贈る歌と初めての煙草

「柔らかな春のひだまりの中、振り返る君の前髪が揺れる」

「明日嫁ぐ君に、僕はかける言葉が見つからない」



 歌い始めたオリヴェル王子の、やや低く優しい声に、会場中が静まり返る。



「満開の真っ白な林檎の花の下、微笑む君は何を思う」

「愛しい人の面影か? それとも昔の思い出かい?」



 そこで一旦歌うのをやめて、持っていたヴィオラを構えて一気に演奏を始める。

 ここから竜騎士隊の全員が演奏を始める。レイも伴奏のための和音を一生懸命に演奏した。



「今でも思い出せる、君が生まれた日の事を」

「精霊達は皆大騒ぎだったね」

「新たな命が誕生したと、大はしゃぎだった」

「僕はあまりにも小さなその手に驚いて、触れる事さえ出来なかった」



 また歌うのをやめて、ヴィオラの演奏を始める。

 しかし今度は、竜騎士隊の人たちは全員ゆっくりと和音を奏でる伴奏のみで、オリヴェル王子のヴィオラの音をさらに響かせた。



 その後、再び歌い始めた部分では、通常の歌詞の通りに妹の成長が歌われる。

 届かなかった林檎の木に初めて手が届いた時の事。

 初めて作った少し歪んだ刺繍のポーチの事。

 それから、喧嘩して泣かせてしまった事を謝る歌詞には、聞いていた皆も笑顔になった。



「だけどお願いだから、もう本棚には登らないでくれるかい」

「僕の息が止まるかと思った」

「それからブランコから飛び降りるのもやめておくれ」

「君は笑っていたけれど、周りは本気で怖かったんだからね」

 やや呆れたように歌うその歌詞に、会場のあちこちから何人もの吹き出す音が聞こえた。




「それでもこんなに綺麗になった」

「明日嫁ぐ君に今こそ言おう、その進む道に幸いあれと」



 少しはにかむように微笑むオリヴェル王子の優しい歌声に、伴奏の竪琴を爪弾きながら、レイはうっとりと聞き惚れていたのだった。

 女性陣はずっとハミングで、王子の歌に寄り添うように優しく歌っていたのだった。



「それでもこんなに綺麗になった」

「明日嫁ぐ君に今こそ言おう、愛しい人と歩むその道に幸いあれと」

「幸いあれと」


 最後は女性陣と竜騎士隊の皆も一緒に合唱して歌は終わった。

 湧き上がる拍手に、オリヴェル王子は照れたように笑っているが、その目が少し潤んでいた事には、皆気づいていたが気付かない振りをした。




 最後の曲は、偉大なる翼に。

 両殿下と一緒に、竜騎士隊の演奏と女性陣の合唱も加わる。

 オリヴェル王子の合図に、竜騎士隊の皆が揃って歌い始める。



「遥かに果てなき山並みを超え、彼方かなたより来たりし偉大なる竜よ」

「その大いなる翼の下にて、幼き我らを守りし偉大なる竜よ」

「そは憧れ、麗しのオルダムの空を舞う偉大なる竜よ」

「精霊達はたわむれ、小鳥は歌う麗しの花の街オルダム」


「そは憧れ、麗しの空を舞う偉大なる竜よ」

「願わくば我も共にかん」

「その翼が示す先の世界へ」


 レイは竪琴を奏でながら、大好きなこの歌を夢中になって歌っていた。

 女性陣の合唱も、前回夜会で歌った時よりも人数が増えている。ロベリオとユージンの婚約者の二人も参加しているからだ。

 お二人も、それぞれ美しい見事な歌声を響かせている。

 ロベリオの婚約者であるフェリシア様は、やや大柄なその体格に似合った豊かな声量だ。

 女性にしてはやや低めの声だが、とても優しく響く声で、やや高くなりがちな女性の合唱を見事にまとめていた。

 逆に、ユージンの婚約者であるサスキア様は、やや高めの、これも豊かに響くよく通る声をしている。

 声量豊かな二人が加わった事で、いつも以上に見事なハーモニーを響かせていたのだった。



 舞台の上ではなく、一人の観客としてこの歌声を会場の隅で聞いていられたらどんなにか幸せだったろうに。

 内心でそんな事を思いながら、レイも一生懸命大好きなこの歌を歌っていた。

 ブルーのシルフやニコスのシルフ達も座っているレイの膝に並んで座り、美しい演奏と歌声にうっとりと聞き惚れていたのだった。



「そは憧れ、麗しのオルダムを守りし竜よ」

「いざ共に行かん」

