大地の竜との語らい

「うわあ、本当に広いんだね、見渡す限り農地が広がってる」

 まだ暮れるには早い陽の光に照らされた農地は、土が茶色く剥き出しになった部分と、早くも緑色に覆われている部分が点在していた。

「あれはジャガイモ畑だね。こっちは何だろう……」

「へえ、上から見ただけで分かるんだ」

 感心するようなルークの言葉に、レイは笑顔で振り返った。

「もちろん分かるよ。向こうは麦畑だね。ああ凄い……」

 奥側に見える畑は、一面に麦が植わっている。

「あれ? もうあんなに育ってるんだ」

 不思議そうな呟きに、ルークも言われた麦畑を見下ろす。

「確かに、かなり大きくなってるな。良いじゃないか。豊作なんだろう?」

 しきりに首を傾げるレイを見て、ルークは笑って下を指差した。

「そんなに気になるなら、今夜泊まらせてもらう館の当主のグスタム伯爵に、後で聞いてみれば良いよ。きっと大喜びで解説してくれるぞ」

「ええ、伯爵様なのに、農作業に詳しいの?」

 レイは、あくまでも伯爵は領地を管理する人であって、実際の農作業は、別に雇われた働く人達がいるのだとばかり思っていたのだ。

「勿論農夫は大勢いるよ。だけど伯爵は、それこそ忙しい時期には率先して畑に出るような方だからね。もしかしたら、今も下の何処かの畑にいるかもな」

 目を見開くレイに、ルークは笑って頷いた。

「きっと、お前とは話が合うと思うよ。何なら伯爵のお相手はお前に任せるからさ。代わりにご婦人方のお相手は俺が引き受けてやるよ」

「ええ、待って! ここでするのは農地の見学なんでしょう?ご婦人方って……夜会もあるの?」

 眉を寄せるレイの顔に、ルークは堪える間もなく吹き出した。

「いや、夜会ってわけじゃないけど、伯爵家には、奥方とお嬢さんが三人いるんだよ。だから、そっちのお相手は任せろって事」

「よろしくお願いします!」

 即座に返事をするレイに、ルークはもう一度声をあげて笑ったのだった。




「見えてきたよ。あれが今日泊まるグスタム伯爵邸だ」

 ルークが示す先には、塀で囲まれた広い敷地の中に真ん中に大きな石造りの屋敷があり、大きな庭と池が見える。その池の横には巨大な岩が転がっているのも見えて、レイは不思議に思った。

「あんな所に、あんな大きな岩があるのって不自然だね。どうして砕いてしまわないんだろう?」

 小さな呟きだったが、ブルーが顔を上げ何か言いたげに背中にいるレイを見た。

「どうしたの?ブルー」

 突然のブルーの行動に、驚いて顔を上げる。

「あれは砕いてはならんぞ。レイよ。あれが以前言っておった大地の竜さ。この地の竜は、もう五百歳近い成竜だ。そろそろ老竜と呼んで良いかもしれんな。この広大な穀倉地帯を守り育んでくれる、偉大なる大地の竜だよ」

