前日のそれぞれ

「それじゃあな」

 本部の厩舎に戻りゼクスの鞍を外していた時、書類の入った鞄を抱えたマークとキムに小さな声でそう言われて、レイは不意に襲ってきた寂しい気持ちを我慢して笑顔で頷いた。

「うん。楽しかったしすごく勉強になったよ。また行こうね」

「ええ、是非その時はよろしく願いします」

「ありがとうございました」

 仲が良いとはいえ他の第二部隊の兵士達がいるのでマークとキムの口調は一変して、よそよそしい挨拶をして一礼して下がってしまった。

 彼らと自分の立場の違いを改めて見せつけられた気がして寂しい気持ちになる。だけどぐっと我慢して飲み込んで、小さくため息を吐いてゼクスをしっかりと拭いてやってからレイも本部へ戻った。



「お帰りなさい。離宮での勉強会の成果はいかがでしたか?」

 出迎えてくれたラスティに持っていた資料の入った鞄を渡したレイは、目を輝かせて離宮での楽しかった生活を歩きながら延々と早口で喋り続けた。

「おかえり。勉強会の成果は後ほどゆっくり聞かせてもらうから、帰ってすぐで悪いが先に着替えてきてくれるか」

 ちょうど廊下で会ったルークにそう言われたレイは、元気に返事をしてラスティの案内で用意された部屋へ行き、そこで大急ぎで第一級礼装に着替えを済ませた。

 かなり広いその部屋は臨時の更衣室として使われているようで、扉の前には幾つもの衝立が並べられていて、廊下から中が見えないようになっている。奥には何台ものハンガーが並んでいて、それぞれに用意された第一級礼装が掛けられている。一番奥のハンガーの横にはマイリーが使っている補助具が一式用意されているのも見えた。



「おお、もう帰ってきていたのか。ご苦労さん」

 襟元の飾りを留めたところで、ノックの音がしてヴィゴとカウリが部屋に入って来る。

「おはようございます」

 顔を上げたレイが嬉しそうに挨拶をすると、二人も上着を脱ぎながら挨拶を返してくれた。

「朝からハン先生が離宮へ行ってたけど、何かあったのか?」

 少し心配そうなヴィゴの言葉に、レイは何だか申し訳なくなる。

「大丈夫です。えっと……キムの頭が、僕の石頭と変わらないくらいの硬さだって事が証明されたんです」

 大真面目なレイの説明に、聞いていたヴィゴとカウリだけでなく部屋にいた他の従卒達や第二部隊の兵士達までもが揃って吹き出したのだった。



「お前らは、朝から何をしてるんだよ。何かあったのかと思って心配したのに」

「全くだ。だがまあ楽しかったようで何よりだよ」

 まだ笑いながら着替えているカウリとヴィゴの言葉に、剣帯を装着して金具を確認していたレイは嬉しそうに顔を上げた。

「毎日すっごく楽しかったです。いっぱい本を読んで好きなだけ勉強をして、毎晩夜は枕戦争をして遊んだの。それから精霊の泉にも遊びに行ったり、星を見たりもしたよ。あ、生まれて初めて銀星草が咲く瞬間も見たよ。あれは本当に綺麗だったんだよ」

 目を輝かせて離宮での生活を報告するレイに、カウリとヴィゴは苦笑いしている。

「へえ、銀星草って確か、お披露目の後に奥殿へ呼んでいただいた時に、部屋に飾ってあったあの宿り木の事だよな?」

「そう、あの時の花だよ。ルークが泊まりにきてくれた日でね。その日は、準交差の日だったの」

「準交差の日? 何だそれ?」

 襟元を締めながら、カウリが不思議そうに顔だけ振り返ってレイを見る。

 嬉しくて詳しい説明をしようとしたレイだったが、以前カウリに注意された事を思い出して少し考えてから口を開いた。

「えっとね。以前奥殿で咲いているのを見た時は、交差の日って言ったのを覚えている?」

「ああ、天文学で習う、計算で出す日だって言ってたな」

 嬉しそうなカウリが答えるのを、隣で着替えながらヴィゴも興味津々で聞いている。

「詳しい計算方法は割愛するけど、計算で出た答えの数値を暦の計算式に合わせて、一番真ん中になる中心の日が交差の日。それとは別に、幾つか近似値が出るので、それらが示す日を準交差の日って呼ぶんです」

「それでその日に銀星草が咲くわけか」

 嬉しそうに頷くレイに、カウリも剣帯を装着しながら首を傾げた。

「不思議な話だな。銀星草はどうやってその日を知るんだ?」

 マークが言ったのと同じ疑問をカウリに言われて、レイも考える。

「確かにそうだよね。どうやって花達はその日を知るんだろう?」

 改めて言われてみると、確かにその通りだ。花達には天文学の計算なんて関係ないだろうに、その日にしか咲かない理由は他にあるような気がしてきた。

「今度訓練所へ行ったら、天文学の教授に銀星草が咲くところを見た事を自慢してから、どうしてその日に銀星草が咲くのか聞いてみます」

 真剣な顔で頷くレイに、苦笑いしたカウリも襟元を整えながら頷いた。

「答えがわかったら、是非俺にも教えてくれよな」

 元気に返事をするレイに、カウリとヴィゴは顔を見合わせて笑っていたのだった。






「お疲れ様でした。朝食のご用意をしておりますので、どうぞこちらへ」

 夜明け前に起きて、花嫁専用の部屋で決められた早朝の祈りを立ったまま唱えて過ごしたティア姫様は、ようやく朝食の時間になり、密かに安堵のため息を吐いた。

 最初は不安しかない神殿でのお籠りの期間だったが、周りの巫女達はそれはもう親身になって世話をしてくれ、時に分からずに戸惑う事もあった彼女を横で密かに支えてくれた。

 唱えるお祈りの声が小さくなった時には、さりげなく他の巫女達が大きな声で唱えてくれ、こっそりと祈りの言葉が書かれたメモを渡してくれる事さえあった。

 おかげであっという間に日は過ぎて行き、気がつけばもう月末は目の前に迫っていた。



 前日は、夜明けと同時に結婚のための儀式が始まる。

 今までの、半月にもわたる様々なお祈りや儀式は、いわばご先祖様や精霊王をはじめとする十二神に対して結婚する事を報告するための祈りだったのだが、ここからは文字通り自分の伴侶となる人物のための祈りとなる。

 まず早朝に神殿内に設けられている花嫁の為の専用の泉で沐浴を済ませて身を清める所から始まる。

 しかも、ティア姫様が使う泉は皇族のためだけに作られた専用の泉で、滅多に使われる事の無い特別な泉なのだ。しかし、ウィンディーネ達によって守られているこの泉は、常に清らかな水をあふれんばかりに湧き出させている。

「ここでの生活もあと一日ね」

 自分に向かって手を振るウィンディーネ達に笑顔でそう言うと、沐浴を済ませた彼女は渡された着替えにゆっくりと袖を通すのだった。




「あと一日ですね。無事に姫様を送り出せるよう、それぞれしっかりと努めてください」

 ガラテア僧侶の言葉に、六人の巫女達はそれぞれに真剣な表情で頷いた。

 ティア姫様が沐浴をなさっている間に、巫女達は次の儀式の準備を行い、祈りの場を整えなければならない。手際良く準備された様々な道具を見て、クラウディアとニーカは真剣な顔で頷き合うのだった。

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