竜の主である事と二人の想い

 二人が足早に部屋から出て行くのを全員が黙って見送り、扉が閉じられてから、カウリが大きなため息を吐いた。

「なんだか大変な事になりましたね。まさか、ニーカに続いて十三歳の少女が竜の主とはね……」

 ロベリオとユージンは無言で顔を見合わせて、カウリと同じようにため息を吐いた。

「でも良かったです、陛下のお考えを聞かせ頂けて安心しました」

「俺達も、連絡を受けて慌てて戻ってきたんですが、正直言って心配していたんです。まさか、剣どころかナイフすら持った事が無いような少女を竜騎士にするのかとね」

「仮に本人が納得して鍛えるとしても、かなり無理があるだろうって話していたんですよ」

「まあ、それは今後は人によって臨機応変に対応する必要はあるだろうな。例えば軍の女性士官が竜の主になるのなら、それは男女の比は無く戦力として充分期待出来るだろう。だが今回の彼女のように、およそ武力と縁の無いような女性の場合には、今言ったように主に祭事を司る役割を考えるのが最善だろうな。いずれにせよ、我々自身の考え方も今までと同じではいられないという事だな」

 マイリーの言葉に、全員が頷いた。

「任命の儀式についても、今までの者達と同じという訳にはいかぬ。神殿側との擦り合わせも必要だから、すぐには出来ぬな」

 苦笑いした陛下の言葉に、皇子も頷いている。

「では私は、ボナギル伯爵に会って来よう。彼の意向も確認しておかねばな」

「そうですね。それならば私も一緒に参ります。父上と一対一よりは私が一緒の方が伯爵も話しやすいでしょうからね」

 そう言って立ち上がったアルス皇子に、陛下は頷いた。




「では、まずは彼女の為の部屋を、兵舎に用意すべきだろう。さて、どうするかな」

 マイリーの言葉に、カウリが顔を上げた。

「それならば、兵舎の四階は使っておりませんがそこも竜騎士隊の管轄です。そこを丸ごと女性用の階として使えば良いのでは有りませんか? まあ、ニーカの扱いは、別の問題なので、今回は置いておくとしても、少なくとも、ジャスミンの身の回りの世話をする従卒……じゃなくて、この場合はメイドか女性兵士になるんですかね、そういった世話係の女性の為の部屋も必要です。そうなると各部屋の修繕や改装が必要になるでしょうから、俺の時のように、すぐにこちらに移動させる訳にはいきませんね」

「確かにそうだな。女性を俺達と同じ階に住まわせる訳にはいかんだろう」

 ヴィゴの言葉に、皆苦笑いしながら頷いている。

「兵舎は、基本的に男女の部屋は厳格に分けられていますからね。一般兵の兵舎は、男性用の階に女性の立ち入りは厳しく制限されています、当然逆もね。四階の修繕に時間がかかるようなら、その女性兵士用の部屋の一部を使わせてもらうか、あるいは、一旦一の郭の屋敷に帰らせる事も考えるべきでしょう。彼女には護衛のシルフを付ければなんとかなるのでは?」

