語らい

「シルフ、タドラは何をしている?」

 兵舎の竜騎士隊の部屋のある階まで上がって来たところで立ち止まり、ヴィゴは目の前を飛び回っているシルフにそう尋ねた。


『本を読んでるよ』

『だけどため息ばかり吐いてる』

『ため息ため息』

『つまらなさそう』

『遊んでくれない』


 口を尖らせたシルフの拗ねたような言葉を聞き、ヴィゴは小さく笑った。

「そうか、それなら行っても邪魔にはなるまい」

 もしも、もう休んでいるようなら明日にしようかとも思ったが、せっかくのカウリの計らいだ。出来れば今日のうちに話だけでもしておきたい。

 ゆっくりとタドラの部屋の前へ行き、そっと横にある扉をノックした。



「はい」

 返事が聞こえてヘルガーが顔を出した。

「おや、いかがなさいましたか?」

「タドラは起きてるか」

 分かってるが、あえてそう尋ねる。

「はい、起きておられますよ。どうぞ」

 一礼して、タドラの部屋の扉をノックして開いてくれる。

「貰い物だが一杯やろうと思ってな。すまんが、軽いもので良いので、何か摘みになる物を頼めるか」

 持ってきた瓶を見せると、にこりと笑って頷いた。

「かしこまりました。すぐにご用意致します」

 一礼して下がるヘルガーを見て、ヴィゴは開いた扉から中に入った。

「あれ、こんな時間にどうされたんですか?」

 部屋着になって寛いでいたタドラが、入って来たヴィゴを見て驚いたように慌てて立ち上がる。

「いや、ちょっと貰い物だが、好きだと聞いたのでな」

 持っていたグラスミア産のウイスキーを見せると、タドラはわかり易く嬉しそうな顔になる。



 ヴィゴは部屋に入ったところで立ち止まり、剣帯を外して扉横の金具に引っ掛けると襟元を緩めて上着のボタンを外して脱いだ。そのまま横の金具に引っ掛ける。

 もうこれだけで、仕事の話ではない事が知れる。

 嬉しそうに笑ったタドラが、部屋の真ん中に置かれた大きな机に案内してヴィゴを座らせて隣に座る。

 若竜三人組の部屋は、よく集まって飲むので、他の部屋よりも真ん中に置かれている机が大きいのだ。

「失礼します」

 ヘルガーが、ナッツとカットしたチーズに罪作りを乗せた摘みを持って来てくれ、氷の入ったグラスと一緒に机の上に置いてくれた。それから一礼してそのまま出て行ってしまう。

 黙って扉が閉まるのを見てから、ヴィゴがウイスキーの封を切り二つのグラスに注ぐ。


「精霊王と女神オフィーリアに感謝と祝福を」

「精霊王と女神オフィーリアに感謝と祝福を」


 互いのグラスを軽く上げてヴィゴの言葉にタドラも続く。

 それから、なんとなく少しだけ世間話をして会話が途切れる。

 ナッツの殻の横で、つまらなさそうにしていたシルフが、いきなりヴィゴの鼻先に飛んできて彼の鼻を叩いた。

 大して痛くもないそれに、ヴィゴが驚いて一瞬硬直する。

「こら、何するんだよ」

 慌てたタドラがそう言ってシルフに手を差し出す。


『だって大事なお話なのに』

『言わないと駄目なのに』


 タドラの手の上で口を尖らせてそう言うシルフに、ヴィゴが慌てる。

 そんな彼を見て、タドラは不思議そうな顔になった。

 てっきり、珍しいウイスキーを手に入れたから持ってきてくれたんだと思っていたが、違うようでタドラは戸惑う。

 どうやら、ヴィゴは自分に何か話があるらしい。



「分かったよ、ヴィゴとお話しするからそこにいてね」

 笑ってシルフにキスをすると、そのままお皿の上に置いてやる。

 さっきのナッツの殻の横に座ったそのシルフは、嬉しそうにヴィゴを見る。

 大きなため息を吐いたヴィゴは、残っていたウイスキーを一息で飲んでタドラを見た。

 困ったように自分を見ているタドラに、ヴィゴははっきりとこう告げた。



「俺は周りくどい言い方は好まん。話というのは、他でもない。タドラ、俺の娘のクローディアとの結婚を考えてもらえないか?」

 タドラの息を飲む音が、静まりかえった部屋に響いた。






「さて、向こうはどうなりましたかね」

 三杯目のウイスキーが注がれた頃、カウリの心配そうな言葉に、マイリーは笑ってグラスを置いた。

「大丈夫だと思うが……どうだろうな。あいつは昔から戦場では……本当に勇敢で怖いもの無しとか、サディアスの再来なんて言われて来たんだが、こと自分の事になると、途端に駄目になるんだよな。あれはどうしてなんだか。毎回見ていて面白いぞ」

