糸紡ぎと語らい

「まあまあ、楽しそうね」

 不意に横から声をかけられて、カーダーを手にしたレイは慌てて振り返った。

 そこには、執事に車椅子を押されたサマンサ様が、満面の笑みで自分達を見つめていたのだった。

「あ、あの……」

 慌てふためくレイに構わず、サマンサ様は先程のマティルダ様と同じくニーカを見つめた。

「貴女がニーカね」

 ごく小さな声でそう話しかけられ、笑顔で頷いたニーカはその場に跪いた。

「初めてお目にかかります。人が多いこの場で名乗らぬ無礼をお許しください」

 先程と同じ様にそう言い深々と頭を下げる。

 周りにいた巫女達やクラウディアも、慌てた様にそれに倣った。

 レイルズ様を挟んで、王妃様と並んで座っていた車椅子のこの老女が誰か分からない者は、この場にはいない。

「ああ、手を止めさせて悪かったわね。構わないから作業を続けて頂戴な。大切な花嫁の肩掛けを作るための糸だものね」

 優しい笑顔でそう言われた巫女達は、戸惑いつつも立ち上がり、改めて一礼してそれぞれの作業に戻った。

 ニーカも紡ぎ車の前に座ってゆっくりと糸紡ぎを再開した。



 その時、クロサイトの使いのシルフがふわりと浮き上がって、ニーカを中心に巫女達とレイルズ、そしてサマンサ様までを入れた範囲に薄い結界を張った。

 こうしておけば、よほどの大声を出さない限り結界の外の周りの人に聞こえる事は無い。

 そのまま、またニーカの肩に戻る。

 その様子を見たブルーのシルフは満足気に頷き、クロサイトのシルフは嬉しそうに胸を張った。




「とても器用にこなすのね。糸紡ぎは経験があるの?」

 手元を覗き込みながら、まるで子供の様な好奇心を隠そうともしないサマンサ様に、ニーカは小さく笑って頷いた。

「はい、タガルノでは、糸紡ぎは絨毯を織るのと並んで子供でも出来る貴重な仕事なんです。だからこれだけは、小さな子供も皆必死に覚えて器用にこなします。だけど、子供が使える紡錘車なんて殆ど無いから、自分で枝を使って作ったりもします。真っ直ぐな小枝を探すのが大変で、薪から削ったり、古い紡錘車の芯を使い回したりもしていましたね」

「まあまあ、なんて事……」

 驚きに声も無いサマンサ様に、ニーカはにっこりと笑った。

「荒れ地でも比較的栽培が容易な綿は、タガルノではよく栽培されています。春に種蒔きをして、秋に弾けた綿の実を収穫するんです。ワタの中にある粒状の硬い種を丁寧に取り除いて、綺麗に洗った綿を糸に撚っていきます」

 話をしながら、手は止まらずに器用に糸を紡いでいく。

「羊毛は、大人達が世話をしている大型で毛長けながの山羊の毛でしたね。これは春に刈り取りをします。収穫した山羊の毛は、汚れを出来るだけ取り除いたら雪解け水で増水した川から引いた水で洗い、沸かしたお湯で洗い、石鹸草と一緒に踏んで出た泡で油を落とすんです。それをまた何度も洗って、ようやく綺麗になると今度はその毛を紡ぎます。これは紡ぎ車を使っていましたね。それを何色にも染めて絨毯を織るんです」

「絨毯は、タガルノが唯一外貨を稼げるものですからね」

 説明を聞き頷いたサマンサ様の言葉に、ニーカは少し考えて首を傾げた。

「そうなんですか? 作っていた私達は、工房で手伝わされていただけでお金なんて貰った事は無いですね」

「あれ、ニーカは農場で働いていたんじゃないの?」

 横で聞いていたレイが、思わず口を挟む。

「ええ、そうよ。だけど、真冬は大地は凍てついてとても農作業なんて出来ないわ。だから、冬になると、交代で糸を紡いだり絨毯工房で働いたりしたのよ。絨毯を織るのは大変だったけど、唯一嬉しかったのは、あそこが一番食べ物が美味しかった事ね。冬に温かいスープが出たりしたもの。贅沢している気分になったわ」

