騒ぎの裏で

「何か問題ですか?」

 ルークは、わざと平然と聞いてやる。



 ミレー夫人は、驚いた様に目を瞬いてルークを見上げた。

 彼女は、なんの事だと言って、ルークが知らぬ振りをすると思っていたのだ。

「それはつまり……竜騎士隊の方は、そのおつもりだと?」

「それは今、ここでする様な話ではありませんね。ですがこれだけは申し上げておきます」

 思いの外強い口調のルークの言葉に、ミレー夫人は密かに息を飲む。

「その場に俺も一緒にいましたよ。だけど、敢えて止めなかったその意味をお考えください」

「し、失礼いたしました……」

 慌てた様なミレー夫人の言葉に、一転してルークは優しい声になる。

「まあ、どちらもまだまだ子供ですよ。本当の、男女の付き合って訳じゃあありませんからね」

 含みを持たせてわざと軽い言い方にしてやると、夫人はあからさまにほっとした様な顔になる。

「そうですわね、微笑ましい子供の初恋ですものね」

「そうですね、ご理解頂けて心から感謝致します」

 態とらしく一礼するルークに、ミレー夫人も態とらしく頷いて見せる。

 にっこりと笑い合った二人は、もう一度一礼して素知らぬ顔で別れたのだった。



『狐と狸の化かし合い、此処に極まれり。だな』

 呆れた様なブルーのシルフの言葉に、ルークは小さく吹き出す。

「酷え言われ様だな。言っておくけど、こんなのまだまだ可愛いもんだぞ」

『理解出来ん』

 本気で言ってる嫌そうなその言葉に、ルークはもう一度、今度は遠慮なく吹き出した。

「まあ、今のうちにしっかり見て勉強しておくれ。大事な坊やの今後に関わる事だからな」

 鼻で笑ったブルーのシルフは、そのままくるりと回って消えてしまった。

「さすがの古竜にも苦手はあるってか。さてと、この後が大変だ」

 一応レイルズには、花祭りの会場で花束を今年も取ろうとした話はしないように言ってあるのだが、手練れのご婦人の誘導尋問に引っかかる可能性もある。

 そろそろ助けに行ってやるべきだろう。

 小さく深呼吸をしたルークは、ご婦人方に取り囲まれている赤毛の元へ向かったのだった。



「えっと、あの……」

 ちょうどルークが近寄った時、タドラとクローディアの話から、その後巫女様とは如何ですかと聞かれて、何と答えようかと困っていたところだった。

「レイルズ。これだろう? 以前言ってたスフレケーキって」

 新しいお菓子が追加されたのを見て、絶妙のタイミングでルークが助け舟を出してくれた。

「ええ、どれですか?」

 目を輝かせてレイルズが振り返った瞬間、ルークは今まさに問い詰めようとしていたイブリン夫人に、ややきつめの目配せをしてそっと首を振る。

 一瞬口籠ったその夫人は、にこりと笑ってルークに一礼すると、嬉々としてスフレケーキを選んでいるレイの横に立った。

「私は、このベリーのジャムが乗っているのが最近のお気に入りなんですわ」

「僕はこの、チョコレートが網目状に飾ってあるのが良いです」

 嬉しそうにそう言って、綺麗な飾り細工のチョコレートが乗ったお皿を取る。

「これってすぐに食べるとふわふわですけれど、しばらく置いておくとぺしゃんこになって、それはそれで美味しいんですわよ、ご存知ですか?」

「ええ、置いておくなんて、そんなの我慢出来ません」

 無邪気なレイの悲鳴に、周りの女性達から笑いが起こる。

「では、こちらをもう一つ置いておいて差し上げますわ」

 笑って、チョコレート味のスフレケーキを一つ取りお皿に乗せて横にスプーンを置く。

 こうしておけば、食べかけだとわかるので勝手に下げられる事はない。



「さあ、その間に彼女と一曲踊って差し上げてくださいな」

 イブリン夫人が連れて来ていた小柄な女性の腕を叩く。

 素直に頷き、にっこり笑って挨拶してからそのままその女性と一曲踊り始める。すると当然の様に、また今度はこちらのお嬢さんに、と言った具合に、レイルズの手は次から次へと渡されてしまい、レイが置いてあったケーキの元へ戻って来る事が出来たのは、そろそろ夜会も終盤になろうかと言う頃だった。



 結局レイは、夜会の会場ではほとんどヴィゴやタドラ、ましてやクローディアとろくに話も出来ず、ひたすらダンスをしているか、ご婦人方のお相手をしているかのどちらかになってしまったのだった。