「そんなになるんだ。あの竜には、俺も行ったら必ず挨拶するんだけど、ちょっと喉を鳴らしてくれる程度で、声を聞いた事は無いんだ」

「そうであろうな。大地の竜はほとんど喋る事をせん。喉を鳴らしてくれるだけでも充分歓迎されておるさ」

 笑みを含んだ声でそう言われて、ルークも笑顔になった。

「やっぱりそうなんだな。伯爵も、子供の頃に一度だけ声を聞いたきりだって言ってたぐらいだからね。ああ、出迎えに出てくれているよ」

 見下ろした庭には、大柄な男性を先頭に多勢の人達が並んで手を振っているのが見えた。



「あの庭に降りて良いのか?」

「二頭並んで降りられる?」

 ブルーの言葉に、レイは思わず心配になって来た。

「大丈夫だ。あの庭はかなり広い」

 そう言うと、翼を畳んでゆっくりと庭に降りて行った。ルークの乗ったオパールがそれに続く。



「おお、これは何と見事な竜だ……」

 伯爵は、目の前に降り立った巨大な蒼竜を前にして、呆然と見上げる事しか出来なかった。

 この庭には、アルス皇子の乗る、老竜であるルビーも何度も来た事がある。

 あの竜が一番大きいと思っていたが、目の前の蒼竜はそれよりも遥かに大きかった。

「古竜だと聞いても、にわかには信じられなかったが……これは確かに、古竜以外の何者でも無いな……」

 皆が見守る中、その背から竜騎士見習いの制服を着た若者が降りてくるのが見えた。

 蒼竜と対になるかのような、見事な赤毛の大柄な青年だ。

「ようこそお越しくださいました。この地を預かるマシュー・ジタン・グスタムでございます。伯爵の位を頂いております」

 日に焼けた笑顔で差し出された手を握り返す。グスタム伯爵の手は、とても硬くてしっかりとした分厚い大きな手をしていた。

「これで十六歳でございますか。これは将来が楽しみですな」

 感心したようにそう言って、笑って腕を叩かれた。

「はじめまして。グスタム伯爵閣下。お会い出来て光栄です」

 それから、ルークに紹介してもらって、夫人と娘さん達にも挨拶をした。

「あの、大地の竜にご挨拶させて頂いてもよろしいですか?」

 そのまま中に案内されそうになり、レイは慌ててそう言って伯爵の袖を引いた。

「ああ、勿論でございます。ですが、恐らく声を掛けても返事は無いかと……」

「構いません。ご挨拶だけでもさせてください」

 目を輝かせるレイを観て、伯爵も笑顔になる。

 ルークだけでなく、全員が揃って池の横にいる巨大な岩にしか見えない塊の側へ向かった。



「うわあ。苔が生えてる……」

 初めて大地の竜を目の前にしたレイは、そう言ったきり、口を開いて上を見たまま驚きのあまり固まってしまった。



 近くまで行くと、その大きさは圧倒的だった。



 丸くなって動かないそれは、知らなければ、恐らく殆どの人がただの岩の塊だと思うだろう。

 大地の竜の体の表面には、あちこちに蔓が絡まり白い房状になった小花を見事に咲かせていた。それ以外にも、春の小花の株があちこちに根を張り、色とりどりの花を咲かせている。

 そして、シルフやウィンディーネ達が、あちこちに座って嬉しそうに歌を歌ったり踊ったりしていたのだ。皆、とても楽しそうだ。

「初めまして。大地の竜よ。レイルズ・グレアムと申します。お目にかかれて光栄です」

 そっと小花の横に手を添えて優しい声でそう話しかける。

 シルフ達は皆、身を乗り出すようにして、そんなレイを見つめている。

 返事は期待していなかった。ただ、挨拶したかっただけだったからそのまま下がろうとした時、目の前の石のひび割れかと思われたそれがゆっくりと動いて、大きな目を開いた。



 それはまるで、森の大爺を見ているようだった。



 ゆっくりと開いた大きな目は、庭に座って自分を見ているブルーに気付いて瞬きをし、大きな音で喉を鳴らしはじめた。

「親しき気配に、起きてみれば……何と言う驚きか……懐かしきお方が、おられるぞ……」

 低い、地響きのような声が巨大な岩から聞こえて来た。

 驚きに目を見開く伯爵家の人々を置いて、ブルーはゆっくりと少し近づき長い首を伸ばして覗き込んで来た。

「久しいの、ニッケル。息災そうで何よりだ」

「お久しゅう、ございます。蒼竜様……おかげ様で、水も、風も、大地も……滞りなく。実り多き、穏やかな日々に、ございまする……」

「ふむ。良き事だ。一晩、我が主をここに預ける故、よろしくな」

 ブルーの言葉に、ニッケルと呼ばれた大地の竜は嬉しそうに喉を鳴らしながら目を細めた。

「これは、光栄なり……ノームから、聞いてはおりました……主を得られたと……まっこと、めでたき事」

「ふむ、中々に面白き日々だぞ」

 ブルーも喉を鳴らして、嬉しそうに目を細める。

「それは、よろしゅう、ございますな……」

 もう一度そう言って、大きな瞳が側に立つレイを見つめた。



 吸い込まれそうな漆黒の瞳に、レイは半ば呆然と手を伸ばした。

「なんて綺麗な瞳なんだろう。吸い込まれそうだね」

 伸ばした手で、目の下の辺りをそっと撫でてやる。

 一際大きな音で喉を鳴らしたニッケルは、嬉しそうにまた目を細めた。

「幼き主殿、どうか、蒼竜様といついつまでも、仲睦まじくあらせられませ……」

 最後はごく小さな声で、呟くように言うと、もう目を閉じてしまい、鳴らしていた喉の音も次第に静かになっていった。

「おやすみなさい。どうか、この地をお守りください」

 そう言うと、レイは白い花の小房を手に取り、そっとキスを贈ったのだった。



 背後では、伯爵を筆頭にその場にいた全員が、驚きのあまり言葉も無く、古竜とその主が当たり前のように大地の竜と話をするのを呆然と見つめていたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る