ミスリルの針

「それでは、まず型紙の写しを始めましょう」

 儀式の始めを宣言した年配の僧侶の言葉に、皇族の女性達が頷く。

 手にしたのは、見たこともない不思議な形をした分厚い紙のようだ。

「あれは何ですか」

 思わず小さな声で、反対側にいるサマンサ様に尋ねる。

「あれが肩掛けの型紙よ。あれを今から一枚ずつ順番に生地に写し取るの。それが終われば、今度はその中に刺繍の図案を描くのよ」

 目を瞬くレイに、サマンサ様だけでなく周りにいた女性達も楽しそうに笑う。

「今は、どうぞそこでご覧になっていてください。これは技術のある者で無いと綺麗に写し取るのは難しいですわ」

 振り返ったスカーレット様の言葉に、どうやら無理に参加しなくてもいいのだとわかり安心した。

「はい、ではしっかり見学させていただきます」

 嬉しそうなその言葉に、また周りの女性達が笑う。優しい、鈴を転がすような笑い声に、レイも笑顔になるのだった。



 何人かで手分けして、あっという間に綺麗に型紙が写し取られる。

「あ、これってこの前のチェルシーの肩掛けの時と同じですね」

 確か、あの時もこんな風に生地に描かれた不思議な模様の上に刺繍していた。

「ええ、そうですよ。こうやって型紙を写し、刺繍を完成させてから仕立てをするのよ。もちろんそれは、専用の技術を持った職人がやってくれるわ」

 嬉しそうに頷くレイに、スカーレット様も笑顔で頷いてくれた。



 部屋では型紙を写している間中、ずっと一定のリズムでミスリルの鈴が鳴らされている。シルフ達はその度に嬉しそうに飛び跳ねたり手を叩いたりしていた。




「それでは続いて、図案の写しを行います」

 僧侶の言葉を合図に持って来られたものを見て、レイはまたしても首を傾げた。

 どう見ても、よくわからない曲がりくねった線が描かれているだけのように見える。しかもその線の部分が細かく切り取られていて、点々になった線が見える。

「ええ、あれが図案? 何がどうなってるんだろう?」

 身を乗り出す様にして見ていると、一枚ずつ番号が振ってあるのに気が付いた。

「あの番号は何ですか?」

「あの番号が全部重なると一つの模様になるのよ。複雑な模様だから、何段階にも分けて刺繍をするの。だから写す模様も複雑になるのよ」

 サマンサ様の言葉に、納得して改めて模様を見てみる。

 これも数人の人が手分けして、線の切り取られた部分にペンを置いてあっという間に模様を描いていく。



 薄い水色や、ごく薄い黄色、それから薄紅色。紙ごとに色分けされた図柄を全部重ねて見ると、不思議な事に模様が浮かんで来た。



「あ、花の模様ですね。えっと、何の花ですか?」

「青い芥子の花よ。ブルーポピーとも呼ばれるわね。竜の背山脈のみに咲くとても珍しい高山植物よ。我が国の皇族の女性の肩掛けには、伝統でこの花の模様が使われるの。刺繍は全て真っ白なんだけれども、胸元に一輪だけ青い色で花を刺すの。精霊の青と呼ばれて、祝福の証とされるのよ」

