世界一平和な戦争とその解決策
「うん……」
不意に目を覚ましたレイは、すっかり明るくなった部屋に気付いて横になったまま小さく笑った。
「ああ、朝練に行けなかったや。頑張って起きようと思ってたのに……」
そう呟いて、抱きついていた枕に顔を埋める。
寝る前に飲んだ良き水のおかげで、どうやらちょっと怠い程度で二日酔いにはならなかったみたいだ。
『おはよう。よく眠っていたようだな。二日酔いはどうだ?』
現れたブルーのシルフがそっと頬にキスをくれたのに気付いて、レイは枕から顔を上げる。
「おはようブルー、ちょっと寝過ごしちゃったね。うん、今朝は二日酔いにはなってないみたい。寝る前に飲んだ良き水の効果かな?」
嬉しそうにそう言い、ゆっくりと首を回す。
「さあ、もう起きようっと、ところで今って何時なんだろう?」
起き上がってベッドに座り、大きな欠伸をしながら腕を伸ばして強張った体を解した。
『少し前に十点鐘の鐘が鳴っていたぞ』
「あれれ、本当に寝過ごしちゃったみたい。お腹空いたから、着替えて食べに行こうっと」
ベッドから起き上がって前髪をかき上げようとして気が付いた。妙に頭がカサカサする。
「ああ、もしかして!」
慌てて洗面所に駆け込み、鏡を見たレイは悲鳴を上げたのだった。
「ええ、何この頭!」
隣の部屋で、もう一度第一級礼装にブラシをかけていたラスティは、突然聞こえたレイの悲鳴に思わず吹き出した。
「どうやらお目覚めになったみたいですね。では、三つ編みを解すのをお手伝いして来ましょうか」
笑いながらそう呟き第一級礼装をハンガーに戻したラスティは、隣の部屋へ早足で向かった。
実は今朝、いつもの時間に一応起こしに行ったのだが、当然熟睡していて起きないレイを見て、ラスティはそのまま起こさずにいたのだが、しかしまさにその時、レイのふわふわの髪の毛はシルフ達によって悪戯されている真っ最中だったのだ。
ラスティには普段の精霊達の姿は見えないが、例えばレイの髪の毛をシルフが引っ張ればそこに精霊がいるのだろうと想像がつく。
起こしに行ったその時はもう、文字通り四方八方に好き勝手に髪の毛が引っ張られていて、見えない小さな手がせっせと細い三つ編みを大量に作っているところだったのだ。
一瞬それを見て焦って止めようとしたのだが、どう考えても姿が見えない自分が止めても止まる訳はないと諦めた。
「申し訳ありませんレイルズ様。私には見えない精霊様方のお相手は務まりませんので、悪戯は止められません。諦めてください」
大真面目な顔でそう言うと、そっと一礼して下がってしまった。
当然、シルフ達にはラスティのその言葉は聞こえていて、彼がいなくなると同時に大喜びで手を叩き合い、さらに張り切って三つ編みを大量生産したのだった。
「おはようございます。お目覚めですか?」
いつものように素知らぬ振りでノックをして部屋に入る。
洗面所からはレイの悲鳴がまだ聞こえている。
「ちょっと、ブルー! 見てたのなら止めてよ。もうこれ、何がどうなってるのかさっぱりだよ。どうやったらこんなに細い三つ編みが出来るの!」
しかしレイの全力の抗議も、残念ながら大笑いしながらだったために全く説得力は無く、言われたシルフ達は逆に大喜びでせっかく解いた三つ編みをまた編もうとし始めたため、洗面所でレイとシルフ達との間で髪の毛を巡って世界一平和な戦争が勃発していたのだ。
何とか前髪を解くと後頭部の残っていた部分の髪をシルフ達が編み始め、慌てたレイがシルフ達を止めて鏡を見ながら後頭部の三つ編みを苦労して解き始めると、前髪や上部の無事な髪をまたしてもシルフ達がせっせと編み始めるのだ。おかげで全然三つ編みが減らない。
「もう駄目です。僕の髪はおもちゃじゃありませんってば!」
髪を押さえて笑いながら文句を言っている。
「お手伝いしましょう」
笑いを堪えて背後から声をかけると、レイは満面の笑みで振り返った。
「ありがとうラスティ。シルフ達に負けないように頑張って解してください!」
しかし、その見事なまでに編み上がった三つ編みだらけの髪を見て、ラスティは膝から崩れ落ちたのだった。
結局、二人でやっても一向に解けず、ヘルガーと執事にも助けを求めたおかげで、一刻近くかかって何とかレイの髪はいつも通りに戻ったのだった。
「ありがとうございました」
