それぞれの家族

 その日、前日の夜から自宅に戻っていたカウリは、少し遅めの時間に起きて久し振りにチェルシーと一緒にゆっくりと朝食を食べた。

 しかし、朝日の中で見るチェルシーが何だか痩せてやつれているように感じて、カウリは心配になった。

 本人は大丈夫だと言っているが、やはり慣れない一の郭での暮らしは負担なのだろうか。しかも、よく見ると彼女の前に置かれた料理は、同じ物だが自分よりも量がかなり少ない。

 以前はもっと食べていたように思うのだが、一体どうしたのだろう。



「なあ、チェルシー」

 思わず、食べていた手を止めて口を開く。

「はい、どうしたんですか?」

 顔を上げた彼女は、やはり何だか顔色も悪いように感じる。

「食欲、無いのか? 以前はもっと食べてたろう?」

 自分の前に並んだお皿を見て、チェルシーは苦笑いして肩を竦めた。

「だって、以前と違ってほとんど運動らしい運動をしていないから、あまりお腹も減らないんです」

「ちょっと痩せたみたいだけど、大丈夫か?」

 その言葉に、チェルシーは笑って首を振った。

「ここへ来てから、確かに少しは痩せましたけれど、別にどこも悪く無いですよ」

「そうか? それなら良いけど……あ、こら、食事中は机の上は乗っては駄目だって」

 軽々と机の上に飛び乗ってきた、すっかり大きくなったペパーミントを抱き上げて下ろしてやりながら、それでも何だか心配でチェルシーを見る。



 その時、彼女がいきなり立ち上がった。



「し、失礼します」

 そう言って小走りに部屋を出て行ってしまった。

 それを見て、慌てたように彼女に付いてくれている年配のメイドが後を追って出て行く。

「おい、どうしたんだよ」

 カウリも立ち上がってその後を追う。

 彼女が手洗いに駆け込み、酷く嘔吐しているのを見て本気で慌てた。

「おい、医者の手配を!」

 振り返って執事にそう叫んだ時、すぐ後ろにいた屋敷付きでそのまま雇った年配の執事が、にっこりと笑って首を振った。

「旦那様、どうか落ち着いてください。大丈夫です、奥様はご病気ではございません」

「だって、だってあんなに吐いて……」



 その時、不意に一つの可能性に思い至り、口を噤む。



「も、もしかして……もしかする?」

 意味不明の質問だったが、ちゃんと言いたい事は伝わったらしい。

「詳しくは、サブレからお聞きください」

 一礼した執事は、もう一人のメイドに目配せをした。

 サブレと呼ばれた彼女はチェルシーと同い年のメイドで、ヴィゴの紹介で雇い入れた、チェルシーの側で身の回りの面倒を主に見てくれているベテランのメイドの一人だ。

「実は、奥様は先月から月のものが止まっております」

 小さな声でそう耳打ちされて、いきなりカウリは真っ赤になった。

「やっぱり。つまり……そう言う事?」

「恐らく間違い無いだろうと思われます。ですがまだ安定期と言うわけには参りませんので、旦那様にお教えするのを躊躇ためらっておられたんです。ですが、ご覧の通り少し前から悪阻つわりと思われる症状に苦しんでおられます」

