深夜の大冒険と精霊の泉

 それぞれ、冷たいお茶を二杯飲んでようやく一息つく。

「ああ楽しかった。じゃあもう寝るのか?」

 マークの質問にキムがまた嬉しそうに笑う。

「レイルズから聞いたんだけどさ。この離宮には精霊の泉があるらしいんだ。見てみたいと思わないか?」

「せ、精霊の泉だって!」

 驚いて身を乗り出すマークに、レイが満面の笑みで頷く。

「初めてオルダムに来た時。ほら、僕が竜熱症を発症した時にね、しばらく静養を兼ねて途中からは白の塔じゃなくてここで過ごしたんだ。その時にロベリオとユージンに教えてもらって見に行ったんだ。すごく綺麗なんだよ」

「行きたいです!」

 二人が声を揃えて答えるのを見て、レイも嬉しそうに頷いた。

「じゃあ、深夜の大冒険の始まりだね。裸足だと足が痛いから、ここからはスリッパで行くんだよ」

「あ、もしかしてここにカーディガンが用意されているのは、そういう意味か?」

 レイの言葉に立ち上がったキムが、自分達の着替えが置かれている棚を指差した。

 そこには、確かに持ってきた覚えの無いカーディガンが三着、綺麗に畳んで置かれている。そして何故か、自分達が持って来たのとは別の綺麗な寝巻きまでが用意されている。

「確かにこの格好じゃあ、ちょっと外は冷えるかもしれないものね。じゃあ借りて行こうよ」

 レイがそう言って、当然の様に戸棚からカーディガンを取り出す。

 戸惑いつつも受け取ったマークとキムは、あまりの軽さとそして暖かさに感動する事になった。

「綿兎の毛糸で作ったカーディガンだからね。そりゃあ軽くて暖かいよ」

 手にしたカーディガンを見て、二人揃って目を見張る。

「ひええ、綿兎の毛糸で編んだカーディガンだって……」

「そんな高級品、俺達が使って良いのかよ」

 顔を見合わせた二人だったが、さらにレイが取り出したスリッパを履いて絶句した。

 まるで綿の中に足を突っ込んだかの様なふわふわで柔らかい感触。そして履いている事を忘れそうな程の軽さ。

「なあなあ、これももしかして……」

「そうだよ、綿兎の毛のスリッパだよ」

 当然の様にそう答えられてまたしても絶句する。

 二人にとって、綿兎の毛で作られたスリッパや衣服は、王侯貴族の使うものだ。仮にお金を出すから欲しいと思っても、貴族でも大商人でもない彼らには、そもそもそう簡単に手に入るものでは無い。