ひとしきり笑い合ってからヘルガーと執事にお礼を言い、改めて着替えて朝昼兼用になった食事を食べる為に食堂へ向かったのだった。
「えっと、今日は一日お休みでいいんですか?」
パンをちぎりながら隣に座るラスティを振り返る。
「はい、今日は一日ゆっくりしていただいて結構ですよ。明日は久しぶりに訓練所へ行ってください。明後日以降はルーク様が調整してくださっているので、決まり次第教えてくださいます」
久しぶりに訓練所へ行けると聞き、嬉しくなったレイは笑顔でちぎったパンを口に放り込んだ。
デザートのマフィンと果物までしっかりといただき、部屋に戻る。
本部の休憩室には誰もいないと聞いたので、今日はもう部屋でゆっくり読書と明日の予習をする事にしたのだ。
ソファーに座ってオルベラート旅行記を読んでいると、退屈したシルフ達がページの端をめくったりひっぱたりし始めた。
「こら、駄目です」
軽く手で払って、机に置いてあった別の本を引き寄せ、表紙をめくって机の上に広げてやる。
するとシルフ達は大喜びでその本を開いてページをめくり始めた。パラパラと、右に左にページがめくられては戻される。
こんな風に、シルフ達の悪戯を止める時には、単にダメだと言うのでは無く、代わりになるものを用意してやれば良いのだ。
元来移り気な彼女達は、すぐに今までやっていた事を忘れて目の前の新しい事に夢中になる。
「あ、そっか。僕の髪の毛も他に何か用意してやれば良いのか。えっと……何があるかな? まあ良いや、後でラスティに相談しようっと」
そう呟いて読み進めていると、めくったページに載っていた話に目が釘付けになった。
それは、竜の背山脈の麓の山岳地帯に住む少数民族が飼っている、とても珍しい長い毛を持つ山羊の話だった。
その柔らかくて毛足の長い毛皮は珍重され高く売れるので、辺境地域に住む彼らの貴重な現金収入になると書かれていた。
とても柔らかくて暖かく、ソファーに敷いたり床に敷いたりするのだというその毛皮は、オルダムでも手に入るだろうか? これなら、シルフ達にこれで遊んで良いよと言えば、レイの髪の毛があそこまで三つ編みだらけになることはないかもしれない。
その本を持ったままレイは隣の部屋にいるラスティに相談に行き、大急ぎでその毛皮を手配してもらう事にした。
知らせを聞いてすぐに来てくれたポリティス商会のクッキーからレイはその毛足の長い毛皮を買い、すぐにソファーに置いてもらった。
クッキーも興味津々で少し下がって見ている。
『それは何?』
『新しい毛皮だね』
『なにかな?』
「これは君達のために買ったんだよ」
胸を張るレイの言葉に集まって来たシルフ達が目を輝かせる。
「あのね、僕の髪は朝忙しい時には解すのが大変だから三つ編みをしたり酷く絡ませたりして遊ぶのはやめてください。その代わりに、一日一本ずつだけは編んでも良いよ、この辺りね」
そう言って、レイは自分のこめかみの辺りを指差す。どれだけ細く編まれても、見えるここなら自分で解けるからだ。
「だから遊びたくなったら、僕の髪の代わりにこれで三つ編みをして遊んで良いよ。柔らかくて素敵でしょう?」
そう言って大きな毛皮を叩く。
目を輝かせたシルフ達が集まって来て、あちこちに固まって嬉しそうに毛を引っ張り始めた。
『良いの?』
『これなら編んでも良いの?』
「うん良いよ。ほらやって見せてよ」
笑ったレイの答えに、大喜びで集まって来たシルフ達が解した毛を引っ張ってせっせと三つ編みを編み始めた。
「どうやら大成功のようですね」
見ていたクッキーの言葉に、レイも笑いながら頷く。
こうして珍しい毛皮のおかげで、レイの髪が手の施しようがないほどに酷い悪戯をされる事はほぼなくなり、それなりに絡まる程度になったおかげで平和な朝を迎えられるようになったのだった。
ただし、三つ編みされた毛皮をいちいち解すのが大変過ぎたため、何枚もの毛皮を購入する事になってしまい、見兼ねたルークの提案で孤児院の子供達に三つ編みを解いてもらうお仕事を報酬を払って定期的にお願いする事になって、この小さな子供でも出来る新しいお仕事は、施設から大いに喜ばれる事になるのだった。
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