ヴィゴとタドラ

「ほ、本気ですか……ヴィゴ」

 戸惑うようなタドラの声に、ヴィゴは大きく頷いて見せる。

「本気だ。俺はこのような冗談は言わんよ。いきなりの事で、戸惑うのは当然だ。だが、俺の娘のクローディアの事を、少なくとも顔も見たく無いほど嫌いで無いのなら、今の話を一度ゆっくり考えてみてくれ。事が事だから急いで返事をくれとは言わん」

 ヴィゴの言葉に、タドラは戸惑いつつも頷いた。



 しばらく沈黙が続く。



 居た堪れなくなったヴィゴが口を開こうとした時、タドラが顔を上げて正面からヴィゴを見つめた。

 その真っ直ぐな強い視線を、ヴィゴがしっかりと受け止める。

「ヴィゴ。まずはお礼を言わせてください。誤魔化さずにはっきり言ってくださって嬉しいです。ありがとうございます」

 深々と頭を下げ、顔を上げたタドラは笑っていた。

「正直言って、そんな事考えてもいませんでした。彼女は僕にとって……こんな言い方は失礼かもしれませんが、妹みたいに思っていました。二人とも、本当に良い子ですからね」

 照れたようなその言葉に、ヴィゴも笑顔になる。

「いつも、休暇の度に自宅に招いて頂いて、一緒に食事をしたり花の世話をしたりしましたよね。今でもはっきり覚えています。ここに見習いに来て初めて休暇をもらった時、帰る場所が無い事に不意に気付いて自室で一人で落ち込んでいた僕を、貴方は当然のように家に招いてくれましたよね。良かったら、家族を紹介するから来てくれないかって言って」

「そうだったかな。よく覚えておらんよ」

 苦笑いするヴィゴに、タドラはもう一度嬉しそうに笑ってグラスを傾けた。

「素敵なお嬢さん達と、綺麗な奥様。でも……怒らないでくださいね。僕、初めて貴方のお屋敷に招いて頂いた時、悲しくなったんです」

 驚きに目を見開くヴィゴに、見ているこっちが泣きそうになるような痛々しい笑顔でタドラが笑う。

「だって、僕の記憶の中にある両親はいつも怒ってばかりだったし、差し出される手は、僕を叩いたり殴ったり、押さえつけたりする為の手だった」

「それは……」

 言葉が続かないヴィゴに、タドラは肩を竦める。

「だけど、初めて会った時のアミディアは、帰って来た貴方に駆け寄って当然のように手を上げて抱っこをせがんだ。そして貴方は、迷う事なく当たり前のようにそんな彼女を軽々と抱き上げていました。抱き上げてもらって当然だと、貴方のその強い大きな手が自分を守ってくれるものだと、あの小さな彼女は当たり前のように理解している。自分が差し出した手を握り返してくれるのが当然だと思っている。そんな風に思えるって事は、つまり、ちゃんと愛してもらっているって事です……羨ましかった。僕が持てなかった理想の家族の姿がそこにあった。どうして自分はその中にいないんだろうって、そう思って……お客に過ぎない自分が悲しくなったんです」

 ヴィゴは何と言っていいのか分からず、手を伸ばして俯くタドラの背中を撫でた。

「素敵なご家族だって、素直に思えた。僕が欲しくて欲しくて堪らなかった全部が、あの時目の前にあった」

 まさか、タドラがそんな風に思っているなんてヴィゴは考えもしなかった。



「その輪の中に……僕を入れてくださると?」



 小さな声でそう言われて、ヴィゴは思わず横からタドラを抱きしめた。

「ああ、そうだ。お前は、お前の欲しかった家庭を築けばいい。その時隣に立つ人の候補に、俺の娘を入れてくれると嬉しい。協力は惜しまんよ」

「でも、僕なんかで良いんですか。僕は、家族との事もあるし、神殿との関係も微妙です。ご迷惑は……」

「分かっている。全部分かった上で、それを全部ひっくるめて考えて、それでもタドラが良いと俺は思った。だから今ここにいる」

 はっきりと、言い聞かせるように話す言葉を聞き、タドラは大きく息を吐いた。



 頭の中で、先日の夜会の帰りに渡り廊下でレイルズと話した時の事を不意に思い出した。

 自分の身の上話をして、縁談が持ち込まれても安易に受けるわけにはいかないと言った。

 そして、話を聞いたレイルズは自分の為に泣いてくれた、その上で彼は、こう聞いて来たのだ。



『じゃあ、その事情を全部分かった上で、それでもって言われたら?』



 あの時の自分の答えも思い出す。

 自分はこう答えたのだ。



『そんな人がいるとは思えないけれど、もしもそこまで言ってくれる人がいれば、考えてみても良いかもね』と。




「レイルズ……ここにいたよ」



 抱きしめてくれるヴィゴの大きな腕に額を乗せたタドラの、ごく小さな声で呟かれたそれは、しかしすぐ横にいたヴィゴの耳に聞こえたようで、不思議そうに顔を上げた。

「ん? どうして、ここでレイルズの名が出てくるんだ?」

「いえ、ちょっと思い出したんです。少し前に夜会でやたらお見合い紛いの事をされて嫌気がさしていた時に、彼と少し話をしたんです。まあ、僕の家族の事とか、竜騎士になった時の騒動とかを……」