「その翼が示す先の世界へ」



 揃って最後の部分を歌い上げ、その後はまた演奏が続く。

 レイも竪琴の独奏部分を夢中になって弾いた。

 転がるような、風を表すと言われるその竪琴の音色に集まったシルフ達は、もううるさいくらいに大喜びではしゃぎ回ったり手を取り合って音に合わせて踊ったりしている。



 最後の全員揃っての演奏が終わると、静かになった会場からは割れんばかりの拍手と大歓声に包まれたのだった。



 拍手は鳴り止まず、求めに応じてもう一曲追加の演奏を行った。

 曲目は、不死鳥のように。

 これは、オルベラートにいるのだと言われている、不死鳥を恋い慕う歌だ。

 不死鳥とは、寿命が来ると自らの炎で燃え尽き、その灰の中からまた新たな姿となって生まれ変わるのだと言われる伝説の幻獣だ。

 輪廻転生を信じる精霊王の信仰もあり、特に血筋を重視する貴族達の間で歌われる事が多い、宮廷音楽と呼ばれる曲の一つだ。

 今回は、その中でも人気の部分だけの演奏だったが、これもまた大きな拍手が沸き起こり、大盛況のうちに夜会は終了したのだった。




 いつもなら、レイは夜会が終わればそのまま本部へ戻っていたのだが、今夜はルークと一緒に夜会の後に別室にて行われる歓談会にも初めて参加した。

 ここには女性は一人もおらず、全員が男性だ。

 女性だけ先に帰ったのだろうか? 心配になり聞いてみると、同じく別室にて女性だけの歓談会も行われているのだと聞き、何だか安心したレイだった。




「おや、レイルズは煙草を一度も吸った事が無いのか? それなら一度吸ってみるといい、これは初心者向けの軽めの煙草だぞ」

 嬉しそうなディレント公爵に勧められて、レイはその夜、生まれて初めて煙草を口にした。

 教えられるままに葉巻の先を切り、火蜥蜴にお願いして火をつけてもらう。それからゆっくりと火のついた細巻きの葉巻を吸ってみる。

 周りでは、若竜三人組とルークが、やや心配そうにその様子を見ている。



 いきなり咳き込んだレイを見て、皆が笑う。



「な、何です、か。これ……息を、した、ら、喉の奥が、オエってなりました」

 思いっきり嫌そうに眉を寄せて咳き込みながら素直な感想を言うレイに、公爵を始めとした喫煙者達は揃って苦笑いしている。どうやら新規の喫煙者の獲得とはならなかったらしい。

「まあ、これは強制ではないからな。合わぬと思ったなら無理に吸う必要は無いさ。だがこれで、煙草がどんな物かは分かったであろう?」

「はい、た、しかに。僕には、ちょっと、合わな、かった、みたいです」

 まだ少し咳き込みながら申し訳なさそうに答えるレイに、ディレント公爵は笑ってリンゴ酒を差し出した。

「ほら、ならば後はこれでも飲んでいなさい」

 この場でのリンゴ酒は完全に子供扱いだが、素直にお礼を言って受け取り、その後はりんご酒を片手に様々な人の話に夢中になって耳を傾けていたのだった。




『大丈夫か?』

 新しいりんご酒を貰ったところで、ブルーのシルフが現れて心配そうにレイの顔を覗き込んだ。

「うん、大丈夫だよ。だけどちょっとびっくりしたね。あんなの、何が楽しいんだろう」

 部屋の隅で大きなソファーに座って何人もが煙草をくゆらせているのを見て、素直な感想を述べる。

『まあ、其方には煙草は合わぬと思っていたが、その通りだったな』

「そう思ってたなら、止めてよ」

 まだ喉の辺りがイガイガしている。こうなるのが分かっていたのなら、止めてくれても良かったのに。

 そう思って文句を言ったが、ブルーのシルフは笑って、そんなレイの頬にそっとキスを贈った。

『経験した事もないのに、頭から否定するのは良くないぞ』

『もうこれで其方は煙草を経験したのだから、次からは自分には合わないのでいらぬと断れば良い』

『其方がそう言っていれば、シルフ達が煙から守ってくれるからな』

 笑みを含んだ優しい声に、笑顔になったレイはブルーのシルフだけでなく、周りで心配そうに覗き込んでいたシルフ達にも順番にお礼を言ってキスを贈ったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る