女性の竜の主

 その日、昼食を挟んで朝から延々と続く会議に参加していたアルス皇子は、内容の無い報告の数々に内心で辟易して密かに欠伸を噛み殺していた。

 午前中は、タガルノの現状の報告や国境付近の報告など、竜騎士隊にも関係のある議題が続いたので真剣に聞いていたが、午後からの元老院の議員達からの報告は、正直言って時間の無駄だと思えるような内容ばかりだった。

 しかし、それでも知らぬ顔は出来ず、真面目そうに頷きながらひたすら右から左に聞き流していた。



 もう何度目か覚えていない欠伸を噛み殺した時、突然目の前に現れたシルフが、自分に向かって合図をしているのを見て驚いた。

 余程の緊急事態でない限り、会議中に伝言のシルフを寄越すような事はしない。

 隣では、同じく伝言のシルフに気付いたマイリーも驚きを隠せずにいる。

「ちょっと失礼します、緊急報告のようです」

 手を上げてそう言った皇子は、立ち上がって一礼するとそのまま一旦部屋を後にした。竜騎士隊の関係者以外も大勢いるこの場で、伝言のシルフから話を聞くような事はしない。

 アルス皇子の後を伝言のシルフが追いかけて行くのをマイリーは無言で見送り、皇子の席を挟んで座っていたヴィゴと顔を見合わせた。

「一体何事だ?」

「さあな。俺達に何も無いところを見ると……」

 マイリーがそう言った瞬間、彼の目の前にも伝言のシルフが現れて慌てたように合図を送り始めた。

「失礼します」

 マイリーもそう言って立ち上がり部屋を出て行った。

 今まさに報告をしていた担当官は、出て行く二人を呆気に取られて見送ったのだった。




 会議室を出た皇子は、廊下を挟んだ向かいにある小さな控え室の一つに入る。

 兵士が扉を閉めたのを確認してから頷いた皇子を見て、伝言のシルフは口を開いた。


『アルス殿下にご報告致します』

『会議中申し訳ございませんが緊急事態です』

『竜騎士隊の皆様もご一緒に大至急』

『大至急第二竜舎にお越しください』


「分かった、すぐに戻る」

 頷くと、伝言のシルフは次々と消えて行った。

 それを見送って、皇子は口に手を当てて考えた。


 確か、今日はボナギル伯爵が、レイとルークが発見したという精霊の見える少女を連れて竜舎に見学に来ていたはずだ。

 養女として正式な届けを出してその彼女を引き取った、竜騎士隊に対しても好意的なあの伯爵に何かあったのだろうか? それとも、レイルズがまた何か仕出かしたのか? それとも竜達に何かあったのか?

 頭の中で、起こり得る可能性のある事件を考えながら部屋を出ようと振り返った時、部屋がそっとノックされた。

「殿下。お話は終わりましたか?」

「ああ、マイリー。構わない。終わったよ」

 呼ぶ前に彼も会議中の部屋から出て来たという事は、彼にも伝言のシルフが来たのだろう。本当に何かあったようだ。

 そう思いつつ顔を上げて答えると、扉を開けて入って来た彼の背後には、ヴィゴを始め会議に出ていた全員が揃っていた。

「こちらにも連絡がありました。詳しい話は本部へ戻ってから致しますので、とにかく戻りましょう」

 明らかに、何か知っている様子のマイリーがそう言い、頷いた皇子を先頭に全員が急いで部屋を後にした。



 本部へ着くまで誰も口を開かない。急ぎ足で渡り廊下を通り本部の建物に戻る。

 そこには、城の第二青年会の会合に参加しているはずの若竜三人組の姿があった。

 全員が真剣な顔でこっちを見ている。

 無言で頷き、急いでそのまま普段は使われていない会議室に入った。

 ロベリオとユージンが結界を張るのを、全員が黙って見つめていた。

「詳しい話を聞こう」

 皇子の声に、三人は顔を見合わせて無言で譲り合い、ロベリオが口を開いた。



「ジャスミンが、ボナギル伯爵の養女になったジャスミンが、ルチルの主になりました」



 アルス皇子を始め、予めその話を聞いていたマイリー以外の誰も、その言葉に即座に反応出来なかった。



「ロベリオ……今、今何と言った?」

 ヴィゴが、絞り出すような声で尋ねる。

「ボナギル伯爵の養女になったジャスミンが、ルチルの主になりました。レイルズと、クラウディアとニーカ、それから第四部隊のフィレット伍長と第二部隊のティルク伍長がその場に立ち会いました。シルフ達は、幼き主に祝福を、と大喜びだったそうですから、間違いありません」

「ジャスミンとボナギル伯爵は、それぞれ別室にてお待ち頂いております。ジャスミンには、クラウディアとニーカに付き添ってもらっています。レイルズはラスティと共に休憩室にて待機させています。彼をここに連れて来てもよろしいですか?」