 納得したように頷いて手を離してくれたヴィゴから身体を起こして、タドラは笑って肩を竦めた。

「その時に、そんな事情があるから持ち込まれる縁談を簡単には受けられないし、事情を知ったら皆関わり合いになりたくないって思うだろうって話をしたんです」

「それで、レイルズは何と言ったんだ?」

「難しいんだね、って、大真面目にそう言った後、こう言ってくれました。じゃあ、その事情を分かった上で、それでもって言われたら、って……」

 何とも彼らしい質問に、ヴィゴは小さく笑って頷く。

「それで、タドラは何と答えたんだ?」



 俯いたまま沈黙して、しばらくしてようやく口を開いた。



「そんな人がいるとは思えないけど……もしもそこまで言ってくれる人がいれば……」

「言ってくれる人がいれば?」

「か、考えてみても良いかもね、って……言い……ました」



 その言葉に、ヴィゴは破顔した。

「良かった、頭ごなしに断られたらどうしようかと、もう、ここへ来るまで必死になって考えていたんだぞ。良かった、今はその言葉を聞けただけで充分だ」

 ヴィゴは本気でそう言ったのだが、タドラは慌てたように彼の太い腕を掴んだ。

「だから、だから……こんな僕で良いと思ってくださるのなら、あの、僕なんかで良かったら、良かったら……」

「話を進めても良いか?」

 優しいヴィゴの言葉に、唐突に真っ赤になったタドラはそれでもしっかりと頷いた。

「分かった。話を受けてくれて感謝するよ。そうだ、花祭りの期間中にレイルズや巫女達を屋敷に招く予定なんだが、良かったら一緒にどうだ? 誰か一緒の方が気軽に会えるのではないか?」

 片目を閉じてそう言われて。今度はタドラが破顔する。

「ええ、もちろんです。予定が決まりましたら知らせてください。喜んで行かせていただきます」

「分かった。では、早急に決める事にするよ」

 顔を見合わせて笑い合う。



「それでは改めて、これからもよろしくな。タドラ」

 大きな右手が、真っ直ぐに差し出される。

「はい、どうかよろしくお願いします」

 しっかりとその手を握り返したタドラは、小さく笑った。

「それにしても、本当に大きな手ですね。僕の手が華奢に見えますよ」

「それでも、これもまた戦う事を知る男の手だ。頼りにしているよ」

 タドラの腕を叩いてそう言うと、ヴィゴは立ち上がった。

「休んでいたところをすまなかったな。良い時間だった」

 掛けてあった上着を羽織りボタンを留める。剣帯を装着する。

 駆け寄って来たタドラに背中のシワを直してもらって、振り返ったヴィゴはタドラを見下ろす。少し膝を曲げて屈み、彼と目線を合わせる。



「そうそう、良い機会だから一つ言っておこう。お前とレイルズに、俺は、絶対にこれだけは駄目だと思う事があるのでな」

 息を飲んだタドラが居住まいを正す。

「はい、聞かせてください」

「二人共、あまりにも自己評価が低すぎる。驕り高ぶり傲慢になれとは言わんが、もう少し自分を正しく評価してやれ。言ったはずだぞ、自分なんかが、と己を卑下するような事は言うなとな」

 泣きそうな顔で自分を見るタドラに、ヴィゴは笑った。

「大丈夫だ、お前は立派な竜騎士であり、独立した一人の人間だよ。誰よりも、俺がそれを知ってる。自分が信じられないなら俺を信じろ。俺の評価を信じろ」

 泣くのを必死で堪えたタドラは、ただただ頷くことしか出来なかった。




 ようやく笑ってくれたタドラに手を上げて部屋を後にしたヴィゴは、廊下を歩きレイルズの部屋の前で立ち止まった。

「これもまた、天の采配だな。感謝するよ、幸せになる事に臆病な彼の背中を押してくれたな」

 その場で黙って直立して部屋に向かって敬礼したヴィゴは、一つ深呼吸をしてから自室に引き上げたのだった。




『どうやら上手くまとまったようだな』

『そうですね。タドラもこれでようやく幸せになれそうです』

 窓辺に並んだブルーのシルフとタドラの竜であるベリルの使いのシルフは、そう言って嬉しそうに頷いている。

『其方と、其方の大切な主に心からの祝福を。どうか幸せにな』

 ブルーのシルフの優しい言葉に、ベリルのシルフは嬉しそうに笑った。

 周りでは、何人ものシルフたちが現れて、輪になって手を取り合って嬉しそうにクルクルと回りながら笑い合っていたのだった。

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