ゲルハルト公爵邸へ

「レイルズ様、そろそろ起きてください」

 控えめなノックの音がした後、扉が開いてラスティが入って来た。

 少し前に、部屋の結界を解いていたブルーのシルフは枕元に座ったまま、着替えを持って入って来たラスティを黙って見ている。

「おやおや、よくお休みですね」

 ぐっすりと眠っているレイを見て、ラスティは困ったようにそう呟いてため息を吐いた。いつもならゆっくり休ませてやるところだが、今日は予定があるので起きてもらわなければならない。

「レイルズ様。そろそろ起きてください」

 小さくため息を吐いたラスティは、耳元に口を寄せて少し大きな声で話しかける。

 嫌がるようにレイが唸り声を上げて枕にしがみつく。

「起きてください」

 笑ったラスティが無防備な耳の後ろの辺りを突っつくと、飛び上がったレイはいきなり起き上がった。

 慌てたラスティが、即座に後ろに飛んで下がる。

「うわあ。そこは駄目だって!」

「よし、石頭攻撃を避けた!」

 レイの悲鳴と、右の拳を握って叫んだラスティの言葉が重なる。二人揃って一瞬の沈黙の後同時に吹き出した。

「ラスティ酷い!だけど、避けてくれてありがとうね」

 笑ってそう言い腕をついて起き上がったレイは、大きな伸びをしてから顔を洗いに洗面所へ向かった。

 豪快に寝癖の付いた耳の後ろを見て、毛布を手に畳もうとしていたラスティは慌ててそれを置いて後を追った。

 あれは絶対に鏡を見ても気づかない位置だろう。

「レイルズ様、ここ、寝癖が大変な事になっていますよ」

 自分の耳の後ろを指差しながらそう言って手鏡を渡してやる。

 もらった手鏡で合わせ鏡にして言われた場所を確認したレイは、照れたように笑って振り返った。

「ありがとう、全然気付いてませんでした!」

 急いで髪を濡らすのを見て、小さく笑ったラスティは一礼して下り、まずは置いてあった毛布を畳んだ。




 少し休んでから身支度を整えたレイは、ルークとカウリと、それから護衛の人達と一緒に、それぞれラプトルに乗って一の郭にあるゲルハルト公爵の屋敷へ向かった。

「ねえ、カウリは知ってる?」

 何となく隣に来たカウリに、レイは並足でラプトルを近付けてカウリに話しかけた。

「ん? 何がだ?」

 そこで、レイは今朝の朝練でキルートと手合わせをした後、彼の装備について聞いた話をした。

「ああ、護衛専門の特別護衛班の兵士達は、専用の防具だけじゃなく、確かに色々な個人装備を持ってるって聞くな。俺もさすがに全部は知らないよ」

「あれ、そうなんだ」

 カウリは何でも知っていると思ったが、さすがにこれは知らなかったらしい。

「だけど今言ったその特殊な防具ってのは知ってる。現物は見た事無いけど、とんでもない値段だからな。納品された時の伝票の金額が凄い事になってるのは知ってる。それに、その在庫の管理には俺達は関わらないんだ。納品されたらそのまますぐに使用する担当者へ渡されるからな」

「へえ、そうなんだ」

「あれは言ってみれば個人装備に近いからな。全部のサイズを測って、それぞれの身体にぴったり合った物をつくるんだから、他の人では使えないんだよ」

 驚いたレイは、後ろを振り返ってキルートを見た。

 彼だけでなく、他の護衛の兵士達も笑って頷き、揃って自分の胸元を親指で叩いた。

 それならここにありますよ、と示したのだ。

「へえ、凄いね。マーク達は訓練の時の防具は沢山ある中から自分に合ったのを借りるって聞いたよ」

 前を向いたレイの言葉に、カウリが笑う。

「そりゃあお前、護衛の彼らが装備してる防具は、見た目に分からないような厚みだけど、間近から刺されたとしても、鋼の短剣程度なら余裕で防ぐって聞いたぞ。さすがにミスリルは防げないだろうけど、もしも襲撃犯がミスリルの剣を持ってたら、そもそも防具なんて何を装備してても無駄だってな」

 カウリの言葉に、後ろで聞いていたキルート達が揃って笑って頷いている。

「つまり、一般兵達が訓練で使ってるような分厚い防具と彼らが装備している防具は、作りそのものが全く違う。それは言ってみれば、護衛の兵士専用に研究され開発された特殊な防具な訳で、まあ要するに、出来上がるまでに相当の金が掛かってるから高いんだよ」

 笑ったカウリの言葉に、それでも真剣な顔でレイは頷いた。

「命を守る値段だと思えば、どれだけの値段でも、それは高く無いと思います」

「同意しかないね。守られてる側としては、彼らに感謝しなくちゃな」

 後ろを振り返って手を上げると、護衛の兵士達も笑って敬礼を返してくれた。




 そんな話をしているうちに、見覚えのあるゲルハルト公爵の屋敷に到着した。

 門の前では執事が待っていて、ラプトルを降りた彼らをそのまま中に案内してくれた。護衛の兵士達とはここから別行動だ。

「僕達が夕食を頂いてる間、キルート達ってどうしてるの?」

 歩きながら小さな声で尋ねる。

「別室で待機だよ。護衛や付き添いの人がいる時は、当然、招待側が彼らの分の食事の用意もしてくれているから安心して良いぞ」

 カウリはこんな風に、レイが内心で心配している事を当然のように理解して説明してくれる。

「そうなんだね。ありがとう勉強になりました」

 そう言った時、部屋から子供達が駆け出して来てレイに飛び付いた。

「相変わらず元気だね、二人とも」

 笑ったレイが軽々と二人を受け止めて、手を叩き合った。

「ようこそ。もう、二人揃って朝から大騒ぎだったんだよ」

 笑顔のゲルハルト公爵に、三人は順番にあいさつをした。

 子供達はレイが挨拶をする時は離れてくれたので、落ち着いて挨拶する事が出来た。



 ひとまず、広い応接室に通された。

「あれ、猫がいる」

 応接室には、妙に見覚えのある毛の長い猫が一匹、堂々と寝そべってソファーを独り占めしていた。

「奥殿の猫達に子供が産まれて、一匹譲って頂いたんだよ」

 公爵の言葉に、レイは驚いて起き上がった猫を撫でた。

「ええと……もしかして君はパセリ?」

「ええ! どうしてわかったんですか?」

 少年達の声に、レイは笑って猫を抱き上げた。

「この子がまだこれくらいの時に奥殿で一度会ってるんだ。そっか、君はゲルハルト公爵様の所がお家になったんだね。良かったね」

 抱き上げられても嫌がりもせず、大人しくしているその猫を見て、カウリは密かに感心していた。

 動物に好かれるレイはここでも健在だったようだ。普通、来客にあれほど最初から友好的な猫は珍しい。

「ずいぶんと大人しいんですね。うちのペパーミントは、元気いっぱいですよ。俺はつむじ風って呼んでます」

 笑ったカウリの言葉に、少年達はパセリと兄弟のカウリの家の猫の事を聞きたがり、用意されたお茶を飲みながら、猫談義に花が咲いた。

 広い応接室は、楽しい話題で笑いが途切れる事はなかった。



 部屋に勝手に集まって来たシルフ達は、レイが抱いている猫の耳や背中の毛をこっそり引っ張り、好き勝手に遊んで猫に嫌がられていたのだった。

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