演奏と歌と舞い

 大僧正が前日祭の開催を宣言した後、一旦閉じられていた礼拝堂の入り口の扉が大きく開かれる。

 横目で見たレイは、入って来た人を見て納得した。

 この方々なしに、アルス皇子のご成婚の前日祭は出来ないだろう。



 ゆっくりと入って来たのは、陛下とマティルダ様、そしてオリヴェル王子だった。その後ろにはイクセル副隊長や、カナシア様を始めとした皇族の方々が並んでいる。

 神官達が持つミスリルの鈴が鳴らされる中を、一同はゆっくりと歩いてまずは精霊王の祭壇に参拝した。

 陛下をはじめとする男性達は、いつもレイ達がやっているように跪いて腰の剣を抜いて捧げ、女性達は両膝を揃えて跪き、握り締めた両手を額に当てて深々を祈りを捧げた。

 その後、エイベル様の像にも跪いて参拝し蝋燭を捧げてから、他の十二神にも順番に蝋燭を捧げて回った。ここでは、跪かずに立ったまま蝋燭を捧げるだけだ。



 通常、祭事の際にも陛下ご自身が精霊王の像に跪く事は無い。

 しかし、今夜の陛下のお立場は、この国の王であると同時にアルスという一人の若者の父親としての意味もある。なので今は、父親として精霊王に息子が結婚することを報告する意味での参拝なのだ。



 参拝を終えて、最前列にオリヴェル王子と皇族の方々が並んで座る。

 すると、一旦座った皇王様が立ち上がってこっちへ向かって歩いて来たのだ。

 恐らくこれも何らかの決まりがあるのだろう。背筋を伸ばした陛下が歩く歩調に合わせてミスリルの鈴が鳴らされている。

 レイが座っているのと反対側の端に陛下が座るのを見てレイは目を瞬いた。陛下の前には、いつもはアルス皇子が弾いているあのハープシコードが置かれていたのだ。

 やや小ぶりだが箱状の胴体部分の上側には全面に渡って見事な螺鈿細工が施されていて、捧げられた数多の蝋燭の光に照らされて優しい輝きを放っていた。

 そして、客席に座っていた参列者の人々も、陛下がハープシコードの前に座るのを見て一斉に立ち上がった。



「始まるぞ」



 ルークの声が耳元で聞こえて、小さく頷いたレイは手にしていた竪琴を改めて抱え直した。

 陛下がゆっくりとリズムを取ってハープシコードを弾き始める。ハープシコード独特の、やや硬い金属のような音が静まり返った堂内に響く。

 マイリーやヴィゴ、ロベリオとユージンが担当する弦楽器がそれに続いて演奏を始め、ルークのハンマーダルシマーが奏でる独特の音色でそれに続いた。レイも、自分に与えられた竪琴の担当部分を心を込めて弾いた。

 最初に演奏されるのは、精霊王を讃える歌と、精霊王に捧げる祈りの聖歌。この二曲は竜騎士隊は演奏のみで歌には参加しない。

 ハーモニーの輪とエントの会、そして神殿の合唱隊が見事な歌声を披露してくれた。

 起立した客席の人達も一緒になって歌っていて、レイは嬉しくなった。



 正しき道を進む者、迷うことなく進み行け

 光あれ、精霊王の御守まもりをここに

 苦難の道を進む者、折れる事無く進み行け

 称えあれ、精霊王の御守りをここに



 レイの大好きな部分が繰り返し歌われる。

 見事な合唱の歌声に、竪琴を爪弾きながらレイはうっとりと聞き惚れていたのだった。

 二曲の演奏が終わり、堂内が拍手に包まれる。

 次に演奏されたのは、女神オフィーリアに捧げる歌。

 これも竜騎士隊は演奏のみでの参加だ。

 それが終わったところで一旦祈りの時間となり、起立していた人達が着席する。それから数名の神官達が進み出て決められた定刻の祈りを唱え始めた。




 定刻の祈りが終わると、祈りを捧げるために広く取られていた精霊王の像の前に六名の着飾った巫女達が進み出て来たのを見て、レイは息を飲んだ。

 それは、以前何度か見た覚えのある華やかな礼装に身を包み、髪を結い上げて豪華な簪を何本も差したクラウディア達だったのだ。彼女の胸元には、あのルビーの嵌まった守り刀が収められている。