「そんなの……」

 苦笑いして頷いた彼女が、カウリの肩越しに後ろを見て、それからカウリを見て深々と一礼して下がる。



 ゆっくりとカウリは振り返った。



「あの、大変失礼しました。少し体調が悪いだけなので……」

 困ったようなチェルシーにそれ以上言わせず、カウリは駆け寄って出来るだけそっと彼女を抱きしめた。

「ありがとう。ありがとうチェルシー。お願いだからどうか無理をしないでくれ」

「カウリ……」

 驚くように目を見開いたチェルシーは、カウリにしがみつくように抱きついた。

「あの、まだ本当にそうなのか分からないの。今までだって、遅れたりする事はあったから……」

「それでも、もし本当だったらどうするんだよ。お願いだから大事にしてくれ」

 そう言うと、彼女を軽々と両手で抱き上げて、そのまま先程まで食事をしていた部屋に戻った。



「どうする? まだ食べられそうか?」

 机の上を見ると、彼女の席には、先程まで置かれていた食事は下げられていて、代わりに暖かなミルク粥が置かれていた。

「もしかして、俺が気にすると思って、無理して普通の食事を食べてた?」

 困ったように頷く彼女を見て、カウリは天を仰いだ。

「そこは、そこは言ってくれよ、俺に遠慮なんかするなって」

 笑ってそう言い、まだ抱いたままのチェルシーに啄むようなキスを贈った。

「愛してるよチェルシー。さあ、俺に構わず、何でも食べられる物をしっかり食べてくれ」

 笑ってそう言い、壊れ物を扱うかの如く丁寧な仕草で彼女を椅子に座らせたカウリは、そっと椅子を押してから、向かい合わせの自分の席へ戻って座った。

 笑顔で頷き合い、チェルシーがミルク粥を少しずつ食べるのを、満面の笑みで見つめていたのだった。





 一方、同じく前日から屋敷に戻っていたヴィゴは、皆で朝食を食べた後は、娘達が育てている花を温室で見たりして、ゆっくりと家族と一緒の貴重な時間を過ごした。

 昼食は、庭にテーブルを出して頂き、娘達が花の鳥に使う木彫り細工を庭師に教えて貰いながら作るのをイデア夫人と並んで眺めて過ごした。



「ディレント公爵閣下が、仲人を引き受けて下さると言ってくださった。このまま話を進めても良いな」

 視線は娘達に注がれたまま、小さな声で話すヴィゴの言葉に、夫人は嬉しそうに頷いた。

「まあ、それは願っても無い事ですわね。では、もう話してもよろしいですか?」

「俺から話そう。今でも構わないかな?」

「そうですわね。ですが、せめて今作っている細工が終わるまで待ってやってください」

 笑った夫人は、一生懸命に今年の花の鳥に使う嘴の先を削っているクローディアを見つめていた。



「見てください。上手に出来ました」

 声を揃えて出来上がったばかりの花の鳥の嘴を見せて、二人の娘達は得意気だ。

「ほう、これは上手く出来たな。これが今年の花の鳥の嘴になるのだな」

 揃って頷く二人にそれを返して机を見た。

 そこにはお茶とお菓子の用意がされていた。

「手を洗って来なさい。それからお茶にしよう」

 揃って元気な声で返事をした二人は、執事に付き添われて手を洗うために部屋に入って行った。

「まずは、婚約という形を整えて、具体的な話はもう少し待ってから……であろうかな?」

 自信無さげなヴィゴの言葉に、夫人は苦笑いしている。

「そうですわね。特に急ぐ理由があるわけではありませんから、まずは婚約という形で話を進めるのが良いでしょうね」

「早いな。まだまだ子供だと思っておったが、もう……そんな歳なのだな」

「あなたったら」

 笑いを堪える夫人を、ヴィゴは横目で見て小さなため息を吐いた。

「今すぐでは無いと分かっていても、寂しいものは寂しいんだよ」

 やや拗ねたような物言いに、夫人は今度は声を上げて笑った。



「母上、如何なさったのですか?」

「如何なさったの?何のお話?」

 戻ってきた二人が、笑顔で話している二人を見て、ヴィゴの腕に抱きついてきた。

 無邪気に笑う娘達に、交互にキスを贈る。

「さあ、座りなさい。クローディア、お前に話がある」

 真剣なヴィゴの言葉に、一瞬何か言いかけたクローディアだったが、小さく頷いて妹の背中を叩いて席についた。

 お茶と焼き菓子が出されても、彼女は手を付けない。

 それを見て、頷き合ったヴィゴと夫人は居住まいを正した。

「クローディア、其方に良き相手を見つけてきた。話しを進めても良いか?」

 恐らく彼女もその話だろうと予想はしていた。

 貴族の娘は、ほとんどの場合、成人年齢になると縁談が持ち込まれる。知り合いに何人か近い年齢の友人がいるが、ほぼ十六から十七歳で縁談が持ち込まれて婚約となっている。

 俯いて小さく息を飲む。

 隣では妹のアミディアが、驚いたように父を見ていた。



「お、お相手の方を、お聞きしても……よろしいでしょうか……」

 消えそうな小さな声でクローディアが尋ねる。

 頷いたヴィゴは、はっきりとこう言った。

「相手は、竜騎士隊のタドラだ。出来れば、婿養子として家に入ってもらいたいと考えている。もちろん、望むなら独立して家を興すも自由だ。竜騎士には、その権利が認められているからな」

 弾かれたように、顔を上げた彼女は呆気に取られて父親の顔を見つめていた。

「まだ、タドラに正式に申し込んではいない。其方さえ良ければ、正式に話しを持っていこうと考えている。如何だ?」

 思っても見なかったお相手の出現に、クローディアは、ただただ頷くことしか出来なかった。

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