糸紡ぎ
笑顔でレイルズが話す綿兎の話を聞きながらも、皆の手はずっと動いていて、細やかな刺繍を刺し続けている。
話が一段落したので、小さく咳払いをしたレイは、横からサマンサ様の見事な手付きを眺めながら過ごしていたが、自分の出来る事が無くなってしまい、少し時間を持て余していた。
「えっと、僕でも何かお手伝い出来そうな事ってありますか?」
確か、以前は細かいビーズを数えるのを後半は手伝った覚えがある。もしもあるのならお手伝いする気満々だったのだが、それは別の人達がもう始めていた。
「ああ、それなら力仕事を頼んでもよくて?」
マティルダ様の言葉に、手を止めたサマンサ様も笑顔で頷いている。
「はい、もちろんです!」
力仕事なら、もちろん喜んでやる。
目を輝かせる彼に、サマンサ様はミレー夫人に目配せをした。
一礼した夫人が立ち上がってすぐ側に来る。
「ではレイルズに、綿兎の毛をカーダーで整えてもらう様にお願いして」
「かしこまりました。ではレイルズ様。こちらへどうぞ」
サマンサ様とマティルダ様が笑顔で頷いてくれたので、レイは元気に返事をして立ち上がった。
ミレー夫人と一緒に、先程の綿兎の原毛が置かれた場所へ向かう。
「道具はこれをお使いください」
手渡されたのは、以前母さんが使っていた様なハンドカーダーと呼ばれる両手に持って毛を整える大きなブラシだ。
その大きな面には、少し先が曲がった尖った針がびっしりと付いている。これを両手に持ち、針の部分に引っ掛けた綿兎の毛の向きを交互に梳いて整えてやるのだ。
カーディングと呼ばれるその作業は、カーダーの面の針についた毛を互いに重ねる様にして、しかし針の部分は当たらない程度に何度も引かなければならないので、確かにかなりの力仕事だ。
「これなら分かります。出来たのは何処に置けばいいですか?」
「ああ、やり方はご存知なんですね。では出来上がったものはこれで軽く巻いていただいて、このお皿に並べてください。後程糸紡ぎの出来る者が来るので、渡してやっていただけますか」
「分かりました、じゃあ出来るだけやっておきます」
一礼して下がるミレー夫人にお礼を言って立ち上がったレイは、積み上がっている見覚えのある大きな袋を見て小さく笑い、一番上の袋をそっと手に取って椅子の横へ持って来た。
袋を足元に置いて用意された椅子に座る。
「シルフ、毛が飛び散らない様に止めてね」
頷くシルフ達を見て、レイはそっと袋の口を開いた。
中から見覚えのある真っ白な綿兎の毛が、ふんわりと盛り上がって来る。
「これくらいかな」
出来るだけそっと一塊り取り出し、両手で軽く引き伸ばして棒状にする。周りでは、ふわふわと飛び散った綿兎の毛をシルフ達が集めて袋に戻してくれている。
「ありがとうね」
それを見て、嬉しそうにお礼を言う。
「えっと、まずはこれをカーダーに引っ掛けます」
小さく呟いて、左手に持ったカーダーに、綿兎の毛を擦り付ける様にして一定方向に引っ掛けていく。
「これを梳いて、毛の向きを整えてやるんだよね」
右手で持った別のカーダーで、今擦り付けた綿兎の毛をゆっくりと何度も引いて向きを揃えていく。
「綺麗になったら、これで巻き取るっと」
用意されている細い棒を整った毛に沿って垂直に当てて端から丸めていく。こうしておけば、糸を紡ぐ時にそのまま使える。
「よし、じゃあどんどんやるよ」
小さく呟き、次々と手早くカーダーで毛を整えては巻き取っていった。
「まあ、ずいぶんと手慣れているのね」
しばらく、黙々と作業をしていたが、不意に背後から掛けられたマティルダ様の感心した様な言葉に、レイは手を止めて振り返った。
「ありがとうございます。毎年、冬の間はこればかりやっていましたから、慣れているんです」
感心した様に頷いて隣に座ってくれたマティルダ様は、綿兎の袋の横に置いてあった、あの不思議な駒の様なものを一つ手にしている。
「さっきから思っていたんです。それは何ですか?」
「あら、知らなくて?」
逆に驚かれてしまい、思わず顔を見合わせる。
