夜会の始まりと気の緩み

 その後、場所を変えて開催された夜会でも、始めのうち、レイは挨拶ばかりしていた。

 ニコスのシルフ達のおかげで、一度でも会った事がある人には初めましてと言わずにすんでいるが、そうなると二度目以降に会った人に前回の話題の続きを振られるような事が何度もあり、大いに焦る場面もあった。

 しかも、何故だかニコスのシルフ達は、その話題を必ず教えてくれる訳ではなくなってきたのだ。



「えっと……」

 必死で話の内容を思い出そうとするが、よほど印象に残っているものでもなければ、ちょっとした会話の内容まで覚えているわけもない。

 気を悪くさせてしまったらどうしよう、と、最初のうちレイはかなり心配して不安になっていたのだが、逆に相手はそんな彼を見ても平然としていた。

 それどころか、これこれといった話をさせていただきましたが、さすがに覚えておられませんね。と、問題の会話を説明して笑ってくれる始末だ。

 さすがに説明されると思い出せる。

「大変失礼を致しました。そうでしたね。その後いかがですか?」

 この方とは、大切に世話をしていた庭に、もぐらが出て花の根を切られてしまって困っていると言う話をされて、レイは、村でやっていたもぐらよけの風車の作り方の説明をしたのだ。

「はい、あの後すぐにやってみたところ、見事にいなくなりました。あの風車の威力は素晴らしいですね。おかげで今年の花祭りは駄目でしたが、来年には何とか花を咲かせられそうです」

 嬉しそうな夫人の言葉にレイも笑顔になる。

 そんな感じでほとんど切れ目無しに挨拶を続けていたが、ようやく一通りの挨拶も終わったようで人が途切れた。



「ふう、ちょっと休憩」

 そう呟いて、端に寄って執事が持ってきてくれたリンゴのジュースで喉を潤す。

 まだ何があるのか分からないので、この場ではお酒は遠慮しておく。

 会場を見渡すと、両殿下の周りと若竜三人組の周りはほぼ人で埋まっている。マイリーやヴィゴの周りにも常に人がいて、あちこちで楽しそうに話す声が聞こえていた。

「皆、人気者だね」

 右肩に座っているブルーのシルフにそう話しかけて、もう一杯もらったジュースを飲み干した。



 正面の一段高くなった舞台では、先ほどから若い男性が三人出てきて並び、ヴィオラの演奏を披露している。

 若干音程が微妙で、せっかくの三人での演奏なのに和音がバラバラになってしまっている。なのであまり上手とは言い難い腕前だ。

 しかもそのうちの一人は真っ赤になって俯いているので、おそらく人前での演奏は初めてか、あるいはそれに近い人達なのだろうと予想出来た。

「頑張れ!」

 初めて演奏した時の緊張を思い出して、レイは思わず小さな声で応援していた。

 すると、突然その真っ赤になっていた青年が驚いたようにこっちを見た。

 その右肩にシルフが座っているのに気づき、レイも驚いて目を見開く。

 親しくはないが、何度か精霊魔法訓練所で顔を見かけた事のある若者だ。食堂で隣り合わせになり、話をした事もある。

 確か、伯爵家の四男だと聞いた覚えがある。



「が、ん、ば、れ!」



 声に出さずに、笑顔で拳を握ってそう言ってやる。

 シルフ達は、正確にレイの言いたい事を理解して彼に伝えてくれた。

 彼は照れたように笑って、しっかりと弾き始める。

 最後には、会場から拍手をもらって笑顔で退場して行ったのだった。



「誰だって、最初は緊張するよね。僕もいまだに緊張するよ」

 ブルーのシルフにそう話しかけて、小さくため息を吐いた。

 この後、竪琴の演奏をするように言われているのだが、まだ準備しなくても良いのだろうか?