「ええ、冬に温かいスープが出るのが贅沢なの?」

 また横から、レイが驚いた様にそう言って手を止める。

「レイルズ様、手が止まってるわよ。そうよ。特に冬場は、大抵がカチカチになった氷みたいな黒パンと干した野菜そのままだったもの」

「ま……真冬に、それだけ?」

 手を止めずに、クラウディアが小さな声で尋ねる。

「そうよ。水以外何にも食べられない日だってあったからね。黒パンなんて三日に一度くらいしか貰えなかったわ」

 平然と、壮絶な話をするニーカの背中を、サマンサ様はそっと撫でた。

 驚いて手を止めた彼女を見て、立つ様に促し、自分のすぐ側に来てもらう。それから身を乗り出す様にして彼女の細い体を抱きしめた。そして、すっかりふくよかになったその頬にキスを贈った。

「小さな勇者に心からの尊敬と祝福を。どうかこの国でもっとたくさんの幸せを見つけてね。きっともう、一生分の不幸は体験済みよ」

「あ、それは素敵な良い考えですね。それならもう残っているのは、きっと良い事ばかりですね」

「ええ、そうね。きっともっともっと良い事が沢山あるわ」

 手を離してくれたので、一礼して座り直してまた紡ぎ車を回し始めたニーカは、顔を上げて嬉しそうに笑った。

「レイルズ様には何度も申し上げましたが、私はこの国に来られて本当に幸せです。毎日お腹いっぱいご飯が食べられて、精霊魔法訓練所へ行けば、好きなだけ勉強が出来て好きなだけ本を読ませて貰える。そして、神殿では私にも出来る仕事が毎日ある。それがどれだけ幸せで贅沢なことなのか、私は知っています」

「ニーカ……大好きよ」

 その声と同時に突然聞こえた泣き声に、驚いたニーカとクラウディアが手を止めて振り返る。黙って聞いていたサマンサ様も、驚いて声の主を見た。



 その声はニーカの隣で糸を紡いでいたリモーネで、その後ろにはスピンドルで糸を紡いでいた二人の巫女も一緒になって泣いていたのだった。

「ええ、どうしたのよ?」

 驚くニーカに、立ち上がったリモーネが抱きつく。泣いていた二人の巫女達もその左右から抱きついた。

「大好きよニーカ。ここに来てくれて嬉しいわ」

「大好きニーカ。ごめんなさい。貴女がそんな辛い思いをしていたなんて、私、知らなくて……恥ずかしいわ」

 右側に抱きついて、謝りながら泣いているのは貴族出身の子で、いつも仕事が辛いと泣き言ばかり言っていた三位の巫女だ。

「ありがとう、皆大好きよ。これからも迷惑かけると思うけど。どうかよろしくね」

「私の方こそ」

「そうよ、私たちは皆家族よ」

「迷惑なんて思ったことは一度もないわ」

 笑顔で手を取り合って泣きながら笑い合う巫女達を、サマンサ様は優しい眼差しで見つめていたが、そっと胸元で祝福の印を切った。



「未来ある若者達に幸あれ。精霊王よ、女神オフィーリアよ、彼女達の進む苦難の道行きをどうぞお守りください」



 小さくそう呟くと、執事に指示を送り、静かに下がってレイルズの横に来た。

「可愛らしい子達ね。しっかり守ってあげるのですよ」

「はい。もちろんです」

 胸を張って笑顔で頷くレイにキスを贈り、それから手を止めたまま呆然とニーカ達を見ているクラウディアの手を取った。

 驚いた彼女が、慌ててサマンサ様に向き直る。

「光の精霊魔法の使い手である、精霊達に愛されし巫女よ。貴女の未来に幸あれ。どうかレイルズと仲良くね」

 最後はごく小さな声で囁く様に言われたので、彼女以外の人には聞こえなかった。

「あ、ありがとうございます……」

 取られた手を捧げる様に挙げて深々と頭を下げたクラウディアは、それしかいう事が出来なかった。

「邪魔をしてしまったわね。それじゃあ皆、頑張ってね」

 ようやく泣き止んだ巫女達に笑いかけ、サマンサ様も刺繍の机に戻って行った。

 巫女達全員とレイルズは、全員が一旦立ち上がってから跪くと、両手を握りしめて額に当てて深々と頭を下げた。

 クロサイトの使いのシルフは、改めてニーカの頬に、愛おし気に何度もキスを贈ったのだった。

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