「はあ、疲れた」

 ようやく解放されてケーキの場所に戻ってきたレイは、深い器の上に見事に盛り上がっていたスフレケーキが、器の半分以下にまで凹んでぺしゃんこにになっているのを見て、悲しそうに眉を寄せた。

「大丈夫ですわよ、どうぞこのまま食べてみて下いませ」

 先ほどのイブリン夫人が笑いながらそう言ってくれたので、レイは頷いてすっかり冷えてしまったそのスフレケーキの成れの果てにスプーンを差し込んだ。

 先程よりもかなり硬くなったそのケーキは、しかし簡単にすくう事が出来た。

「あれ? さっきのケーキと、全然違いますね」

 驚くレイに、イブリン夫人だけでなく、ミレー夫人を始め何人ものご婦人方がまた寄って来て、お菓子談義に花を咲かせていたのだった。

 レイは始終笑顔で、すっかり冷えたスフレケーキをご機嫌で完食したのだった。





「あの見習いが花束を取ろうとしただと?」

「しかも、目撃者によると、他にも竜騎士がいたそうですが、彼を止める素振りを見せなかったそうです」

「これは由々しき事態です。このままでは彼女を盗られますぞ」

「ええい、竜騎士隊めが。タドラを横取りしただけでは飽き足らず、今度は巫女にまで手を出すつもりか!」

 その部屋にいるのは大僧正を始めとした、彼の派閥の者達だ。かなり独善的な思考に走りがちで、神殿至上主義とも言える、世間を知らぬ偏った思考の持ち主達でもある。

「ジャスミンの教育係にタドラがなったお陰で、彼を再びこちらに引き込めるかと思ったが、全くこちらになびく様子を見せぬ。竜騎士隊にすっかり取り込まれおって。忌々しき限りよ」

 しかし、いつもなら一緒になって激昂する大僧正は、今日に限って異様なまでに静かだ。

猊下げいか、どうなさったのですか?」

 一人の神官が尋ねると、前を向いたまま口を開いた。

「どうにもおかしい」

 部屋にいる者達が一斉に口を噤んで大僧正を見詰める。

「まるでこれでは、我々の反応を待っているかの様に思えてならぬ」

「と、申されますと?」

「もしも今回の件で、クラウディアに何らかの処罰を与えたとしたら、それこそ竜騎士隊側から何か言って来るであろう。一応、個人間の付き合いにまではいちいち言及せぬと言ってある手前、余りあからさまに邪魔をするのも不味かろう」

「ならば、このまま放置なさると?」

「ディレント公爵の件もある。余りこちらからいちいち過剰な反応をするのは、世間の反感を招いて、逆にこちらの立場を悪くしかねん」

「あの見習いは、貴族達の間でも、相当な人気だと聞いておりますからな」

 大僧正は、これ以上無い大きなため息を吐いた。

「とにかく、監視の目は緩めるな。絶対に避けねばならぬのは、既成事実を作られる事だ」

 深々と頭を下げる一同を見て、もう一度大僧正がため息を吐く。

「ちょっとは大人しく出来んものか。全く」

「では、引き続き、監視の目は光らせておきます」

 鷹揚に頷いた大僧正が立ち上がり、内密の会議はここまでになった。




「相変わらず、自分達の目線でしか物事を考えられぬ馬鹿どもだ。邪魔をしてせっかくの縁を切られたら何とするか。賢いやり方は、この恋を生かさず殺さずで長引かせ、将来的には、あのスラム出身の様に独身主義者になってくれれば最高なのだがな」

 小さく呟いた大僧正は、もう一度ため息を吐いて執務室へ戻って行った。

 窓枠に座ったブルーのシルフがその呟きに至るまで、全てを聞いている事など、彼らは知る由も無いのだった。

『全く、どいつもこいつも度し難い愚か者共だ』

 呆れた様にそう言ったブルーのシルフは、そのままくるりと回って消えてしまった。



 このオルダムにおいて、彼の目の入り込めない場所は無い。

 それを知らぬ愚か者達は、いわばブルーの目の前で、三流芝居を続けているのだ。

『まあ、今は良い。下手に手出しをしようなどと考えたなら、その時は思い知らせてやる故、楽しみにしておれ。それまでは、せいぜい下手な芝居を見せてくれるが良い』

 湖の底でそう呟いたブルーは、今度は光の精霊達が届けてくれる別の報告に耳を傾けるのだった。

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