前日祭の始まり

「うわあ、人がいっぱいだね」

 到着した精霊王の別館の礼拝堂は、既に多くの人達がそれぞれに正装して並んで座っていた。

 神官に案内された席は、祭壇の横にある演奏者用の席の最前列で、丁度精霊王の像を横から見る位置になる。

 演奏する彼らのために、この列に置かれている椅子は他の列と違っていて、それぞれ独立した椅子が空間を開けて置かれていて、一人ずつ座るようになっている。

 客席に近い側の一番端の椅子の前に竪琴が置かれているのを見たレイは、小さく深呼吸をしてから素直にその席に座った。



 祭壇の精霊王の像の後ろには数えきれないほどの見事な花々が飾られていて、その花は必ず対になるように二つ並んだ同じ花瓶に生けられていて、仲良く並んで飾られている。

 また玻璃窓の下の左右の壁には、大小様々な花輪が飾られていて、これらは全て大きな輪と小さな輪がつなぎ合わされた形で作られていた。あれは結婚する二人の指輪を表しているのだと聞き、レイは密かに目を輝かせてそれらを見ていたのだった。

 精霊王の像の左右前側には巨大な燭台が置かれていて、その全ての蝋燭に火が灯されている。それだけでも千本以上ありそうだ。

 そして、左右の壁に祀られている十二神の像とエイベルの像の前にもそれぞれに大きな燭台が置かれていて、そこにある全ての蝋燭にも火が灯されていた。

 捧げられた数多の蝋燭の炎は、不思議な暖かさと揺らめきで礼拝堂を優しく照らしていた。




「順番にまずは精霊王にご挨拶だ。ここではそのまま剣を捧げて蝋燭を灯すだけで良いからな。その後はエイベル様の像、それから十二神の像にも順番に祈りと蝋燭を捧げるんだよ」

