夜会でのあれこれ
「遅かったな。大丈夫か?」
執事に案内されて会場に戻ったレイに気付いたカウリが、そっと近付いて来て心配そう覗き込んだ。
「えっと……大丈夫だよ」
横目で何か言いたげに自分を見るカウリに、レイは笑って誤魔化そうとしたが果たせなかった。
完全に目が泳いでいる。
「もしかして……何かあったか?」
「えっ? べ、別に何にも無いよ!」
慌てて否定するが、その言い方と慌てっぷりは、もう何かありましたと白状しているようなものだ。
鼻で笑ったカウリは、小さな声でレイに言った。
「分かったから、別に何も無い、の、無い事にした詳しい内容を言え」
一応ルークから、レイルズの面倒を見てくれよな。と頼まれている。
この場合の、頼む、は、会場以外の場所でまずい事になりそうなら助けてやってくれよな。と言う意味だ。
まあ主に、レイルズが一番引っかかりそうな色仕掛け的な場合において、下手な女狐に引っかかって迂闊にお持ち帰りでもされてしまってはさすがにまずいので、それだけは阻止してくれよ、って意味でもある。
一応見た所問題があるようには見えないが、わざわざ執事が会場まで案内して来たという事は、恐らく何かあったのだろう。
「えっと……」
横目で見ると、レイは誤魔化すように笑って首を振った。
「後で言います。一応大丈夫だったよ」
もうその言葉だけで、何があったのかの予想があらかたついてしまった。
恐らく、どこぞの女狐に言い寄られて断り切れずに困っている所を、先程の執事に助けられたのだろう。
まあ未遂で済んだのなら何よりだ。
「そっか、じゃあ後で詳しく聞かせてもらうよ」
からかうようにそう言ってやると、眉を寄せて困り顔になった。
妙に幼さの残るこの顔は、密かに女性達の間で人気になっているのだ。
「はいはい。分かったからその顔はやめろって。それからさっきミレー夫人から聞いたんだけど、後で少しだけアデライド様とスカーレット様がお越しになるそうだぞ」
「ええ? そうなの。じゃあご挨拶しないとね」
無邪気なレイの言葉に、カウリは笑って肩を竦めた。
通常、こう言った倶楽部が主催する夜会には皇族の方は滅多に来ない。しかし、今夜のレイルズとカウリにとっては二人だけで参加する初めての夜会だと聞いたマティルダ様直々のお願いで、お二人が様子を見に来る事になったのだった。
「愛されてるねえ」
面白そうに小さく呟いたカウリは、もう一度笑ってレイの背中を叩いた。
二人が話し終えた途端にまた次々と話しかけられてしまい、結局、また何人ものお嬢さん方と踊る事になったのだった。
「あれ、ティンプル?」
ようやくダンスが一段落した時、少し離れた所で自分を見ている見覚えのある顔にレイは思わず自分から話しかけた。
周りが密かに騒めいたのに、レイは全く気付いていない。
今日の彼女は、とても綺麗に着飾っている。その柔らかな栗色の髪には、幾重にも重なった真っ白なレースのリボンと、薄紅色の房になった小花の細工物が飾られていた。
それは本当に、雪の中から出てきて春の訪れを告げる、春一番に咲く花のようだった。
そして春の森のような新緑のドレスに身を包んでいるその姿は、本当に春の森から抜け出して来た森の精霊のようだ。
「素敵なドレスだね。髪や髪飾りと合わせると、そのまま春の森の色だね」
そう言って笑うと、ティンプルは分かりやすく真っ赤になった。
「好きな色のドレスなんです……」
俯いて小さな声で答える彼女に、レイはそっと右手を差し出した。
「一曲、お相手願えますか?」
「喜んで」
顔を上げて、笑顔で手を取ってくれたので、丁度音楽が変わるタイミングで中央にゆっくりと出て行った。
「そう言えば、母上に天文学の初心者向けの本を何冊か買っていただきました。軌道の計算方法はさっぱりですけれど、版画の挿絵がどれもとても綺麗なんです」
踊りながら話をしていると、ティンプルが目を輝かせてそう言ったのだ。
「ええ、そうなの? どの本だろう?」
思わずそっちに気がいってしまった瞬間、ティンプルが声こそ上げなかったが目を見開いて急に止まってしまった。
レイが、うっかり彼女の左足の先を踏んでしまったのだ。
「ああ、ごめんなさい! 大丈夫ですか!」
慌ててダンスをやめて下がった。
周りの無言の注目を集めていたが、レイはそれどころでは無かった。
「本当にごめんなさい、あの……大丈夫ですか?」
もしも足の爪が割れていたりしたら大変だ。
自分が履いているのは靴底の硬いしっかりとしたブーツだが、ドレスの先から見える彼女が履いている靴は、自分のそれとは違い先の細くなった、まるでスリッパのような薄さの踵しかないような小さな靴だ。
しゃがんで足元を見たレイは、こんな時なのにそのあまりに華奢な靴の作りに感心していた。
あれでダンスが踊れるって、女性って凄い。
場違いな感想を抱いてしまい無言で靴を見つめる。
「あ、あの……大丈夫ですから、どうぞ立ってください」
俯いたまま小さな声で言われて、我に返ったレイはゆっくりと立ち上がった。
踵の高い靴を履いていても、レイと並ぶと彼女は小さく見える。
