彼女の気持ちと周りの大人達

 レイと別れて部屋に入ったルークは、ソファーに座ったまま呆然と自分を見つめるジャスミンの側へ行き、出来るだけ驚かせないようにゆっくりと彼女の前に行って、その場でそっと膝をついてしゃがんだ。



 隣に座っているニーカも、ルークを見つめたまま黙っている。



 ジャスミンの右肩に一人のシルフが座って手を振っているのを見てから、優しい声で静かに話しかける。

「落ち着いたかい?」

 無言で頷いたジャスミンだったが、どう見ても落ち着いたようには見えなかった。

「大丈夫だから、ちゃんと息をしなさい」

 膝の上で握られていた右手をそっと取り、優しく撫でてやる。

「今のジャスミンの頭の中は、きっと真っ白だろうな。分かるよ。俺もそうだった」

 驚いたように息を飲み顔を上げる彼女を、ルークは正面からしっかりと見つめ返した。

「まず、新たなる竜の主に祝福を」

 そっと手の甲に口付ける。

 しかし、ジャスミンは今にも泣き出しそうな顔で無言で首を振るだけだ。

「竜の主になる事は、受け入れられない?」

 静かなルークの問いに、ジャスミンはもう一度首を振る。

「では、竜騎士になる事は?」

 その瞬間、可哀想なくらいに震えたジャスミンは、消えそうな小さな声で呟いた。

「戦いは……嫌」

 その言葉に大きく頷いたルークは、もう一度改めて彼女の右手をしっかりと取った。

「大丈夫、心配しないで。陛下はちゃんと考えて下さっていますよ。貴女のようなか弱い少女に、剣どころかナイフすら持った事も無いような子に、戦いに出ろとは言いませんよ」

「でも、竜の主は竜騎士様になるのでしょう?」

 不思議そうなその質問に、ルークは隣に座るニーカを見た。

「良い機会だからニーカにも聞いておきたい。君は竜騎士になる気はあるかい?」

 その瞬間、ニーカは何度も何度も必死になって首を振った。

「馬鹿な事を仰らないで下さい。私は、私はタガルノ人です。そんな私が、竜騎士になんかなれる訳有りません」

「違うよ。質問の意味を間違えないで。竜騎士になる気はあるかい? と聞いたんだ。答えは、はい、か、いいえ、のどちらかで良いよ」

「いいえ。いいえ。いいえ。それしか答えは有りません。私は、たとえ陛下に命令されても竜騎士にはなりません。それならばこう言います。どうぞこの場で私を殺してくださいと」

 はっきりと断言するニーカの隣で、ジャスミンも必死で首を振った。

「ルーク様、私も、私も竜騎士になりたくありません」

「ニーカ、そんな極端な話はしなくて良いって」

 予想通りの二人の答えに苦笑いしたルークは、手を伸ばしてニーカの膝を軽く叩いた。

 笑っているルークを見て、二人の少女は戸惑うように顔を見合わせる。

 彼女達は、てっきりルークがジャスミンに、竜騎士になるように説得しに来たと思っていたのだ。

 しかし話を聞く限り違うみたいで、どうしたら良いのか分からなくなってしまった。



「もう一度確認するよ。竜の主である事は受け入れてくれるかい?」

「はい、それは……それは嬉しいです。あの子に出逢えて……私、私……」

「でも竜騎士になるのは嫌なんだね」

「嫌です……そもそも、私には絶対に無理です」

 小さな声でそう答えてまた震えだしたジャスミンに、ルークは慰めるようにもう一度手を取って軽くその甲を叩いた。

「今は、竜の主である事を受け入れてくれるだけで良いよ。これから先の君の役目については、陛下が考えてくださるから安心して。大丈夫、絶対に悪いようにはしないから」

「本当ですか? だって竜の主は竜騎士様になるものなのに……」

 小さく笑ったルークは、隣に座るニーカを見た。

「じゃあ、彼女はどうなるんだい? 竜舎でクロサイトには会ったんだろう?」

 ジャスミンは、てっきりニーカも成人すれば竜騎士様になるものだとばかり思っていたのだ。

 何度か深呼吸をしたジャスミンは、ルークに手を取られたまま横を向いてニーカを見た。

「今日は、何だか夢を見ているみたいです。私が竜の主になって、でも竜騎士様にはならなくても良いって。それだけじゃなく、ニーカも将来竜騎士様にならないのなら、竜の主である私達はどうなるんですか?」

 一つ頷いて立ち上がったルークはそっとジャスミンの手を離した。

「それについては、陛下がお考え下さっているよ。君達は、軍人としての竜の主ではなく、聖職者の役目を担う竜の主として働いてもらう事になるだろう。分かるかい。司祭として、神殿での祭事や季節ごとの様々な祭り事に代表としての務めを果たすことになるだろう。そもそも、俺達がやっている事なんだけどね。その役目を主に君達にやってもらう事になるだろう。もちろん、我々も手伝うから安心して良いよ」