 しばらく固まっていた二人だったが、なんとか気を取り直して揃って深呼吸をする。

「うん、普通なら絶対に俺達なんかには経験出来ない貴族の生活だ。せっかくの貴重な機会なんだから満喫させてもらおう」

「おう、確かにそうだな。そう考えたら何だか楽しくなってきたよな」

 やや引きつった笑いの二人が、顔を見合わせてそう言って頷き合う。

「よし、じゃあありがたくお借りします!」

 そう宣言して、勢いよくカーディガンを羽織る。

「うん、それじゃあ行こう。あ、窓から出るのが正しい冒険の始まりなんだよ」

 目を輝かせるレイの言葉に、マークとキムが同時に吹き出す。

「そうだな、確かにその通りだ」

 キムが大真面目な顔でそう言い、マークも笑って頷いている。

 庭に面した大きな窓を開いて、三人は次々に外に出る。

「警備の人もいるから、見つからない様にしないとね」

 これまた嬉しそうなレイの言葉に、もうマークとキムは笑いを堪えるのに必死だった。






「こっちこっち。誰か来るよ」

 レイの小声に頷き、二人もしゃがむ様にして植え込みの影に隠れる。

 足音がして、警備兵が植え込みのすぐ近くまで来て立ち止まる。

 レイが口の前に指を立てるのを見て、マークとキムも小さく頷き体を出来るだけ小さくして息を潜めた。

 軽い咳払いをした警備兵がいなくなるまで、三人は息を殺して茂みの中でじっとして隠れていた。

「行ったね。じゃあこっちだよ」

 警備兵の姿が見えなくなり、茂みから出て来た三人がまた植え込み沿いに奥へ進む。

 しばらく進むと前方にぼんやりとした光が見えて、レイは目を輝かせた。

 以前見た時よりも、さらに多くの精霊達が集まって踊っている。

「うわあ、本当に精霊の泉だ……」

 マークの呟きに、キムは言葉も無く頷く事しか出来なかった。



 そこにあったのは、小さいがとても綺麗な女性の石像が立つ噴水で、その女性が持つ壺から細かな水が上に向かって絶え間なく吹き上がり、周囲に細かな霧を振りまいていた。

 辺りは不思議な優しい光に満ちていて、シルフ達があちこちで手を取り合って輪になって踊っている。

 その周りをふわふわと飛び交う、明かりの原因である光の玉は光の精霊であるウィスプ達だ。

 女性像の足元は、広い石造りの円盤状の水たまりになっていて、石で作られた蓮の花や水草に乗ったカエルの石像が置かれている。

 その周りではウィンディーネ達も顔を出して、楽しそうに笑いながら手を叩いては水しぶきを上げていたのだった。

「こりゃあすごいな。本で読んだ通りだ」

 キムの呟きに、精霊達が一斉に動きを止めてこっちを振り返った。


『誰?』

『誰?』

『そこにいるのは誰?』

『誰!』

『誰!』

『誰!』


 警戒心をあらわにした彼女達の強い問いかけに、三人は慌てて茂みから顔を出した。

「うわあ、ごめんなさい。驚かせるつもりは無かったんです!」

「驚かせてごめんなさい!」

「楽しんでいるところを邪魔してごめんなさい!」

 レイの言葉に続き、マークとキムも揃って謝る。


『主様だ』

『主様だ』

『我らの友達』

『優しい友達』

『夜更かし夜更かし』

『いけない子達』


 三人の姿を見たシルフ達が笑いながらそう言い、彼らのすぐ側まで来て周りを飛び回った。

「ここで踊ってたんだよね」

 嬉しそうなレイの言葉にシルフ達だけでなく、ウィンディーネやウィスプ達までもが揃って頷く。


『ここは良き場所』

『ここは良き場所』

『楽しき良き場所』

『いつも踊ってるんだよ』

『いつも踊ってるんだよ』


 笑いさざめく彼女達の言葉に、三人も笑顔になる。


『遊ぼ遊ぼ』

『遊ぼ遊ぼ』

『こっちこっち』

『こっちこっち』


 シルフ達に髪を引っ張られて、レイが前に進み出る。

「じゃあ前みたいに追いかけっこかな」

 揃って頷く彼女達と相談して、三人対精霊達で追いかけっこを楽しんだ。




 三人は笑いながらあちこち走り回り、シルフ達が持つ葉っぱを捕まえて集める。

 だけど、シルフ達は葉っぱを取られてもまた何処かから持って来るので、いつまで経っても追いかけっこは終わらない。

 とうとう最後は、息を切らせた三人が降参して追いかけっこは終了した。

「考えたら、そこら中に、幾らでも、葉っぱは、あるん、だから……葉っぱ、の、上限を、設けなかった、時点で僕達、の、負けは、確実、だった、よね」

 座り込んで息を切らせながらそう言ったレイの言葉に、まだ喋る事も出来ないマークとキムは、同じく座り込んで揃って笑いながら何度も頷いていたのだった。




 息が整うと、ウィンディーネが出してくれた良き水を掌で受けて喉を潤した。

 少し休んで汗の引いた三人は、大きく伸びをしてから立ち上がった。

「戻ったらもう一度湯を使わないと、汗だらけのホコリだらけになっちゃったね」

 笑って服の砂を払いながらそう言うレイに、何故、戸棚に置かれていた寝巻きが二着だったのか理解した二人だった。


『お疲れ』

『お疲れ』

『おやすみ』

『おやすみ』

『楽しかった』

『楽しかった』

『大好き』

『大好き』


 笑って三人の頬や額にキスを贈ったシルフ達やウィスプ達は、手を振って女性像の周りに戻って行った。

 水盤の上では、ウィンディーネの姫達も笑って手を振ってくれている。

「それじゃあ戻るね。楽しかったよ。ありがとうね」

 レイの言葉に、同じく立ち上がったマークとキムも噴水の向かって笑顔で手を振った。

「楽しかったよ。ありがとうな」

「それじゃあまた遊ぼうな」

 点滅する光の玉に見送られて、三人は部屋に向かった。




 途中で、また茂みの近くで警備兵と鉢合わせしそうになり、無言で慌てて茂みに潜り込んだ三人だった。

 軽い咳払いをした警備兵がしばらくしていなくなる。

 レイは目を輝かせて本気で隠れているが、マークとキムは、警備兵達が明らかに自分達に気付いていて、その上であえて知らん顔で見逃してくれている事に気付いている。

 仕事の邪魔をして申し訳ないと、二人は内心で警備担当者達に揃って謝っていたのだった。

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