「戦場での勇敢さと、日常のそれは別物ですかね?」

「あいつを見ていると、そうなんじゃないかと本気で思うな」

 面白そうに笑ったマイリーが、罪作りの乗せられたチーズを摘んで口に入れる。

「なんて言うか……不器用だなって気がしますね」

「ああ、それが一番ぴったりな表現かもな。確かに、あいつは不器用だ」

「それでも、ちゃんと娘さんの将来を考えて行動してるんだから、大したもんですよ。俺に出来るかな……」

 最後の、ごく小さな呟きを聞いて、マイリーは驚いたように顔を上げた。

「おい、今の呟きの真意は?」

 小さく笑ったカウリは、誤魔化すように同じく罪作りの乗ったチーズを摘んでからマイリーを見た。

「あの、もうすぐ……三ヶ月らしいです」

「おお、それはおめでとう。じゃあ出来るだけ帰れるようにしてやるから、奥方の側に付いていてやれ。特に妊娠初期は辛いらしいからな」

「えっと、詳しいんですね」

 驚いてそう尋ねると、マイリーは苦笑いして肩を竦めた。

「あいつがいちいち報告してくれたからな。特に、最初の子の時は、悪阻がかなり酷かったらしい」



 それを聞いて、カウリは指を折って何かを数えている。



「ん、どうした?」

「ええと、ちょっと聞いて良いですか?」

「何だ、改まって」

 不思議そうにマイリーが飲んでいたグラスを置いてカウリを見る。

「マイリーって、お幾つの時に結婚なさったんですか? 確かマイリーの方が竜騎士になったのって早かったですよね?」

「ああ、そうか。お前はオルダムにいなかったから、その辺りの詳しい話を知らないのか」

 聞きたそうに頷き座り直すのを見て、マイリーは空になったグラスを差し出した。

 笑ったカウリが、新しい氷を落としてからウイスキーを注ぐ。



「そもそも俺とあいつは、士官学校時代からの腐れ縁でな。ま、親友とも言うな」

「この歳で、身近にそう言える人がいるあなた達が正直羨ましいですよ」

 笑ったカウリが、乾杯するようにグラスを上げる。

「二人共、士官学校を卒業してすぐの二十二歳の時に国境の十六番砦に配属になった。それでまあ色々あって……俺もあいつも白の塔に入院して、オルダム勤務になった」

「マイリー。今、ものすごく話を端折りましたね」

 横目で見られて誤魔化すように笑う。

「まあ、それは良いさ。それで俺が二十六歳の時、竜との面会でアンジーに出会った。おかげでその後の生活は激変したよ」

 それは自分も身を以て知っているので、黙って頷く。

「同じ年、ヴィゴはイデアと結婚した。幼馴染みだった彼女と確かその前の年に親戚の仲人で話が進んだはずだ。だがまあ、あの見た目だからな。久し振りに会ったらずいぶんと怖がられたと嘆いてたな」

 笑ってそう言うマイリーは、しかしとても優しい顔をしている。

「その少し前から、ヴィゴはまた国境の砦への勤務に戻っていたからな。確か、結婚式の時も、一週間くらいしか休暇を貰えなかった筈だ」

「ええ、それはちょっと奥方に同情しますね」

「今でも言われるらしいぞ。一緒にドレスを選びたかったってな」

 苦笑いして頷くカウリに、マイリーはため息を吐く。

「俺が、結婚したのは二十八歳の時だ。ヴィゴに散々揶揄からかわれたな」

 グラスを一気に開けて、カウリを見る。

「で、その半年後に、こうなった訳だ」

 両手を開いて降参のポーズを取る。

「ええ、たったの半年っすか、またずいぶん早いっすね」

「デカい声を出すな」

 嫌そうに言って、自分でグラスにウイスキーをたっぷりと注ぐ。いつの間にか二本目の封が切られている。

「そのすぐ後にヴィゴが大きな怪我をして、白の塔に入院してまたオルダム勤務になった。三十歳の時にクローディア嬢が生まれて、その後三十六歳の時にアミディア嬢が産まれた。あいつが竜騎士になったのはその年だよ」

「あれ、って事は、ルークの方が先輩なんだ」

 また指を折って数えて驚いたようにそう呟く。

「そうだぞ。だけどまあ、ルークは最初からヴィゴを頼りにしていたよ」

「まあ、年上で、しかも戦闘経験も、人生経験も豊富な後輩が入って来たら、一年程度の差なら確かに困りそうですね」

「まあ、普通ならな」

「だけど、あの二人も仲良いですよね」

「まあ、ルークも並の人生じゃ無いからな。ちゃんとお互いに弁えて今の形に収まったんだよ」

「大人な対応だな」

 感心したようにそう呟き、カウリはグラスを傾ける。

「ここに来て、何に感心したって、殿下も含めて全員が自分の非を認めてすぐに謝罪するんですよね。何があっても失敗を認めない、絶対謝らないような奴を大勢見て来た俺としては、ここの方々の、言ってみれば清廉とも言える人柄は、本当に尊敬に値しますよ。良い職場に来たもんだって、心底思いましたからね」

「俺達は常に人目に晒されているからな。迂闊な事は出来ん。皆、それを心得ているだけだ」

 笑って首を振ったマイリーは、残りを一気に飲み干した。

「皆、それぞれに色々あるな。レイルズの家族が言っておられたそうだ。生きてさえいれば、生きてさえいれば、いつかはみんな笑い話になる、とな」

「至言ですね。確かにその通りだ」

 二人共、様々な思いを込めてもう一度グラスを上げて乾杯したのだった。



 すっかり空になった、おつまみの入っていたお皿に座ったカルサイトの使いのシルフとマイリーのアンジーの使いのシルフは、仲良く並んで、愛しい主をいつまでも見つめていたのだった。

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