます」

 震えつつもしっかりとした口調でそういう夫人に、アルジェント卿も笑顔になる。

「成人してから竜の主となった場合、半年程度ではとても全てを覚える事は出来ません。皆、付け焼き刃で最初のうちは苦労します。ですがティミーはまだ十三歳、しかもレイルズの時とは違って貴族社会の何たるかを知っておる。大丈夫ですよ。充分に覚える時間はあるでしょう。それにまだまだ育ち盛りだ。しっかり鍛えれば身体も立派に育つだろうからな」

 父親であったヴィッセラート伯爵は、文官だったがそれなりに立派な体格の方だった。夫人も細いが決して小柄というほど背が低いわけではない。それを考えれば、まだまだティミーには伸び代があるだろう。

 何しろレイルズという前例がある。彼が初めてここに来た時は、竜騎士隊の中では一番小さかったのだ。本人も自由開拓民の村にいた頃はもっと小さく細かったと言っていた。ところが今では大柄で有名なヴィゴをも抜いて一番背が高くなってしまった。今はまだ体格が追いつかずに背の高さばかりが目につくが、体格にふさわしい筋肉がつけば、それは誰もが見惚れるような立派な男になるだろう。

「レイルズ様みたいになれますか!」

 目を輝かせるティミーの言葉に、アルジェント卿は堪える間も無く吹き出した。

「あそこまで育つかどうかは分からんがな。後で彼に聞いてみなさい。彼もラピスと出会った頃は、本当に小さかったそうだからな」

「ええ、そうなんですか?」

 その叫び声はティミーだけでなく、一緒に入ってきて大人しくしていたマシュー達の声まで見事に揃い、またしてもアルジェント卿は吹き出す事になったのだった。



「あの、僕はこのままで良いんでしょうか?」

 さあ行こうと促されたが、全員が正装なのに対してティミーは見学に行った時の、いわば普段着に近い格好のままだ。

「ああ、それで良いんだ。任命の儀式は、当の本人は基本そのままの格好で行くからな」

 笑ったアルジェント卿にそう言われて、頷いたティミーは目を輝かせてアルジェント卿を見上げた。

「アルジェント卿の時もそうだったんですか?」

「ああ、勿論だよ。私の時も本当に突然だったからな」

「今度、ぜひそのお話をゆっくり聞かせてください!」

「そうだな。ではそうさせてもらおう」

 嬉しそうに笑って頷いたティミーは、母親と手を繋いでアルジェント卿やマシュー達と並んで神殿の分所へ向かったのだった。

 本来なら、カウリがそうだったように、竜の面会で出会った場合は本人は竜騎士達と共に神殿へ向かう。

 しかし、まだ未成年である事を考えて今回は同行させずに、アルジェント卿に付き添いを頼んで子供達と一緒に神殿へ別に向かわせたのだ。



 城およびオルダムの一の郭にいた爵位を持つ当主と仕官以上の身分を持つ軍人達には、最優先の緊急事項として新たな竜の主が誕生した事と、午後の五点鐘より任命の儀式を行うので正装の上、大至急城の精霊王の分所に集合する事が、精霊通信科の担当者達だけでなく、第四部隊の兵士達までかき集められて総出で伝えられた。

 警備の応援に入っていたマークとキムも当然呼び戻され、渡されたリストを手に必死になってひたすらシルフ達に頼んで連絡を続けていたのだった。

 当然突然の知らせに大騒ぎとなり、あちこちで会合や夜会が中止になったり、お茶会の中止や辞退の連絡が飛び交う事になるのだった。

 竜の面会期間中は、いつ新たな竜の主が誕生しても大丈夫なように、主だった貴族の当主達はほぼ城につめているし、一の郭にいる人達もいつでもすぐにかけつけられるように準備は整えている。

 しかし、まさかの突然の出来事に、当の本人達だけでなく、その周りの執事やお世話をしている部下達までもが揃って大慌てで準備に走り回る事になるのだった。



 城の精霊王の分所へ向かうティミーの肩の上には、ターコイズの使いのシルフが当然のようにそこに座って、緊張しつつも笑顔になったティミーの頬に何度もキスを贈っていた。

 そして、竜の主になった事により精霊達が見えるようになったティミーも、嬉しそうにキスされる度にくすぐったそうに笑って、ターコイズの使いのシルフにキスを返していたのだった。

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