最後の参拝と南ロディナへの出発
「いいか、始めるぞ」
小さな声でそう言われてレイは我に返った。
不意に礼拝堂にいる人達の騒めきが耳に入って来る。
「あ、はい。すみません」
同じく小さな声で答えると、隣でルークが笑う気配がした。
「謹んで精霊王にご挨拶申し上げ候」
張りのあるルークの声が響き渡り、広間は水を打った様に静まり返った。
いつものようにルークの後にレイも精霊王に参拝する。
それが終われば、出て来た神官達と一緒に精霊王へ捧げる歌を奉納する。
先に練習していた甲斐あって、なんとか大きな失敗もなく、また声が出ないなんて事態にもならずに無事に独唱部分も歌い終える事が出来た。
改めて見上げた祭壇は、美しく輝いている。
「以前、本で読んだ、星空に吹く風を表した祭壇って……ここの事だったんだね」
感激した様にそう呟き、小さく一礼してルークに続いてその場を後にしたのだった。
次は、同じ敷地内にある女神オフィーリアの神殿への参拝だ。
神殿を出て、短い距離ではあるがラプトルに乗って女神の神殿まで移動する。
ここでも、いつもと同じ様に蝋燭を捧げて歌を奉納する。
女神オフィーリアを祀る祭壇は、聞いていた通りオルダムにあるものとそう変わりない、しかし見事な装飾だった。
そしてここのエイベル像もセンテアンスと同じく、レイの知る、あのエイベルにそっくりな姿をしていた。
「誰の作なんだろうね。まるで、会って来たみたいにそっくりだよ」
蝋燭を捧げた後、肩に座ったブルーのシルフにレイは嬉しそうに小さな声でそう呟いた。
『可能性はゼロでは無かろうな』
「え? どう言う事?」
『エイベルが亡くなってからまだ五十年ほどであろう? 竜人や、当時若かったドワーフならば、まだ充分に生きておる程度の時間ではないか?」
「あ、確かにそうだね。じゃあもしかしたら、本当にエイベルを知ってて、彼を想って作ってくれたものかもしれないね」
捧げた蝋燭の揺らぐ炎を見ながら、レイは笑顔になった。
子供達が出て来て左右に並ぶのを見て、レイは改めて女神オフィーリアの像に向き直る。
子供達の歌声に続き、レイとルークもゆっくりと女神オフィーリアに捧げる歌を歌い始める。
独唱部分では、少しだけ声がかすれてしまって内心大いに焦ったが、顔は何事もなかったかの様に平然としていた。
最後に子供達から花束を貰い、拍手に包まれた神殿を後にしたのだった。
また大勢の人達の大歓声に見送られて、駐屯地までの道をゆっくりと列になって戻って行く間中、鞍上で、レイは先程見た神殿の見事な精霊王の星の海と風の祭壇を思い出してうっとりと夢見心地になっていたのだった。
到着した駐屯地で、司令官と一緒に昼食をいただく。
「街の精霊王の祭壇はいかがでしたか?」
食後のお茶を飲んでいた時、かけられた司令官の言葉にレイは目を輝かせて大きく頷いた。
「すごく、すごく綺麗でした。もう、見惚れて言葉も出なかった程です。風が、流れる風が見えるなんて夢の様でした」
レイの言葉に、司令官も笑顔になる。
「私は、軍人となって他の街へ行くまで、こことセンテアノスの神殿しか知りませんでした。なので、逆に他の神殿を見て驚いた覚えがありますね。生まれた土地に戻って来て、やはりここの神殿が一番美しいと思うのは、私の個人的な思い入れが入っているからなのでしょうけれどね」
「僕もまだ、それほど多くの街の神殿を見たわけではありませんが、本当に、今日見た神殿の祭壇は、とてもとても美しいと思います」
「そう言っていただけたら、私も嬉しいですね」
満面の笑みで話すレイを、ルークは面白そうに見つめていた。
食事が終われば、もう直ぐに出発だ。
外に出ると、竜達は鞍を付けて準備万端で待っていてくれた。
ブルーとルークの竜のオパールには、それぞれ荷物の入った箱が取り付けられている。
「ご購入なさったお土産と一緒に、ささやかですが、私からの贈り物も梱包しております。どうぞお納めください」
「ありがとうございます。また、お会いする事があれば色々教えてください」
笑顔で司令官と握手を交わし、ルークの横に立って改めて直立して敬礼した。