 サマンサ様の言葉に、レイも笑顔になる。

「素敵ですね」

「そうね。花嫁の肩掛けを作り始めるこの儀式は、何度やっても楽しいわ。私まで幸せになれるのよ」

 まるで少女の様な笑顔でそう言うサマンサ様に、レイも満面の笑みになった。




 最後の作業を見ていると、向かい側の端にいて立ち上がって作業をしている人が、見覚えのある人なのに気が付き、思わずそっちを見る。

「あ、リリルカ夫人だ」

 彼女は真剣な面持ちで、レイにはさっぱり分からない複雑な模様をいとも簡単に写し取っている。

「ええ、彼女は皇族の針始めの儀式の時にはいつも手伝ってもらっているわ。さすが、職人は手付きが違うわよね。本当に見事だわ」

 サマンサ様の言葉に、隣で聞いていたマティルダ様も頷いている。

 話をしている間に、もう図案の写しも終わった様だ。




「それじゃあ、いよいよ縫い始めね」

 マティルダ様が嬉しそうにそう言うと、側に置いてあった小さな金属製の小箱の蓋を開いた。

「ええ、それはもしかしてミスリルですか?」

 見慣れた輝きに、思わずそう尋ねる。

 小箱の中には、沢山のミスリルの輝きを放った細い針が収められていたのだ。

「ええそうよ。ミスリルはとても硬いから、こんな風に穴を開けるのは大変なんですって」

 そう言って、ミスリルの針を一本抜き取る。

 渡された白い糸を易々と穴に通すのを、レイは感心して見つめていた。

「まあまあ、お針仕事を見るのは初めてございますか?」

 向いに座ったミレー夫人の言葉に、レイは照れた様に肩を竦めた。

「えっと、カウリの奥様の肩掛けの刺繍の時に、少しだけ参加しました。でも、渡されたのを刺しただけです」

 リリルカ夫人は何か言いたげだったが、レイが必死で目配せをしたので何も言わないでくれた。

 しかし、そんな気遣いをマティルダ様は笑顔で見事に打ち砕いてくれた。

「まあ、でもあの時はとても可愛い小花を一輪刺してくれたのに」

「だから、それは違うんですって!」

 慌てた様に必死で首を振って力説する。

 このままだと、また刺繍をさせられそうで、必死になって首を振った。

「綺麗に出来ていましたわよ」

 サマンサ様までがそんなことを言い出し、レイは困った様に眉を寄せる。

「お二人が誤魔化してくださらなかったら、せっかくの肩掛けの刺繍が台無しになっていたところです」

「じゃあ今度は少しでも構わなくてよ」

 笑ったマティルダ様の言葉に、レイは嬉しそうに元気な返事をして、また皆に笑われたのだった。



「まあまあ、なんて無邪気な事」

「本当に、可愛らしくてね」

「自覚が無いのもね」


 小さなささやきに、密かに真っ赤になるレイだった。



「では、一番針を」



 立ち上がったマティルダ様が、手にしたミスリルの針で、模様の一つに裏側から針を刺した。

 一斉にミスリルの鈴が鳴らされる。

 スルスルと糸を引き出し、別の箇所に差し込んで糸を引き込む。

「ほら、この針を抜いて頂戴」

 また裏側から刺された針を見て、マティルダ様が笑顔でそんな事を言う。

「ええ、僕がやってもよろしいのですか?」

「もちろんよ、ほら早く」

 周りも皆笑顔で見つめている。

「わかりました。失礼します」

 立ち上がり、右手でそっとミスリルの針を掴んで引っ張る。

 するとすぐにニコスのシルフが飛んできてくれて布の上に立ち、ある一箇所を指差す。


『ほらここに刺して』


 小さく頷き、レイがそこにそっと針を刺すのを見て、あちこちから感心した様なため息が漏れる。

「えっと……」

 以前は、リリルカ婦人が裏側から引っ張ってくれたのだが、これはどうすれば良いんだろう?

 戸惑う様にマティルダ様を見ると、にっこり笑ってサマンサ様をそっと示した。

「お、お願いします」

 小さな声でそう言うとサマンサ様は笑顔で頷き、生地の裏側に手を入れて針を引っ張ってくれた。

 そのまままた別の箇所に針が出るのを見て、手を出そうとしたらニコスのシルフに止められた。


『これは一針だけで良いんだよ』

『一回りするのを待ってね』


 そのままサマンサ様がまた別の箇所に差し込み、裏から差し込んだ針を隣のスカーレット様が引き抜くのを、レイは目を輝かせて見ていた。



 最初の糸が短くなったところで、一旦止められ、また新しい糸がミスリルの針に通される。

 しかし、今度は何本もあったミスリルの針があちこちに渡され、何人もが糸を通して刺繍を始めたのだ。

「最初の一本が終われば、ああやって全員がひと針だけミスリルの針で刺すのよ。ミスリルは完全なる金属と呼ばれていて、錆びることが無いの。だから、常に輝いていられる様に、最初の部分はミスリルの針を使うのよ」

「素敵ですね」

「針始めの儀式はここまでよ。ずっと鈴を鳴らしてここを聖なる場所として守ってくれた女神の神殿の巫女達や僧侶達にも針を刺してもらうわ。刺してくれる人は、多いほど良いとされていますからね」

 嬉しそうなサマンサ様の言葉通り、ミスリルの鈴の音はいつの間にか止んでいる。

 振り返ると、巫女達が机の端に並んでミスリルの針が空くのを待っている。

 順番に針が渡され、彼女達も嬉しそうにひと針だけ刺すのを、レイは目を輝かせて見つめているのだった。



 しかし、残念ながらその場では言葉を交わす暇はなく、一礼した巫女達はそのまま退場してしまった。

 ちょっと残念に思いつつも、思わぬ彼女の普段の姿を見られて、密かに喜んでいたのだった。

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