ヴィゴの武勇と花まつりの四日目の朝

「それじゃあ戻りますね」

 ひとしきり笑い合った後、ルークがそう言って立ち上がって大きく伸びをする。

「良い酒だったよ。また飲もう。次は俺の秘蔵の酒を出してやるよ」

「あはは、楽しみにしてます。それじゃあ」

 椅子を戻して出て行こうとした時、ヴィゴが不意に顔を上げた。

「ああ、さっきの話だけど、一つ間違って伝わってる事があってな。良い機会だからお前には話しておこう」

「え? さっきの話って?」

 出て行こうとしていたルークが、思いの外真剣なヴィゴの言葉に足を止めて驚いて振り返る。



「俺が、国境の十六番砦で大怪我をした時の話さ」



 真剣な顔のヴィゴと目が合い、戸惑うようにルークは首を傾げる。

 さっきの話は、ヴィゴの武勇を語る上で絶対に語られると言っても過言ではない話だが、その話に間違いがある?

「ええ、いったい何なんですか? あ、砦を出て行った時は一人じゃなかったとか?」

 考えられるとしたら、それくらいだろう。

 何人かの勇者が飛び出したが、一番目立った人物の武勇だけが言い伝えとして残る。これは実際、あり得ない話では無い。

 しかし、もしもそうなら、ヴィゴの性格なら絶対に否定してまわり、真実を大きな声で話すだろう。

 それなのに、今更何が違うと言うのだろう。それも、良い機会だから自分には話すと言ったのだ。

 不思議に思ってヴィゴを見ると、彼は笑って肩を竦めた。

「いや、出て行ったのは、正真正銘俺一人だよ。俺が騎竜に括り付けて行ったのは、精霊王の象徴である、柊の刺繍が入った黄色に紺色の縁取りがしてある分厚い布だった。とにかく夜目に目立つものをと思い、咄嗟に精霊王の祭壇に敷かれていたその敷布を拝借したんだ。それを先の折れた旗棒に突き刺して括り付けて出て行ったのさ。だからその布の位置は、ちょうど俺の頭の上辺りだったな」

 そう言って、頭の上に手をやって軽く振る。




 国境の砦には、兵士達の詰所の壁面に作り付けられた大きな祭壇がある。その祭壇には、精霊王と軍神サディアスの像が祀られている。

 そしてその彫像の足元は、常に無地の生地に綺麗な柊の刺繍が施された敷布が敷かれている。色の指定は無いため、様々な意匠の施された敷布が存在する。それを専門に作る職人がいるくらいだ。

 それらは基本。二メルト四方は余裕である、正方形の大きな布だ。

「ええ? つまり旗は祭壇の敷布で、しかも黄色に紺色の縁取りだったんですか?」

 驚きに目を見張るルークに、苦笑いしたヴィゴが頷く。

「ええと、それならどうして赤なんて間違いが……」

「その状態で、父上から贈られたミスリルの長剣を抜いて戦った。正直言って何人切ったか覚えていない。終わった時には、ミスリルの剣の先は斜めに折れて無くなっていたほどだったよ」


 その、色の違いと言葉の意味に思い至ったルークの動きが止まる。



「もしかして、砦を出て行った時は黄色だったけど、戦いが終わった時には……頭の上にあった旗までもが、返り血で真っ赤に染まっていた。って事……ですか?」



 無言で頷くヴィゴに、ルークは絶句する。



 そうなるには、どれだけ多くの血が流されたのだろう。

 数多くの戦いを経験しているルークでさえ、そんな状況を考えただけで足が竦む。

「まあ、そんな訳だからいちいち否定して回るのも問題があろう。それでもう放ってあるのさ。少し考えれば、わずかな月明かりしかない戦場で赤い旗が目に付くかどうか判りそうなものなのにな」