「こちらこそ申し訳ありませんでした。ちょとびっくりしただけです。もしかして、レイルズ様はダンスでお相手の方の足を踏むのは初めてですか?」
その余りの狼狽っぷりに笑いながら上目遣いにそう聞かれて、レイは困ったように眉を寄せる。
「えっと、練習の時は、サヴァトワ夫人は硬い甲の足首まであるしっかりした靴を履いておられました。なので、本番で足を踏んだのは……その、初めて、です」
余りの情けないその声に、ティンプルは笑ってしまった。
「まあ、そういう事なら仕方がありませんね。ダンス初心者のレイルズ様に免じて、許して差し上げますわ」
そう言われて、ようやくレイは安心して小さくため息を吐いた。
「本当に大丈夫ですか? あの、もしも爪が割れたりしていたら……」
「大丈夫です。そんなに簡単に割れたりしませんわ。あのね、教えて差し上げますけれど、私、ロベリオ様に何度足を踏まれたかなんて、もう覚えていないくらいにありましてよ」
驚くレイに、ティンプルは笑って小さく肩を竦めた。
「だから、そんなに気に病む必要はございませんわ。次はもうちょっと上手く踊れるようにね」
からかうようなその言葉に、レイもようやく笑顔になるのだった。
「まあまあ、仲のよろしい事。ロベリオ様が嫉妬なさいましてよ」
背後から掛けられた声に、二人が揃って振り返ると、そこにいたのはシュクレと二人の母であるキシルア夫人だった。夫人の後ろにはカウリとシュクレの姿も見える。
「急にいなくなるから、どうしたのかと思いましたわ。もしかして、踏んでしまいましたか?」
最後は小さな声でそう言われて、レイはまた眉を寄せた。
「あ、はい。えっと、本当に申し訳ありませんでした」
しかし、夫人もシュクレもそんな彼を見て笑っているだけだ。
「まあ、お相手の方の足を踏んだ事の無い方はおられませんよ。大丈夫だった?」
最後はティンプルに向かって小さな声でそう尋ねる。
「はい、一瞬だったので驚いただけです。なのに、レイルズ様ったらこの世の終わりみたいなお顔をなさるから……」
笑いを堪えてそう言われてしまい、レイはもっと情けない顔になる。
「まあこれも経験でございますわ。大丈夫ですから、どうぞ気に病まれませんように」
笑った夫人にそう言われて、レイはとにかくもう一度謝った。
その時、会場が不意に騒めいた。
「お越しになったみたいだな」
カウリの声に顔を上げると、全員が同じ方向を見ている。
その視線の先には、アデライド様とスカーレット様が執事の先導で会場に入って来る所だった。
「まあまあ、お二人共なんて凛々しいのかしら。とても素敵よ」
ミレー夫人と挨拶を終えたアデライド様に嬉しそうにそう言われて、レイとカウリも揃って二人に順番に挨拶をした。
「一曲お願いしてもよろしいでしょうか?」
カウリが前回とは逆に、アデライド様に右手を差し出す。
「ええ、よろしくてよ」
軽く膝を折ったアデライド様は、嬉しそうにそう答えると、カウリの手を取って会場の真ん中へ出て行った。
こうなると、レイがスカーレット様をお誘いしない訳にはいかない。
「えっと、一曲お願いしてもよろしいでしょうか」
右手を差し出したが、その指先はちょっと震えていた。
また足を踏んでしまったらどうしよう。
パニック寸前の頭でそう考えていると、レイの手を取ったスカーレット様はにっこりと笑った。
「大丈夫よ。今夜の私は、甲の硬い靴を履いていますからね」
すぐ近くで向かい合っている為に足元は見えないが、それならば少しは安心出来る。
「お気遣い感謝します。実はさっき、ティンプルの足の先を踏んでしまったんです」
また眉を寄せて情けない声でそう話す彼を見て、スカーレット様はもう、笑いそうになるのを必死で堪えていたのだった。
無事に足を踏む事なく踊りきり、今度はお相手を交代してもう一曲ダンスを踊った。
ようやく、少しだけ余裕の出て来たレイも、踊りながら小さな声で今日までにあった事をアデライド様に報告していたのだった。
『まあこれも経験ね』
『主様は怖がり』
『女性の扱いはまだまだだね』
見事なガラス細工の飾り窓に座って、ニコスのシルフ達は、一生懸命踊っているレイを眺めながら楽しそうにそんな事を言っている。
『其方達、面白がっておるな?』
隣に座ったブルーのシルフが呆れたようにそう言っているが、その声は完全に笑っている。
『これは我らには助けてあげられない』
『主様頑張れ!』
『頑張れ! 頑張れ!』
『がーんーばーれー!』
『頑張れー!』
ニコスのシルフがそう言うと、周りにいた大勢のシルフ達も笑いながら、頑張れと合唱して、手を叩いて楽しそうにしている。
『まあ確かに、あの顔は可愛いな』
眉を寄せるレイの顔を見たブルーのシルフがしみじみとそう言い、それに同意するシルフ達で、周りは笑いに包まれたのだった。
そんな彼らの会話が聞こえてしまったカウリは吹き出し掛けて、咄嗟に誤魔化すように横を向いて咳払いをして、踊っていたスカーレット様に心配されてしまったのだった。
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