新たなる名前

「それじゃあ気をつけてね」

「次に会うのは、訓練所かしらね」

 遅くなった為、護衛の女性兵士と一緒に笑顔で分所へ戻る彼女達を見送り、レイは小さくため息を吐いた。

 あの後、ルークが呼びに来た為に何となくそのままになってしまったが、彼女はちゃんと理解してくれただろうか。

 何だか様子がおかしかったのは何だったんだろう。少し不安に思いつつ、隣にいるジャスミンを振り返った。

 彼女はまだする事があるらしく、二人を先に帰らせたのだ。

「じゃあ行こうか」

 ルークの言葉に、ジャスミンは頷いて大人しく促されるままに、改めて第二竜舎に向かった。

 陛下を含めた全員が付いて来る。



 明かりが煌々と灯された第二竜舎は、沢山の兵士達が働いていた。彼らが竜舎に入って来た途端、全員がその場に直立して敬礼する。

「ご苦労、そのまま続けてくれ」

 陛下が右手を上げてそう言ったが、半分近い兵士は一旦手を止めて竜舎を出ていった。

 マッカムが慌てたように駆け寄って来る。

「新たな竜の主にお祝い申し上げます。どうぞ、ルチルと共に末永くお幸せに」

 両手を握り額に当てて跪き、ゆっくりと頭を下げる。

「あの……」

 困ったように、自分を見る彼女に頷き、ルークはそっとマッカムの肩を叩いた。

「どうぞ立ってください。ルチルの様子は如何ですか?」

 立ち上がったマッカムは、小さく笑って振り返った。

「先程まで少し興奮していたようですが、もうすっかり落ち着きを取り戻しました。何度見ても本当に見事だ。主を得た竜の変わりようにはいつも驚かされます」

 そこには新しい主を得て自信に満ちあふれたルチルの姿があった。

 それは最初に見た時よりも、一回り体が大きくなったようにさえ感じた。



 真っ直ぐに自分を見つめるルチルを見上げたジャスミンは、我慢出来ないかのように小さく震えて息を飲むと一気に駆け出した。



 誰も、そんな彼女を止めない。



 差し出された大きな頭に抱きつく彼女を、全員が優しい目で見つめていた。

「呼んでください。ジャスミン。貴女が私にくれた名前で」

 静まり返った竜舎に、ルチルの蕩けそうな優しい声が響く。


 手を緩めて顔を上げたジャスミンは、戸惑うようにルチルを見てもう一度そっと抱きついた。

「……あれで良いの?」

 自信無さげなその呟きに、ルチルは大きな音で喉を鳴らした。

「はい、それが良いです。お願いだから、呼んでください」

 顔を上げたジャスミンは、頷いて口を開いた。



「コロナ」



 その瞬間、物凄い数のシルフ達が現れて、大喜びで手を叩いたり輪になって踊りだしたりした。


『祝えよ』

『祝えよ!』

『祝えよ祝えよ!』

『めでたき日』

『新たな名前が与えられた!』

『愛しき竜に祝福を!』

『幼き主に祝福を』

『祝えよ祝えよ!』

『祝えよ祝えよ!』

『愛しき竜に祝福を!』


 皆嬉しそうにくるりくるりと跳ね回り、手を取り合って踊っている。

 それを見たジャスミンは笑顔になった。

「良き名だな」

「確かに」

 すぐ後ろで聞いていた陛下とアルス皇子は、顔を見合わせて満足そうに頷いている。



 それを聞いたレイは、思わずジャスミンに話しかけていた。

「ねえ、ジャスミン。コロナって……太陽のコロナの事?」

 驚いて目を見開いたジャスミンだったが、嬉しそうに笑って大きく頷いた。

「よくご存知ですね。その通りです。私の亡くなった祖父が、若い頃に王都の大学で天文学を学んでいたそうで、お爺様のお部屋には天文学の難しい本が沢山あったんです。お爺様のお部屋に行ったらいつもその本棚を開けて下さって、好きに本を見せてくださいました。だけど、とても難しくて私でも読める本はごくわずかだったんですけれど、その中の一冊に太陽について詳しく書かれた本があって、綺麗な版画の挿絵が何枚もあったんです。ええと、確か……そう、日食です。昔は冥王の仕業だと恐れられた、太陽が昼間なのに真っ暗になる現象について書かれていて、そこで真っ黒な太陽の周りに見られる光の矢が、コロナと呼ばれる現象だと書いてあったんです。とても綺麗な挿絵で、いつも時間を忘れて見入って笑われました。あの本はもう手元に有りませんが、この子を見た時……突然姿が真っ暗に見えて、直後に輪郭に沿ってまるであの時の挿絵のように四方に綺麗な光の矢が放たれたように見えたんです。その後に姿が見えるようになって……もうそれは綺麗で、綺麗で息をするのも忘れるくらいに綺麗で……その時に思ったんです。ああ、まるでコロナみたいだって」

「皆既日食の事だね。僕も見た事はないけれど、多分、その本なら同じ物がお城の図書館にあると思うから今度探してあげるね。あ、何ならハンドル商会のシャムにお願いして、その本を探して貰うから贈らせてよ。きっと手に入ると思うよ」

 驚きに目を瞬かせるジャスミンに、レイは満面の笑みで頷いて見せた。

「古い本でしたが、今でも有るでしょうか?」

「どうだろうね。だけど、日食の本なら挿絵がいくつも入った本が他にもあるから、もしも無ければそれでも良いかもしれないね。天文学の本の版画って、使い回されている事も多いから、もしかしたらその版画が他の本にも載っているかもしれないよ」