見送りの為に整列していた兵士達が、一斉に直立して敬礼してくれた。
「じゃあ行こうか」
ルークにそう言われて、レイはブルーの腕から鞍によじ登った。
きちんと座り直して、改めて敬礼する。
整列した兵士達が見上げる中を、二頭の竜はゆっくりと上昇して行った。
一度上空を旋回し、その後最後に街の上空を旋回してから、二頭の竜はゆっくりと飛び去って行った。
「それで、念願のセンテアノスとクレアの感想は?」
ルークの声が耳元で聞こえて、レイは小さなため息を吐いた。
「もっと時間があれば、街の中も見てみたかったです。でも、本当に綺麗だったね」
嬉しそうなレイの言葉に、ルークも笑顔で頷いた。
「星系信仰なんて知らない俺が見ても、あの祭壇はどちらも本当に美しかったよ。失われたアルカーシュにあったって言う、星系信仰の大神殿は、本当にどれくらい美しかったんだろうな」
ルークの言葉に、レイも小さく頷いた。
そして思い出していた。
レイが最初の過去見の夢で見たあの大きな神殿が、恐らくその大神殿なのだろう。だとすれば、祭壇だけでも先程の神殿の倍以上の大きさがあった筈だ。
レイが見たのは見事な玻璃窓だけだったが、今なら分かる。あれは天体盤をそのまま玻璃窓にしたものだ。
失われた物の尊さとその大きさを想って、レイは小さく祈りの言葉を呟いたのだった。
「平和が良いよ。タガルノとの戦いが無ければ、アルカーシュだってまだあった筈でしょう?」
「そうだな。歴史を語る上で、もしも、は意味を為さないけれど、それでも思わずにはいられないよな。もしもアルカーシュが残っていたらって」
「きっと、この国とも仲良くしていただろうね」
「そうだな。もしもそうなら……世界はどんな風になっていただろうな」
「でも、それならアルカディアの民はいないから、もしもそうなら色んな事が変わってるだろうね」
「確かにそうだな。きっと、もっと違う世界になっていただろうな」
何となく、それっきり言葉が途切れ黙ったまま、二頭の竜は並んでゆっくりと北上して行ったのだった。
「ほら、そろそろ穀倉地帯に入ったみたいだな。景色が変わって来た」
物思いに沈んでいたレイは、ルークの言葉に慌てて下を見て驚きの声を上げた。
「うわあ、本当だ。あれ全部畑なんだよね。凄いや……」
半ば呆然とそう言ったきり、レイは眼下に広がる景色に圧倒されていた。
綺麗に区画された巨大な畑が延々と規則正しく続いている。
時折、畑の中に人がいて、上空の竜に気付いて手を振っている人もいる。
「五の月の中頃なのに、あんなに畑が緑で埋め尽くされてる。凄い。蒼の森と全然違うや」
感心した様なレイの呟きに、ルークが改めて下を見る。
「どう言う事だ?」
「えっと、蒼の森では、大体四の月に入ってから春の畑の
「ええと、よく分からない言葉があるな。畝起こしって何?」
ルークの質問に、目を瞬いたレイはしばらく考えて納得した様に頷いた。
「そっか、ルークは畑仕事なんてした事がないんだったね。えっと、畝起こしは畑を一旦掘り返して土に空気を含ませて柔らかくした後、こんな風に、種を撒くところを山状に盛り上げるんだ。凹んでいる部分が、人が歩いて作業をする場所で、山になっている部分の一番上に、色んな種を植えるの。そうすれば、沢山柔らかい土が使えるでしょう?」
身振り手振りを交えて説明する。
「ああ、なるほどね。分かった。へえあれを畝起こしって言うんだ」
妙な事を感心されて、レイは何だかおかしくなって来た。
「じゃあ、ここでの詳しい話はレイに任せるのが良さそうだな。俺の分もしっかり聞いておいてくれよな」
「任せて。実は大規模農園ってどんな風なのか、とっても興味があるんだ」
また目を輝かせるレイに、ルークも笑顔になるのだった。
今年は、グスタム伯爵も話を理解してくれる人が視察に来てくれてきっと喜ぶだろう。
伯爵でありながら、繁忙期には自らも畑に出るのだと言うその人物を思い出して、ルークは苦笑いするのだった。
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