「た、確かに黄色の硬い布なら絶対目立ちますよね」

「だろう? とにかく、注目を集めて目の前で司令官を切れば、少なくとも戦線は崩壊するからな。そう思って必死だったんだよ」

 何でもない事のように言われて思わず頷きそうになるが、これは誰にでも出来る事ではない。

 黙って首を振ったルークは、小さなため息を吐いて顔を上げた。



「心から尊敬しますよ。貴方のその勇気に栄光あれ」

 そう言って、ルークは持っていた竜騎士の剣を軽く抜いて一気に戻す。

 ミスリルの火花が散り、シルフ達が現れて大喜びで手を叩いていた。

「それじゃあ、もう戻りますね。おやすみなさい」

「ああ、おやすみ。良い夢を」

 笑って手を挙げて、部屋を出ていくルークの後ろ姿を見送り、扉が閉まるのを見てからヴィゴは深呼吸をした。

「ちょっと飲み過ぎたな。湯を使って寝るとしよう」

 空になった摘みの食器とグラスをまとめて並べると、ヴィゴは湯を使うために湯殿へ向かった。




「本当に、いつまで経っても絶対追いつけないよ。凄すぎる」

 廊下に出たルークは一度だけため息を吐き、そう呟くと自分の部屋に戻って行った。

 そんな彼らを、シルフ達が黙って見送っていたのだった。






 翌朝、少し雲は多いが差し込む日差しに照らされて、レイは顔をしかめて毛布の中に潜り込んだ。

 シルフ達が前髪を引っ張って起こそうとしてくれている。


『おはようおはよう』

『起きて起きて』


 何とか起き上がって大きな欠伸をしたレイは、枕元に座っているブルーのシルフに笑って手を振った。

「おはようブルー。昨日は長い一日だったね。今日は何をするのかな?」

 大きく伸びをしていると、ノックの音がしてラスティが入って来た。手には白服を持っている。

「おはようございます。朝練に行かれるのなら、そろそろ起きてください」

「はあい、顔を洗って来ます」

 元気に返事をすると、急いで洗面所へ向かった。




「おはようございます」

 廊下には、ルークとヴィゴの二人が待っていてくれた。

 目を輝かせて挨拶するレイに、何となく元気の無い二人が笑って挨拶を返してくれた。

「どうしたの、ルーク。何だか元気が無いみたいに見えるけど、大丈夫?」

「ああ、気にしないでくれ。ちょっと飲み過ぎ」

 笑ってそう言うルークの横でヴィゴも笑って頷いている。

「若竜三人組も、今日は参加する予定だったんだけどなあ」

 苦笑いしながら彼らの部屋を指差す。

「昨夜は三人で飲んでたらしいからさ。大騒ぎだったみたいだから、まだ誰も起きて来てないんだって」

「まあ、朝練は強制では無いからな。では行くとしよう」

 ヴィゴの言葉に、ルークとレイは笑って返事をして、三人揃って訓練所へ向かったのだった。



 準備運動と走り込みの後は、ヴィゴの指導の元、木剣でルークに相手をしてもらった。

 それから木剣でヴィゴと手合わせしてもらい、最後は思い切り叩きのめされてしまい、吹っ飛んで意識を飛ばしたのだった。




「今日は、午前中はゆっくりしてくれて良いぞ。午後からは、城の中庭で花の品評会があるから、それを見に連れて行ってやるよ。クローディアとアミディアが育てた花も参加しているらしいからさ」

 目を輝かせて振り返ると、ヴィゴは笑って頷いた。

「毎年参加しているんだが、これが中々この時期に花を咲かせなければならず、かなり大変らしい。今年は大輪の花が咲いたと大喜びしていたからな。上手く行ったらしいぞ」

「じゃあヴィゴも一緒に行くんですね」

 嬉しくなってそう言ったがヴィゴは首を振った。

「悪いが、今日は来客があってな。ルークとカウリが一緒に行ってくれるから見て来てくれるか」

「ええ、ヴィゴは見ないの?」

「ああ、もちろん見たよ。だから気にせず行って来てくれ」

「分かりました。じゃあ楽しみにしてます」

 嬉しそうなレイの言葉にヴィゴも笑顔で頷き、レイの真っ赤な赤毛を突っついた。



 廊下の窓からは、ようやく雲が切れて明るくなった空から優しい春の光が差し込んでいたのだった。

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