 顔を見合わせた二人の少女は嬉しそうに笑い合い、歓声をあげて抱き合った。

「本当に、本当にそうなりますか?」

 ニーカにしがみついたまま、ルークにそう尋ねる。

「まあ、具体的な役割や役職などについては、早急に決められるだろうからそれを待っていると良い。とにかく、君達に守り刀以外の武器を持たせるつもりはないから安心しなさい」

「ありがとうございます!」

 目を輝かせて抱き合ったままそう叫ぶ二人に、ルークは小さく笑った。



「さてと、レイルズとクラウディアはどうなったのかな?」

 恐らくジャスミンが竜の主になった事で、クラウディアもまた違う意味でパニックになっているはずだ。

 一人にさせるのは心配だったのでレイルズを付けて別室で待たせたのだが、今となっては逆にそっちの二人の方が心配になって来た。

「シルフ、レイルズとクラウディアはどうしている?」

 目の前のシルフにそう尋ねると、突然何人ものシルフ達が現れて一斉に口元に指を立てたのだ。


『シー!』

『シー! なの!』

『邪魔しちゃ駄目なの』


 その言葉に、ルークだけでなくニーカとジャスミンもほぼ同時に吹き出した。

「それってつまり、こういう事か?」

 笑ったルークが自分の口元に指を持っていき、軽く指先にキスをしてみせる。

 それを見たシルフ達が一斉に頷くのを見て、ルークはもう一度堪えきれずに吹き出した。

「成る程。こっちと違い、向こうの説得は実力行使だったみたいだな」

 腕を組んで大真面目にそう言ったルークに、言葉の意味を理解したニーカとジャスミンは二人同時に笑い出し、手を握り合ったまま二人揃っていつまでも笑っていた。




 一方、ボナギル伯爵と陛下とアルス皇子の話し合いは簡単に終わっていた。

 伯爵は竜騎士になる事の意味を知っていたので、ジャスミンを彼らと同じ扱いにはしないと断言してくれた陛下に、その場で跪いて感謝の意を捧げたのだった。

 ルークが彼女の意思を確認したら、受け入れ準備が整うまでは、一旦、一の郭の屋敷に帰らせる事もその場で決められた。



「特に、彼女に何か教えるような事はしなくても良い。普段通り自由にさせてやりなさい。精霊魔法訓練所にも今まで通り行かせてやればいい。受け入れ体制が整い彼女を本部へ来させた時点で、正式に彼女が竜の主になった事を私の口から発表しよう。その際に、女性の竜の主の役割についても正式に発表すれば良かろう」

「ご配慮感謝致します。では、そのように計らいます」

 もう一度跪いて握った両手を額に当てて深々と頭を下げる伯爵を見て、陛下は大きく頷いた。

「一の郭の其方の屋敷周りには、密かに警備の者を配置しよう。竜騎士隊からもシルフを付けるから、何かあったらすぐに分かるので安心しなさい」

「重ね重ね、感謝の言葉もございません」

 改めて謝意を示した伯爵に、アルス皇子も笑顔になった。

「どうやら、ジャスミンの方も話は終わったようですね。大丈夫ですよ。彼女も竜の主である事を受け入れてくれたようです」

「まずは、最初の問題は解決したな。では後は我らの仕事だ。準備が出来たら知らせを寄越すので、今日の所は屋敷に戻ってくれて構わんぞ」

「かしこまりました。ではそのようにさせて頂きます」



 顔を上げて嬉しそうに答えた伯爵に、陛下も笑顔になる。

「文字通り、新しい時代の幕開けだな。戦いの無いこの平和が長く続いてくれる事を切に願うよ」

 アルス皇子と目を見交わして頷き合った二人は、立ち上がって部屋を後にした。

 二人を見送り、大きなため息をを吐いてソファーに倒れ込んだ伯爵は、無言で顔を覆って長い時間無言だった。

 しばらくして顔を上げた伯爵は、小さく笑って窓の外を見た。

「まさに、精霊王の采配だな。今まさにこの時に、同い年の女性の竜の主がいてくれるとは……なんと心強い事か。一度彼女を招待して、屋敷でゆっくり話をしたいものだ」



 その窓辺にはブルーのシルフが座って彼らの話を最初から最後まで聞いていたのだが、その事に気づいていないのは、精霊の見えない伯爵一人だけだった。

 彼の視線は、正確にブルーのシルフが座る場所を見ていたのだが、その目に写っているのは暮れ始めた夕焼けの空だけなのだった。

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