それぞれの準備時間

「キム伍長、参りました!」

「マーク伍長、参りました!」

 第一級礼装に身を包んだ二人は、七点鐘の鐘が鳴る少し前にディアーノ少佐の執務室に到着した。

「ああ、ご苦労様。少佐も今着替えておられる。すぐにお越しになるからそこで座って待っていなさい」

 同じく第一級礼装で書類棚の整理をしていた副官のミラー中尉に振り返ってそう言われて、二人は大人しく示されたソファーに並んで座った。



 通常、上官の執務室に呼び出されて待っている間に、士官でもない一般兵が座る事は無い。

 それなのにわざわざ座って待てと言われたという事は、二人の事をただの一般兵の伍長としてではなく、上官の執務室で座っても良い存在だと言ってくれているという事になる。

 その言葉の裏に隠された意味を瞬時に理解したキムは、隣で座っているマークを見て小さく笑った。

 二年経って、ようやく軍内部での様々な慣習を理解出来る様になったマークだが、言葉の裏を察するような行為は相変わらず鈍い、もう壊滅的に鈍い。街育ちのキムと違って、基本的な部分が純朴なのだ。これはキムから見ればレイルズと似たようなものだ。

 こういった言葉の裏のやりとりは、今もおそらくだが全く理解していないだろう。後で詳しく教えてやるつもりになり、小さなため息を吐いたキムだった。




 座っていてもカチカチに緊張している二人を見て、中尉は何か言いたげだったが、周りで二人の真似をしてカチカチに緊張した振りをして遊んでいるシルフ達を見て、小さく笑ったきり黙って書類整理を続けていた。

「ああ、待たせたね。それじゃあ行こうか」

 そう言いながら部屋に入って来たディアーノ少佐は、大柄な身体にこれ以上ないくらいに似合った第一級礼装を格好良く着こなしている。

 着ている第一級礼装がどうにも似合わず、何故だか借り物のような感じがする二人とは違う。

 慌てて立ち上がった二人の背中を、ミラー中尉が見てやり剣帯の位置を直してくれた。

「では行こうか。心配しなくていい。今夜の夜会は立食式で礼儀作法は最低限で良い。まあ具体的に言えば、近くのご婦人のドレスの裾を踏まないようにだけ気をつけていればいいよ。二人にはミラー中尉がついていてくれるから、何かあったら彼に聞きなさい」

「りょ、了解しました。よろしくお願い致します!」

 緊張のあまり、つっかえるところまで同じになった二人を見て、上官二人は笑いを堪えるのに苦労していた。




 レイルズ達は、着替える前に別室に用意されていた食事を食べた。

 今夜の夜会は立食式で大した料理は出ない事と、恐らくそれらも食べる暇がないであろう事を見越して用意されたものだ。

 食事を終えた後は、夜会の準備の為にオリヴェル王子は別室で、竜騎士達もまた違う部屋に通されてそれぞれ第一級礼装に着替えた。

「だんだん、この第一級礼装も着慣れて来たね」

 ボタンを留めた襟元の飾りを撫でながら小さな声で呟いたレイの言葉に、少し離れたところで着替えていたカウリも小さく笑って頷いた。

「確かにそうだな。すげえな、何にでも慣れるんだな。でも、俺はやっぱり第一級礼装は緊張するよ」

「それは当然だよ。僕も緊張します〜!」

 情けなさそうな声でそう叫ぶレイに、苦笑いするカウリだった。

 隣では、レイの着替えを手伝ってくれているラスティも同じく苦笑いしている。

「でもまあ、おそらく今頃マークとキムはそれこそ水も飲めないくらいに緊張してるんじゃないか? あいつらの第一級礼装って、結婚式以来だな。どれくらい緊張してるか見てやろう」

 面白がるようなその言葉に、レイは慌てて首を振った。

「ええ、そこは先輩の貫禄で緊張してる二人を助けてあげるところでしょう?」

 大真面目なその言葉に、目を瞬いたカウリは笑って頷いた。

「まあ、確かにそれはあるな。あいつらにはまだまだ頑張ってもらわないと駄目なんだからな。じゃあこうしよう。お前は、今夜の夜会はマークの側についていて助けてやれよ。どうせ今日の俺達は添え物なんだからさ。俺はキムについていてやるから、オリヴェル殿下への光と風の合成魔法に関する解説は、お前とマークに任せるよ」

 その提案に、レイは目を輝かせて大きく頷いた。

「分かりました、じゃあそうします。キムの事お願いしますね」

「おう、任せろ。まあ、あいつらもこれからはこういった夜会や勉強会に招かれる事も増えるだろうからな。ってことは、軍人だけじゃなくて貴族とも付き合う可能性がない訳じゃなくなる。ううん、これは最低限の礼儀作法程度は覚えさせたほうがいいかもな。この件は、後で上司のディアーノ少佐に相談だな」



 何か新しい事を始めようとした時、無駄に敵を作らない事も処世術としては必要だ。

 特に最低限の礼儀作法程度は、貴族と関わる可能性がある以上覚えておいて損は無い。二人は嫌がるだろうが、カウリは頭の中で既に誰に頼めばいいかの段取りを組み立て始めていた。

 マークとキムの扱いは、第四部隊内で間違いなくこれから先どんどん上がるだろう。

 今回の活躍だけでも、周りの二人を見る目が変わるだろうし、二人に昇進の話が出てもおかしくないくらいだ。

 これから先、精霊魔法の合成術を指導する立場になるであろう二人を、いつまでも下級兵士のまま置いておくような事はしないはずだからだ。

 ディアーノ少佐に、今度一度ゆっくり会ってその辺りの彼の考えを聞こうと思いながら、カウリは手首のカフリンクスを締めたのだった。



「マークもキムも、本当に凄かったものね。僕ももっと頑張らないと」

 肩に座っているブルーのシルフにキスをして、レイも手首のカフリンクスを締めながら嬉しそうに何度もそう言っているのだった。

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