 そして彼女達の手には幅の広い真っ白なリボンがある。

「これってもしかして……」

 思わず呟くと、宮廷楽士の人達が、先ほど演奏したのとはまた別の精霊王に捧げる聖歌を奏で始めた。

 長いリボンの両端を互いに持った巫女達が、その音に合わせてゆっくりと舞を舞い始める。絡まる事無くスルスルと引き合うリボンに合わせて、巫女達が舞っているのをレイはただただ呆然と見つめていた。

 時送りの祭事の時には、胸元にある守り刀でリボンを断ち切ったのだが今回はそれは無く、そのまま次の曲に移る。



 リボンを絡めあったまま一旦停止した巫女達は、陛下が弾き始めた、新たなる門出に祝福を、の曲を歌いながらゆっくりと舞い始めた。

 竜騎士隊もそれぞれに演奏を始める。レイも、心を込めて彼女を見つめながら演奏を始めた。



 精霊王の御守みまもりをここに

 精霊王の御守りをここに


 我ら死の谷の底を歩む時、御救いの手がある事を知るもの也


 愛しき人の手を取りし時、ただ死によって互いを分かつと知るもの也


 悲しみの泉の底で流せし涙の幾星霜が、新たなる喜びの源流たるを知るもの也


 絶望と疑いの闇の中で祈りと希望に光を見出しき時、世界と生命を司りし全ての精霊達よ、どうか幼き我らを守り給え

 一時の安らぎと眠りをここにあれかし



 我らここに誓うもの也



 正しき道を進み行き、いつの日にか輪廻の輪に辿り着きしその時まで

 懸命に日々を生き、命を繋ぐ事を

 我ら今ここに誓うもの也


 精霊王の御守りをここに

 精霊王の御守りをここに

 かくあれかし



 歌い終えた後も全ての演奏が終わるまで、巫女達は高く捧げたリボンを離さない。

 演奏の音が消えてからゆっくりとリボンが下ろされて巻き取られる。

 五人の巫女達が一歩下がる中、クラウディアは逆に一歩前に進み出て精霊王の祭壇に向き直った。

「祈りと癒しを守りし精霊達よ。我らの進む苦難の道を照らせし唯一の光あれ」

「光あれ」

 一斉にその場にいた全員が最後の言葉を唱和する。

 その言葉を合図に、進み出たクラウディアの両手に光の精霊達が現れて座る。

 精霊達が一斉に手を叩くと一気に輝きを増した光の球となってゆっくりと上昇していき、その煌めく輝きは広い礼拝堂の天井を光で溢れさせた。

 その見事な光景に、あちこちから堪え切れないような歓声が聞こえる。

 やがて輝きが戻り、ゆっくりと小さくなった光の球が彼女の手に戻ってくる。

「ご苦労様。ありがとうね」

 優しく小さな声で話しかけた彼女の言葉に、光の精霊達は嬉しそうに手を振っていなくなった。

 クラウディアが手を下ろした瞬間に、大歓声と割れんばかりの拍手が沸き起こった。

 やや紅潮した顔で参列者達に向かって深々と一礼した巫女達は、拍手の中をゆっくりと退場していった。



 またミスリルの鈴の音が鳴らされ、定刻の祈りが始まる。

 レイは竪琴を抱きしめるようにして、今見た彼女の見事な舞を思い出していた。

 その肩には笑顔のブルーのシルフが座っていて、夢見心地のレイの頬に思いを込めたキスを贈っていたのだった。

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