沢山の知らなければいけない事

 翌日は、一日事務所でマイリーの資料整理といくつかの書類の書き方を教えてもらって過ごした。

 そして夕食の後、ラスティと一緒に一足先に離宮へ向かった。

 ディレント公爵の所から来てくれている侍女の人達と先に会っておく事と、いくつか注意事項があると聞かされたからだ。



「今回は色々大変なんだね。マーク達と一緒に泊まる時は、特に何も言われなかったのに」

 離宮へと続く林の中の細い道をゆっくりとラプトルを走らせながら、レイが不思議そうにそんな事を呟く。

「レイルズ様、今回ご一緒なさるクラウディア様とニーカ様とジャスミン様は、共に未婚の女性でクラウディア様はまだ成人したばかり、ニーカ様とジャスミン様に至ってはまだに未成年です。しかもクラウディア様とニーカ様は共に女神の神殿の巫女様ですからね。そのお二方が城内とは言え外泊なさる事になれば、それなりの配慮をするのは当然の事です」

 思いの外真剣なラスティの言葉に、思わずレイはラプトルを止めた。

 すぐ後ろを走っていた護衛のキルート達も、それを見て即座に止まる。

「それなりの配慮って?」

 同じく止まってくれたラスティは、苦笑いして振り返りレイを正面から見つめた。

「つまり、お泊まりになられる女性が快適に過ごせる様に場を整える。という事です。具体的には、身の回りのお世話をする侍女だけでなく、護衛のものにも女性を配置したり、それなりのお立場の方にお目付役としてご同行願う、という事ですね。今回は、ジャスミン様の教育係のお二人がその役目を担ってくださいます」

 レイが真剣な顔で頷くのを見て、ラスティは少し笑って付け加えた。

「レイルズ様とクラウディア様が恋仲である事は、周りの者達も当然ですが知っております。となると、そのお二人が同じ屋根の下で泊まるとなると、妙な勘ぐりをする者も現れます」

「妙な勘ぐり?」

 首を傾げるレイに、ラスティは優しく笑って首を振った。

「以前、離宮でルーク様や皆様からお聞きになられましたでしょう?」

 その言葉に、レイは唐突に真っ赤になる。

「えっ、待って。それってつまり……僕が、そういうつもりでディーディーを誘ったと思う人がいるって事?」

 真顔のその質問に、ラスティも真剣な顔で頷く。

「そうですよ。ですから、それを否定するためにわざわざディレント公爵閣下のところから侍女を、それからジャスミン様の教育係の方々に立ち合いをお願いするのです。大変申し訳ありませんが、レイルズ様にも、今回はいくつかご注意頂かなければならないことがございますので、それは離宮に到着してからご説明いたします」

 そう言ってラプトルを歩ませるラスティを見て、レイも乗っていたゼクスを進ませた。

「良い機会ですから、未婚の女性をお相手の仕方を覚えてください。百回説明されるよりも、こうやって実際に経験した方が実感を持って覚えられますでしょう?」

 笑ったラスティにそう言われて、レイは頷きつつも小さくため息を吐いた。

「うう、ちょっと皆で楽しくお勉強が出来ればいいなと思っただけなのに、どうしてこんな大事になるんだよう」

「ですから、それが大人になると言う事なのですよ。どうか、ご自分の置かれた立場を理解してください」

 黙って口を尖らせるレイを見て、ラスティは小さくため息を吐いた。

「これも経験です。秋にはヴィゴ様のお嬢様やアルジェント卿の孫であるソフィー様方とも遠乗りに行かれるのでしょう? その時にも大人数になるでしょうからね。きっと驚かれますよ」

 そう言われたレイは、以前ティミー達と一緒にハートダウンヒルの丘に遠乗りに行った時の事を思い出すと同時に、あの時に、女性と一緒に遠乗りに行くならどんな風になるかと、ラスティから少し聞いた事も思い出した。

「うう、僕、本当に大丈夫かなあ。どう考えても出来る気がしないよ」

 大きなため息を吐くレイを見て、ラスティは笑って首を振った。

「こんなのは、それこそ経験次第ですからね。今後も機会を見てこの様な場を設けて差し上げますから、様々なお立場の人との距離感や付き合い方を覚えてください」

「うう、頑張ります」

 情けなさそうに返事をしたレイは、もう一度ため息を吐いて空を見上げた。



 やや雲が多いものの、初夏の綺麗な青空を見て鞍上で背筋を伸ばした。



「これから先……単に、好きとか。楽しいとか。そんな事だけでは一緒にいられなくなるんだね」

 俯いて小さく呟くその様子が、あまりにも寂しそうに見えてラスティは密かに慌てた。

「レイルズ様。お立場を弁えてさえいただければ、今後もある程度の自由はききますよ。ですから申し上げたのです。人との距離感や付き合い方を覚えてください。とね」

 眉を寄せて自分を見るレイに、ラスティは笑顔で大きく頷いて見せた。

「恐らくレイルズ様が思っておられる以上に、竜騎士という立場はこの国では重要なのですよ。何事も経験です。どんな些細な事であっても、少しでも分からない事があれば今後もどうぞ遠慮なく聞いてください。その時は、もしかしたら少し聞くのが恥ずかしいと思われるかもしれませんが、知らないまま過ごすよりはずっと良いですからね」

 目を瞬いたレイは、笑顔でこれも大きく頷いた。

「分かりました。これからもよろしくね」

「はい、もちろんですよ。ああ、ラピス様がお待ちかねですよ」

 林の中の細い道を向けた先に、一気に離宮の庭が広がって見える。

 その庭に、いつもの様にブルーが湖から出て来て待ってくれているのを見て、レイは歓声を上げて一気に駆け出していった。

 ラスティと顔を見合わせたキルート達は、苦笑いして頷き合い、そのままの速度で並んで庭に駆け出して行った。



「ブルー!」

 一気に駆け出したレイは、ラプトルの背から飛び降りた勢いのままにブルーの大きな頭に飛びついた。

「会いたかったよ……ブルー……」

 小さくそう呟いたきり、黙ってしまう。

 ブルーが鳴らしてくれる低い喉の音を聞きながら、色んな感情が湧き上がったレイは力一杯抱きついたまましばらく動く事が出来なかった。

 そんな仲睦まじい様子を見たラスティやキルート達だけでなく、離宮から出てきた執事達も、彼の気が済むまで少し離れたところで黙って待ってくれていたのだった。

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