 カウリの言葉にマイリーとヴィゴも頷いている。

「これに関しては、ジャスミンの考えを確認の上動くのが良かろう。ルークの方はどうなっている?」

 マイリーの言葉に、机に座った何人ものシルフ達のうち一番先頭の子が口を開いた。




 部屋を出て、先を歩くルークの背中を追いかけて、レイは早足で歩いた。

「ねえ、ルーク。クラウディアは、話が終わるのを待ってて貰えばいいの?」

「ああ、それで頼むよ。場合によっては、今夜は彼女に付いていて貰った方が良いかもしれないから、彼女も先に帰らせないでくれよ」

「分かりました」

 到着した部屋に、ノックをしてルークが入る。その後にレイも黙って続いた。

「おお、ルーク様。この度は、とんでも無い事になりまして……もう私はどうしたら良いのやら……」

 部屋にいたのは伯爵一人だけで、ルーク達が入ってくるのを見て、座っていたソファーから慌てて立ち上がったのだった。

「落ち着いてください。後程陛下がこちらに来られると思いますので、陛下から詳しい話を聞いてください。大丈夫です。きちんと彼女の事を考えて下さっております」

 安心させるように何度か肩を叩いて、ソファーに座らせる。

「とにかく彼女と会ってきます。ではまた後程」

「えっと、失礼します」

 あっという間に、ルークが部屋から出て行くのを見て、レイも慌ててそう言って一礼して部屋を後にした。



 一旦廊下に出て、隣の部屋に向かう。

 その部屋の扉の前には第四部隊の兵士が二人立っていた。

「ご苦労様。彼女の様子は?」

「ほぼ放心状態ですね。お部屋に来られた時は、かなり興奮してニーカ様や巫女様とずっと話をしておられたのですが、先程から急に黙り込まれてお二人共困っておられます」

「まあ、普通そうなるって。しかも、一切の心構え無しだったんだもんな。まあ良い、ちょっと話をしてみるよ」

 そう言って扉をノックする。中からクラウディアの声が聞こえて、小さく扉が開く。

「ルークです。入ってもよろしいですか?」

「は、はい、あの……」

「レイルズ。彼女とそっちの部屋で待っていてくれるか」

 クラウディアに手招きして部屋から出て来てもらい、そう言って彼女をレイに預けると、そのままルークは入れ違いに部屋に入って扉を閉めてしまった。



「あ……」

 閉まってしまった扉を見て、クラウディアが戸惑ったような声を上げる。

 しかし、勝手に扉を開けようとはせず、一緒に廊下に取り残されたレイを困ったように振り返った。

「あの、レイ……」

「とにかくこっちへ」

 クラウディアの手を引いて、言われた隣の部屋に入る。



 そこはがらんとしているが、綺麗に掃除はされていて、窓際に大きなソファーが置かれていた。

 真ん中に、会議用の机と椅子が数脚置かれているのを見て、レイは窓際のソファーに彼女の手を引いて行った。

「座って。話が終わるまで、ここで待っていてくれる?」

 出来るだけ優しい声でそう言うと、クラウディアは大人しく座って小さく頷いた。

「日が入らないと部屋が暗く感じるね。ウィスプ、明かりをお願い」

 レイの言葉に、ペンダントから光の精霊が一人出て来て机の端に座った。軽く手を叩くと、部屋は適度な明かりに満ちた。

 それを見て、小さく笑ったクラウディアは、両手を握って黙って額に当てた。


 しばらくの間会話は無かったが、先に口を開いたのはレイだった。


「とんだ騒ぎになっちゃったね。残ってもらって悪かったけど、神殿でのお仕事は大丈夫なの?」

 何を言って良いのか分からず、とにかく一番無難な事を聞く。

「夕刻のお祈りはありますが、ロベリオ様が神殿に連絡してくださると仰っておられたので、大丈夫だと思います。私も、彼女が、心配です……」

 最後の言葉は、小さな声で呟くように落とされた。

「大丈夫だよ。彼女はもう一人じゃない。ルチルがついているからね」

 額に握った手を当ててその言葉に無言で頷くクラウディアの横顔を見ながら、レイは思わず呟いていた。

「ルチルの主が、君じゃなくて良かった……」

「それは、それはどう言う意味ですか?」

 驚いたような声で聞かれて、レイはさっきの思いを言葉に出していた事に気付いて慌てた。



 無言で見つめ合う。



 クラウディアは、ルチルに泣きながら抱きつくジャスミンを見て、なんとも言えない黒い感情を抱いていたのだ。

 どうしてあの新しい竜の主になったのが、自分では無かったのかと。

 もしも、もしも彼女では無く自分が竜の主になれていたなら、ずっと彼と一緒にいられる理由が出来たのに、と。

 そして、同時にそんな風に考えた自分が怖かったのだ。

 それなのに、レイは竜の主になったのが自分で無くて良かったと言ったのだ。



 彼は、自分と一緒にいたいと思ってくれていない。

 その考えもまた、彼女を叩きのめした。




「だって、だって……もしも君がルチルの主になって竜騎士になっていたら……」

 レイはそこで言葉を詰まらせて俯いた。

「以前、ルークに言われた事があるんだ……竜騎士になるって事は、自分の命をこの国に捧げるって事と同じ意味を持つって。竜騎士は城の飾り物なんかじゃ無く、有事の際には即座に出撃命令が下る。それこそ、千人の兵士を派遣するよりも早い最強の即戦力だからって……そして、こうも言われた。軍人には普通の人が持っている当り前の事が無いって」