 ルークの言葉に小さく頷く。それは事前にグラントリーから聞いていたのと同じだ。

「一通りの参拝が済めばそのまま席へ戻って良い。座ったら肩掛けをして楽器の準備をしておくように」

「分かりました」

 小さな声で返事をして、一つ深呼吸をする。

 マイリーとヴィゴが順番に精霊王の像の前で祈りを捧げるのを見ながら、レイは頭の中で今日演奏する曲を一つ一つ必死になって確認をしていた。



 順番が来たのでレイも精霊王の像をはじめとするそれぞれの像に祈りを捧げて周り、火蜥蜴を呼んで蝋燭に火を灯してもらった。

 十二神の像の一番最後にあるケットシーの親子の像の前にはミスリルの鐘が置かれていて、全ての像に祈りを捧げた後、最後にここで鈴を鳴らす決まりになっている。

 レイも鐘の横に置かれた小さな棒を手に取り、そっとミスリルの鐘を鳴らした。

 軽やかな高い音が礼拝堂に響き渡る。シルフ達がその音に大喜びするのを見てからゆっくりと立ち上がり、最後に腰に戻した剣を改めて軽く引き抜いて戻した。

 聖なる火花が散り、またシルフ達が大喜びしていた。



 席に戻ったレイは、置いてあった青い肩掛けを羽織り襟元のボタンを一つだけ留めた。

 それから置いてあった竪琴を持って、膝の上に乗せた。

「はあ、いよいよだね」

 小さな声で呟くと、隣にいたルークが小さく笑ってレイを振り返った。

「まあ、あまり難しく考えるな。こんな機会はそうはないんだから、場を楽しむくらいの気持ちで望めば良いよ。お前なら出来るって」

 そう言って笑ったルークは、いつも使っているものよりも幅のある大きな譜面台を二人の間に置いた。

「譜面立てだよ。今回は演奏する曲が多いからこれを使う。譜面は執事がめくってくれるからな」

 数人の小柄な執事が進み出て、譜面立てのすぐ後ろに置かれた小さな椅子に座った。祭壇に背を向けてレイ達と向かい合わせの位置になる。

 通常、執事が勤め中に人前で座る事はまずないのだが、今回は演奏する彼らを見る他の人達の邪魔にならないようにする為に、わざわざ低めの椅子に座っているのだ。

「よろしくお願いしますね」

 小さな声でレイが座っている執事にそう言うと、驚いたように一瞬だけ目を瞬いた執事は小さく笑って一礼した。

「お邪魔にならぬようにさせていただきます。もし何かございましたら遠慮なく足を蹴ってください」

 驚くレイを見て、小さく笑ったルークが爪先でそっと執事の爪先を蹴った。

「これが合図。分かるか。他から見えないようにこうするんだよ。間違っても爪先で脛を蹴るなよ」

 小さく笑いながら、執事の向こう脛のあたりを蹴る振りをする。

「分かりました!」

 頷きながらそう言って、左足の先でそっと執事の爪先を蹴ってみた。

「こんな感じで良いですか?」

「はい大丈夫です。私がお側に顔を寄せますので、ご用を仰ってください」

「何か問題があれば、俺の足を蹴っても良いぞ」

 面白がるようなルークの言葉に、レイは隣に座るルークを見て首を振った。どう見ても、爪先はルークの足には届かない位置だ。

「それは無理です。ルークの足を蹴ろうと思ったら、僕の股関節が死にます」

 真顔でそう言い返すレイの言葉に、ルークだけでなく前に座っていた執事までが小さく吹き出したのだった。



 堂内は、定期的に鳴らされるミスリルの鈴の音が響き、参拝者が鳴らすミスリルの鐘の音が不定期に鳴り響いている。

 準備が整って間も無く、一人の神官が進み出て精霊王の像の前で深々と一礼した。

 手には大きなリボンの付いたミスリルの杖を持っていて、その先には小さなミスリルの鈴が文字通り鈴なりに取り付けられていた。

 ゆっくりと振り返って参拝者達に向いたその神官は手にしたミスリルの杖をゆっくりと振りながら左右に動かしていった。

 騒めきがピタリと止まり、全員の視線がミスリルの鈴のついた杖を振る神官に注がれる。



 その時、頭上から神殿の分所の鐘が大きく打ち鳴らされる音が聞こえた。

 低い鐘の音が、静まり返った堂内に響き渡る。

 それは神殿の分所の最上階にある尖塔に取り付けられた巨大な鐘の一つで、降誕祭当日や年が明けた時など、特別な時にしか鳴らされることのない鐘だ。

 普段聞き慣れている時を告げる鐘よりも倍以上も大きな鐘で、当然その音は低い。

 腹の底に響くような低い鐘の音が消える頃、進み出て来た数人の神官達が祭壇の左右に並んだ。豪華な肩掛けをしている彼らが、この前日祭を取り仕切る神官達なのだろう。

 それを合図にしたかのように、竜騎士達が座っているのと反対側の席に、宮廷楽士の人達が出て来て座った。当然だが彼らもそれぞれの楽器を手にしている。

 そして竜騎士隊の後ろにあった広い空間には、女神の神殿の巫女や僧侶達が並び、その隣にはハーモニーの輪の倶楽部の女性達が出て来て並んだ。

 向かい側の宮廷楽士人達の後ろには、エントの会の倶楽部の男性達と、精霊王の神殿の神官達が進み出て並んだ。



 一気に人が増え、一瞬大きくなった騒めきもすぐに静かになる。

 精霊王の真正面に立った大僧正が、手にしていた巨大なミスリルの杖を大きく振り上げる。

「我、ここに婚礼の前日祭を開始する事を精霊王にご報告申し上げる。新たなる道を進む若き二人に祝福を与えたまえ」

「祝福を与えたまえ」

 堂内にいた全員が、一斉に大僧正の声に続いて唱和する。

 いよいよ、御婚礼の前日際が始まろうとしていた。

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