「まあ、どうしたんですか? ため息なんか吐いて」

 執事の誰かに聞いてみようかと思った時、聞き覚えのある声が聞こえて慌てて背筋を伸ばした。

「そうですよ、いつもしっかりと背筋を伸ばしておきなさい。ここでは貴方は常に注目されているんですからね

 笑みを含んだ優しい声でそう言ってくれたのは、ミレー夫人だ。

「ありがとうございます。ちょっと気が緩んでいました」

 確かに、人が途切れてなんとなく気が緩んでいたので、改めて背筋を伸ばしてお礼を言う。

 話しかけては来ないけれど無視されている訳ではない。あちこちからの好奇心全開の視線を感じて、密かに慌てたレイだった。




「えっと、実は先程のヴィオラを演奏していた一人が、精霊魔法訓練所での知り合いだったんです。あまりゆっくり話をしたことはありませんが、食堂で何度かご一緒したことがあります」

「あら、そうだったのね。かなり緊張しておられたようだったけれど、最後はしっかりと演奏しておられたわ」

 その言葉に、レイは笑顔で頷く。

「貴方は? 今日は演奏してくださらないの?」

 にっこりと笑ってそう尋ねられて、レイは苦笑いしながら、この後演奏の予定になっている事を話した。

「それは楽しみね。ねえレイルズ様。それなら一曲お願いしてもよろしくて?」

 ミレー夫人の言葉に、レイは内心で大いに慌てた。まだ人前で一人で演奏出来る曲は多くはない。

「えっと、何の曲をご希望なのか、お聞きしても良いですか?」



「この花を君へ」



 それを聞いた途端に、レイは耳まで真っ赤になった。

「その様子だと知っているみたいね。では、期待しているわね」

 満面の笑みでそう言ってレイの肩を叩くと、ミレー夫人は一礼して別の知り合いの婦人のところへ行ってしまった。

「ええ、どうしよう。これじゃあ引き受けた事になるよね」

 戸惑うようにそう呟いた時、近寄ってきた執事がレイにそっと耳打ちした。

「レイルズ様。竪琴のご用意が出来ております。そろそろ演奏のご準備をお願いします」

 思わず深呼吸を一つしてから頷いた。

「分かりました、今行きます。その前にもう一杯ジュースを頂いてもいいですか?」

 小さくそう答えると、笑顔で頷いたその執事は、すぐに新しいリンゴのジュースを用意してくれた。



「うう、緊張してきた」

 案内してもらって執事の後について歩きながらそう呟くと、ブルーのシルフがそっと頬にキスをしてくれた。

『しっかりしなさい。演奏する曲は決まっているのだろう?』

「うん、二曲だけの予定だったんだけど、どうしたらいいと思う?」

『せっかく言ってくれたのだろう? この花を君へ。良い曲ではないか』

 嬉しそうなブルーのシルフの言葉に、レイは小さくため息を吐く。

「今日は、演奏だけの予定だったんだけど、歌ってもいいのかな?」

 小さな声でそう呟くと、前を歩いていた執事がにっこりと笑って頷いてくれた。

「レイルズ様の歌声は、とても優しく美しいとあちこちで評判をお聞きしております。是非とも歌ってくださいませ、皆喜びましょう」

「あ、ありがとうございます」

 焦ってとにかくお礼を言って、真っ赤になる。

「では、どうぞこちらでご準備を」

 正面横側に作られた、衝立で囲まれた中にレイを案内して、執事は一礼して戻って行った。

「聞いちゃったら、歌わないわけにはいかないよね?」

 ニコスのシルフ達も笑顔で頷いてくれたので、レイはもう腹を括って三曲演奏させてもらう事にした。

 舞台横にいる係りの人に、演奏する曲の追加をお願いする。駄目だと言われたら諦めようと持っていたのに、是非何曲でもお願いしますと、満面の笑みで言われてしまった。

「じゃあ、頑張るね」

 用意してくれていた竪琴をそっと撫でて、今演奏している二人組が終わるのを待った。



 レイの右肩にはブルーのシルフが、それから左の肩には何人ものシルフ達が、まるでおしくらまんじゅうをするかのように押し合いっこをしながら並んで座っていた。


『素敵な演奏』

『優しい歌声』

『楽しみ楽しみ』

『楽しみ楽しみ』

『大好きだもんね』

『大好きだもんね!』


 声を揃えてそんなことを言われてしまい、レイは小さく笑ってそっとシルフ達にキスを贈った。

「じゃあ、ご期待に添えるように頑張ってみるから、聞いていてね」

 拍手の中、二人組が退場して来るのを見て、レイは立ち上がって交代して舞台へ上がって行った。

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