「これは糸を紡ぐ道具よ」
「あれ、僕の知っている紡ぎ車は、もっと大きくてこんな大きな輪っかが付いていましたよ」
ゴドの村で母さんが毛糸を紡いでいたのも、大きな輪っかのついた足で踏む板が付いた紡ぎ車だった。
とても古いものだったらしく、使っているとすぐにどこかが引っ掛かって止まってしまい、その度にレイも手伝って修理をしていたのだ。ニコスが使っていたのも、もっと綺麗だったが似たような感じだった。
「これは紡ぎ車の中でも、携帯用の小さな物ね。
そう言いながら、駒を回す様に指で回しながら、細くした糸の先を芯の棒に巻きつけていく。
「紡ぎ車と理屈は同じよ。こんな風にして、駒を回しながら紡いだ糸を巻き取っていくのよ」
「へえ、初めて見ました」
手を動かしながら、手慣れた様子でマティルダ様が糸を紡ぐのを飽きもせずに見ていた。
優しい、母さんそっくりな声。でももう不思議と悲しくは無かった。
時折、顔を上げて目を見交わして笑顔になる。それだけで幸せになれた。
黙って、その幸せな時間を過ごしていると、数人の執事達が大きな紡ぎ車を持って来て、レイ達から少し離れた場所に、それを置いて一礼して下がって行った。
「あれ、どなたか他にも糸を紡いでくれるんですね。じゃあ頑張って、もっとたくさん作らないと」
既に、机の上に置かれたトレーの上には、巻き取った綿兎の毛が山積みになっている。
次の毛を取り出すために、レイはまた足元の袋の口をそっと開いた。
先程の針始めの儀式が行われた部屋に戻った巫女達は、指示された場所に紡ぎ車が置かれているのを見て笑顔になる。
「大きなのが三台ありますね。誰が使いますか?」
「あら、貴女とディアは決定でしょう?」
同じ二位の巫女のペトラの言葉に、クラウディアはニーカと顔を見合わせる。
「じゃあ、あと一台は私かな?」
一番年長のリモーネがそう言い、残りの二人もそれを聞いて頷いている。
「それじゃあ私達は、スピンドルで紡ぎますね」
そう言って、スピンドルを取りに行った二人の巫女達が途中で立ち止まる。
「どうしたの……」
そう言ったリモーネも、言葉が途切れたきり動きが止まってしまった。
「どうしたんですか?」
ニーカがそう言って、後ろから覗き込む。
「あら、レイルズ……様」
いつもの癖で呼び捨てしそうになり、慌てて様をつける。
「あれ、ニーカ、ディーディーもどうしたの?」
カーダーを動かしながら、嬉しそうなレイが顔を上げる。隣では、スピンドルを回しているマティルダ様が笑顔で彼女達を見ている。
「し、失礼を致しました!」
慌てた様子で、リモーネがその場に跪く。全部で六人の巫女達は、その場で握った両手を額に当てて跪いた。そのまま深々と頭を下げる。
「まあまあ、どうぞ立って頂戴な。ここはエンブロイダリービーの場よ。跪く必要は無くてよ」
優しくかけられた言葉に、戸惑う巫女達だったが、最初に顔を上げたのはニーカだった。
彼女の肩に座っているシルフを見て、マティルダ様は笑顔になる。
「貴女がニーカ?」
ごく小さな声で話し掛けられて、ニーカは笑顔で頷いた。
「はい、初めてお目にかかります。人が多いこの場で名乗らぬ無礼をお許しください」
笑顔でそう答えて、軽く膝を折る。
「構わないわ。そのままでね。会いたかったわ。神殿での勤めはどう? 辛くはなくて?」
優しい言葉に、ニーカは驚いて顔を上げた。
「とんでもありません。ここの方は皆、本当に優しい方ばかりです。私、私……ここに来られて、とても幸せです」
「そう、そう言ってもらえるのなら良かったわ」
優しくそう言い、そっとニーカの頬を撫でた。
巫女達は黙って背後に控えて、その様子を半ば呆然と見つめていた。
彼女が竜の主である事は、理解しているつもりだった。
しかし、王妃様と臆せず話すその小さな後ろ姿には、確かに自分達には無い不思議な自信と誇りが感じられるのだった。
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