「まあ、そうなんですか。もし、もう一度あの絵に会えるのなら、とても嬉しいですわ」



 楽しそうに仲良く話す二人を、若竜三人組は少し離れた所から面白そうに見ていた。

「あれあれ、これは恋のライバル現る?」

「ううん、これはどうなんだろうね。ちょっと経過を見守る必要がありそうだ」

「彼女も冷静ではいられなくなりそうだね。これはどうするべきだと思う?」

 顔を寄せて、しかし周りに丸聞こえの会話をする三人を、呆れたようにルークが見た。そして、まだ話をしているレイルズを見てニンマリと笑って三人に顔を寄せた。

「どうかな、実はさっき既に……らしいぞ」

「ええ、そうなのか? やるなあ……」

「うわあ、さすがだね」

「レイルズ凄い。僕より先輩だね」

 そんな声が漏れ聞こえて、マイリー達も小さく吹き出した。

「どうやら、これはもう一波乱ありそうだな、どう思う?」

 面白そうにマイリーがヴィゴを見ながらそう尋ねる。

「お前、完全に面白がっておるな。バカを言うな。波乱など起こりはせんよ」

 呆れたようにヴィゴがそう言い、優しい目で二人を見た。

「俺の目には仲の良い兄と妹に見えるな。恐らく、レイも妹が出来たと喜んでる程度だぞ。あれは」

「ええ、そうなんですか?」

 ロベリオの残念そうな声に、二人は同時に笑った。

「お前らは何を期待しておる。心配要らんよ。あの二人の仲は本物だよ」

 完全に親の顔になっているヴィゴにそう言われて。ロベリオ達は苦笑いして肩を竦めた。



「どうしたんですか?」

 振り返ったレイルズとジャスミンがこっちを心配そうに見ているのに気付き、ヴィゴは笑って首を振った。

「何でもない。良い名を頂いたな。ルチルよ。新しい主と仲良くな」

 手を伸ばしてそっと鼻先を撫でたヴィゴは、目を細めて喉を鳴らすルチルに満足そうに頷いた。




 その後、いくつか伯爵と打ち合わせをして、護衛の兵士とマイリーが付けたシルフも一緒に、二人は一の郭の屋敷に戻って行った。

 それを見送り、迎えに来た護衛の者達と一緒にアルス皇子と陛下が城へ戻るのも見送ってから、全員揃って一旦休憩室へ向かった。

 それぞれいつもの席に座る。



 しばらくの間、全員が無言だった。



「まあ、とにかく最初の問題は解決したな。後は……神殿と元老院のうるさ方をどう抑えるかだな。さて、何処から攻めるかな」

 マイリーの呟きに、ヴィゴも唸り声を上げて口元に手をやったきり考え込んでしまった。

「まあ、少なくとも貴族の子女としての基礎教育は受けているからな。そう言う意味では、教える内容も、最初からかなり具体的に入れだろう。しかし今までとは違って、誰が教育係をするのかも含めて一から検討し直す必要はあるな」

「もし次があれば、俺かユージンが教育係をする予定だったって聞きましたけど、どうしますか?」

「まあ、もう少し待ってくれ。どうするかも含めてもう少し煮詰める必要があるよ。しかしこれは難題だ。正直言って俺がするべきじゃないか? これは」

「寝言は寝てから言え。お前の何処にそんな暇があると思っているんだ?」

 真顔のヴィゴにそう言われて、マイリーは笑って肩を竦めた。

「まあ確かにそうだな。何か決まったら教えるから、今のところは通常勤務で回してくれて構わないよ」

「了解です。では何か変更があればいつでも言ってください」

 ロベリオの言葉にマイリーも頷いた。



「さてと、じゃあ、この話は一段落だな。では、もう一つの議題に移ろうか」

 ルークの言葉に、全員分のカナエ草のお茶を用意していたレイは、一緒に作業をしていたタドラを振り返った。

「えっと、他にもまだ何かあったんですか?」

 しかし、タドラは笑って首を振るだけだ。

 密かに首を傾げつつ、全員にお茶を渡して自分の椅子に座る。タドラが目の前に出してくれたビスケットを齧りつつルークを見ると、彼は何故だか満面の笑みになった。



「で、俺がジャスミンと話をしている間に、お前は隣の部屋で一体何をしていたんだ?」



 その瞬間、一気に耳まで真っ赤になったレイは慌てて転がるようにして椅子から逃げ出した。

 しかし、当然のようにルークとカウリの二人掛かりであっと言う間に捕らえられてしまう。

「ん、お兄さん達に言ってごらん?」

 顎を突っつきながらニンマリ笑ったカウリにそう言われて、レイは真っ赤になったまま必死になって首を振り続けた。

 それを見た若竜三人組が大喜びで手を叩いて大爆笑になる。マイリーとヴィゴも、身を乗り出すようにしてレイを覗き込んでいる。

「絶対言いませーん!」

「言った方が楽になると思うけどなあ」

 襟足を擽られて、身動き出来ないレイは子供のような悲鳴をあげるのだった。



 カップの横に座ったブルーのシルフとニコスのシルフは、助けるでも無く、賑やかに戯れ合う子供のような彼らを笑いながら揃って見ていたのだった。





 *作者より*


 ジャスミンの竜の名前についてですが、この回の話を小説家になろうに初めて書いたのは2019年の11月の事でした。

 その後、今現在まで続くコロナ禍の中で、この名前を変えるべきかどうか、正直に言うと何度も悩みました。

 ですが、作中にもある通り、この名前の由来は太陽から出るコロナという現象である事。また名前を変えてしまうと、このエピソードそのものが成り立たなくなる事などを考え、この名前のままで行く事に決めました。

 創作物の中の、あくまでもキャラクターの名前です。

 どうぞ現実世界とは違う世界なのだと考えて、楽しんでいただきますようお願いいたします。

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