綿兎の原毛

「レイルズ様がいらっしゃるなんて、驚きだったわ!」

「素敵だったわね」

「王妃様や皇太后様と、あんなに親しげにお話をされているなんて」

「さすがね」

「でも、図案を見て迷う事なく刺しておられたわ。図案の見方をご存知なのね」

「素敵。剣の腕だけじゃなく、お裁縫までなさるなんて」



 裏部屋に戻ると、持って来ていたミスリルの鈴を専用の箱に丁寧に汚れを拭ってから納めていく。

 手を動かしつつ話される無邪気な巫女達の噂話に、クラウディアは困った様に小さく深呼吸をして自分が持って来た鈴の箱の蓋を閉じた。

 まさか、花嫁の為の針始めの儀式に彼が来ているなんて思ってもいなかったけど、少しでも仕事中の彼を見る事が出来て嬉しかった。

 しかし、王妃様や皇太后様とあんな風に親しげに話をしているのを目の当たりにすると、やはり自分なんかとは住む世界が違うのだと思い知らされてしまう。



「駄目、これ以上考えちゃ駄目」

 小さく呟いて頭を振る。

 これ以上考えたら、また良く無い方向に思考が向くのはもう何度も経験済みだ。

「彼は、今の私が良いと言ってくれたわ」

 またごく小さな声で、自分に言い聞かせる様に呟く。

「大丈夫、私は私よ……」

 隣では、ニーカが何か言いたげにそんなクラウディアを横目で見ていたのだった。



 その時、僧侶が部屋に入って来て軽く手を一度だけ叩く。全員が手を止めて顔を上げる。

「ところで、紡ぎ車は使えますね」

「はい出来ます」

 それには全員が頷く。

「ここに最高級の綿兎の原毛が沢山届いております。それで花嫁の肩掛けの刺繍の為の極細糸を追加で紡いで欲しいそうなのですが、出来ますか?」

 頷いて手を挙げたのは、今度はクラウディアとニーカの他は、数名だけだ。

 刺繍用の極細糸は、紡ぎ車で紡ぐのにはかなりの技術がいる。ましてや、花嫁様の為の刺繍用の極細糸となると、腕に自信が無いものは怖気づくだろう。

「では貴女達はこちらへ、後は担当に戻ってください」

 僧侶の指示で、残る者と戻る者に分かれる。

「じゃあお願いね」

「ご苦労様、頑張ってね」

 手を振り合い、足早に戻る巫女達を見送った。

「それでは、貴女達はこちらへ。荷物はそのままで結構よ」

 促されてもう一度先程の部屋に戻る。

 そこにまさかの人物が座っていることなど、知る由も無いのだった。





 一礼して下がる巫女達を見送ったレイは、小さく深呼吸をして顔を上げ、あちこちで針が手渡されるのを飽きもせずに見ていた。

「えっと、針始めの儀式は、これで終わりなんですか?」

 確か、もう終わりだと仰っていたはずだが、誰も帰ろうとしない。

「ええ、儀式はここまでよ。この後は、エンブロイダリービー。つまり、皆で手分けして、刺繍を本格的に刺し始めるの。儀式はひと針だけだけど、後は出来るだけ、ね?」

 嬉しそうなその言葉に、マチルダ様が何を言わんとしているのか珍しく察したレイは、慌てて顔の前でばつ印を作って見せた。

「無理です、僕は見学させていただきます」

 そう言いながら必死になって首を振る。

「あらあら、残念だわ。また可愛らしい小花を刺してもらおうと思っていたのに」

 サマンサ様の言葉に、レイはまた振り返って必死になって首を振り続けた。

「じゃあ、何を手伝ってもらおうかしら?」

 どうやら、お二人の言葉は本気ではなかったらしく、レイが本気で無理だと言っているのが通じた様で、それ以上は無理に言われる事は無かった。




 そろそろ、縫い終わったミスリルの針があちこちから小箱に戻されるのを見ながら、ふと気になっていたことを質問した。

「あの、さっきから気になっているんですが、あの奥の壁側に積んである袋って……」

「ああ、あれは綿兎の原毛よ。あれを紡いで刺繍用の糸にするの。綿兎の原毛から紡がれた糸は、不思議な事に虫がつかないのよ。だから刺繍用の糸としては最高の品ね」

「綿兎の……原毛……」

「あの印のある綿兎の原毛は、個人の方が作っているのだと聞いたわ。だけど最高級品として扱われているのよ。ドワーフギルドから、毎年献上品として届けられているわ」

 嬉しそうなサマンサ様のその言葉に、マティルダ様をはじめ、声が聞こえていた多くの女性達が頷いている。

「へえ、そうなんだ。最高級品なんだ」



 それを聞いてなんだか嬉しくなって来た。



「ねえ、あれって僕らが作ったんだって言っても良いかな?」

 出来るだけ小さな声で、側にいたニコスのシルフにそう尋ねる。


『だめよ』

『貴方の出身地に関しては話して良い事は決まっている』


 しかし、残念ながら真顔のニコスのシルフ達に止められてしまった。

「あ、そっか、じゃあ駄目だね」

 綿兎がどれだけ可愛いか話したかったのだが、どうやら詳しい出身地に関わるので無理の様だ。


『蒼の森の名前を出さなければ良いよ』

『辺境の森林地帯では綿兎の毛は高額買い取りされるから』

『何処の村でも必死になって集めるんだよ』

『だけどなかなか捕まらないし洗浄が大変』

『普通は水で洗って何度も晒してゴミや汚れを取るの』

『だけどどうしてもいくらかの汚れは残る』

『逆に蒼の森産の原毛は完璧に綺麗』

『シルフとウィンディーネが全部精霊魔法で洗浄するからね』

『なので蒼の森産だけに最高級の称号が与えられているの』

『オルベラートにも少しだけど輸出されているよ』

『ニコスが昔蒼の森の綿兎の毛を梳きながら驚いていたもの』


 自慢げに話される内容に、レイは目を輝かせた。

「じゃあ、僕も梳いた事があるって言って良い?」


『それは良いよ』


 笑顔で頷いてくれるその言葉に嬉しくなって、レイはマティルダ様を振り返った。

「マティルダ様は、綿兎ってご覧になった事がありますか?」

「ええ? 綿兎はさすがに無いわ」

「僕はありますよ」

 得意気なその言葉に、マティルダ様だけでなく、サマンサ様を始め大勢の女性達から大注目を集めた。

 そこでレイは、少しだけ綿兎の毛を梳いた時の事を話した。



「えっと、これくらいの大きさで、それはもう本当に軽くてふわふわなんです。春の初めに冬毛が抜けるのでそれを梳いてやるのですが、とにかくふわふわで軽いので、梳いたらすぐに集めないと飛んでいってしまって大変なんです」

 身振り手振りを交えて話す毛梳きの様子を、皆感心したように聞いてくれた。

 あまり詳しく話すと、いろいろとまずい事まで話してしまいそうなので、途中の工程は少し省略して、洗うのは本当に大変なんです。程度で誤魔化しておいた。



 机の上では、ニコスのシルフ達だけでなくブルーのシルフまで現れて並んで座り、笑顔で楽しそうに話すレイの様子をじっと愛おし気に見つめていたのだった。

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