「普通の人が持っている、当り前の事?」

 顔を上げたクラウディは、真剣な顔でレイを見つめている。

 顔を上げて彼女を正面から見たレイは、口を開いた。



「自分の命が、自分のものじゃ無いって事」



 息を飲むクラウディアに、レイは一つ頷いた。

「命令は絶対で、場合によっては死ぬと分かっていても、命令されたらそれを拒否する事は出来ない。もしも君が竜の主になって竜騎士になっていたら、君にも同じように出撃命令が下る事になる。そんなの……そんなの考えただけで絶対に嫌だ。叫びそうになるよ」

 泣きそうな顔で無言で首を振る彼女に、レイは笑ってみせた。

「もちろん僕だって簡単に死ぬつもりはないよ」

 キッパリと言い切る彼に、クラウディアはなんと言ったら良いのか分からなくなった。

「僕は精霊王に誓った。僕を守ってくれた森の家族を、今度は僕が守るんだって。今ではこうも思っているよ。愛しい君がいるこの国を守りたいって。もちろんまだ見習いだし出来ない事だらけだけど、今の僕にはそれが出来るだけの力がある。ブルーがいてくれるからね。竜の主になるって事は、それだけの力と責任を持つって事なんだよ」

 彼女の様子に気付いているのかいないのか。レイはそう言って、もう一度笑った。

 その屈託の無い無邪気とも取れる笑顔に、クラウディアは目を逸らして俯き、口を開きかけては歯を食いしばって、必死になって叫びそうになるのを堪えていた。

 膝の上で握った手は震えていた。



「ディーディー?」

 何も言わない彼女に不安を感じたレイが、俯いたきり動かない彼女に小さな声で呼びかける。

「それならば……」

 ごく小さな声で、クラウディアが口を開く。

 まるで息が出来ないかのように、何度も何度も小さく息を飲み込んでは喉元を押さえる。

「だ、大丈夫?」

 様子がおかしい事にようやく気付いて、慌てて側に行って背中をさする。



「それならば、それならば私の気持ちはどうなるのですか!」

 突然大きな声で彼女が叫び、レイは驚いて文字通り飛び上がった。

「ディ、ディーディー?」

 体を起こした彼女は、レイの胸元を右手で掴んで左手で叩くような仕草をする。

 もちろん、レイにしてみれば痛くも何とも無い程度の力だったが、それが彼女にとっては精一杯の力だったのだ。



「ただ、ただじっとして守られていろと? 貴方は私にそう仰るのですか? ならば何の為に、何の為に私は精霊魔法を習っているの? 私だって、私だって大切な人を守りたい。私だって貴方を守りたいわ! 私にとって、貴方を失うよりも怖い事なんて、この世に一つもありはしないのに!」

 その言葉を聞いた瞬間、レイは力一杯彼女を抱きしめていた。



「ごめん、ごめん。独り善がりの勝手な思い込みだったね」

 無言で首を振り、手を突っ張って離れようとする彼女を、レイはもう一度しっかりと抱き寄せる。

「確かに、確かに私には力は無いわ。ラプトルにだって乗れはしないし、剣なんて持った事もない。だから確かに貴方の言う通りなんでしょう。何かあっても、私はただ怯えて守られている事しか出来はしない。ならばせめて、せめて私に貴方の心を守らせてください!」

 今度は彼女の方から縋り付くように抱き付いてきた。

「ありがとうディーディー……あ……あ、愛してるよ」

 つっかえながらのぎこちないその告白に、クラウディアは思わず吹き出してしまった。

「ええ、笑うなんて酷いよ、ディーディー。せっかく僕が必死で、その、こ……告白したのに」

「ごめんなさい。でも嬉しい。ありがとうございます、私も、私も愛しているわ」

 ごく近くで顔を見合わせた二人は、そのままそっとごく自然にキスを交わしたのだった。



 何があろうとも、生涯一度の恋と決めたのだ。

 もう迷わない。

 例え何があろうとも、ただ彼を信じていればいい。



 胸の中で自分にそう言い聞かせたクラウディアは、そっと離れた気配に俯き、そのままもう一度胸元に飛び込んだ。

 小揺るぎもせず、迷う事なくしっかりと抱き返してくれるその腕がただ嬉しいと思える自分に、クラウディアは密かにほっとしていたのだった。

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