 ロベリオの言葉に、ユージンが続いて報告する。

「ああ、構わない。話が聞きたいから呼んでくれ。それから父上への報告は?」

「内密にシルフを飛ばしました。すぐに連絡するとの事でしたが、今現在、まだ何も連絡は有りません」

 タドラの言葉に、頷いて大きなため息を吐いたアルス皇子はマイリーを見た。

「どう思う?」

「どれ一つとっても異例の事尽くめです。対応は慎重にせねばなりませんね」

 真剣なマイリーの言葉に、アルス皇子だけでなくルークやヴィゴも頷いた。

「以前、俺が言ってた事が現実になりましたね」

「全くだな。恐れ入ったよ。しかしこれは本当に、どうするべきなんだろうな……」

 最後は小さく呟くようになり、口元を押さえてヴィゴは考え込んでしまった。

 ノックの音がするのを聞き、ロベリオとユージンが指を鳴らす。何かが割れる音がして扉が開いた。

「ご苦労様。話を聞きたいからこっちへ」

 レイが部屋の中に入り、ラスティが一礼して扉を閉めるのを見てから、ロベリオとユージンがもう一度改めて部屋に結界を張った。



「あの……」

 レイルズは、彼らが戻って来たら、てっきりカウリと自分がしたようにすぐに任命の儀式を行うものだとばかり思っていたのだ。しかし、どうやらそうではないらしい。

 不安に思いつつも、全員から見つめられながら、皇子に聞かれるままに先程の出来事を詳しく話して聞かせた。



「……それで、物凄い数のシルフ達が現れて、大喜びでカウリの時のように言ったんです。祝えよ祝えよ、新たな主が現れたって、幼き主に祝福をって」

 その言葉に、マイリーは無言で口元に手をやって上を向いた。


 部屋が沈黙に覆われる。


「あの……」

 その時、アルス皇子の前にシルフが現れた。何人も並んで座る。

 無言で全員が注目する中、先頭のシルフが口を開いた。

『私だ』

『アルスは今どこにいる?』

「竜騎士隊の本部に戻っております。ですがまだ、そのジャスミン本人には会っておりません」

『それで良い』

『今からそちらに行く』

『詳しい話はそちらでしよう』

『全員まだ返さぬようにな』

「畏まりました、女神の神殿には遅くなる旨連絡を入れておきます」

 皇子の言葉に頷いたシルフがいなくなるのを見送り、全員がようやくそれぞれ椅子に座った。



「ねえ、ルーク。一体何が問題なの?」

 不安に黙っていられず、隣に座ったルークの袖を引っ張り小さな声でそう尋ねた。しかし、残念ながら静まり返った部屋では小さな声でも全員にまる聞こえだった。

 振り返ったルークは、袖を掴むレイの腕を見ておいきなため息を吐いた。

「何が問題? 分からないか?」

 質問を質問で返されて、レイは困ったように黙り込んだ。

「だって、せっかくルチルと出逢えたのに……」

「じゃあ逆に聞くが、以前、俺が蒼の森の石の家で、お前に話した事を覚えてるか?」

 真剣なルークの言葉を皆が黙って聞いている。

「竜騎士は、飾りなんかじゃないって言う……あの話?」

「そうだよ。俺達は機動力抜群の最強の即戦力として、有事の際には即座に出撃命令が出る。もしも彼女を正式な竜騎士にするとしたら、戦いになったら彼女にも当然出撃命令が出る事になるんだぞ」



 知り合いが竜の主になれた事に単純に喜んでいたレイは、その事実を突きつけられて言葉を失った。



「それに、例えばお前がここへ来てからやった訓練の数々を思い出してみろよ。それと同じ程度の事を彼女にもやってもらわなければならないんだぞ。そもそも、彼女の細い腕で剣や槍を持てると思うか?」

 掴んでいた袖を離して首を振る。

 大柄な自分でさえも痣だらけになり、湿布が日常だったのだ。確かにあれを彼女に求めるのは絶対に無理だろう。

「それは確かにそうかもしれないけど……じゃあどうするの? だって、彼女がルチルの主になった事は事実なんだよ」

「だから困っているんだ」

 ルークの言葉に、レイはアルス皇子を見た。

 彼も困ったように頷いている。



 その時、部屋がノックされた。



 先程と同じく、ロベリオとユージンが指を鳴らして結界を解き、立ち上がって扉を開いた。

 陛下が一人で入って来る。

 後ろにいた兵士が扉を閉めるのを見て、また二人が結界を張るのをレイは言葉も無く見つめていた。



「先程までの詳しい話はシルフを通じて聞かせてもらった。今後についてだが、私はこれは公表すべきと考えている」

 キッパリと言い切った陛下の言葉にマイリーは息を飲んだ。

「まさかとは思いますが、彼女を竜騎士になさるおつもりですか?」

 男性でさえも、受け止めきれずに脱落した者がいるのだ。戦いを知らぬ彼女に背負いきれるとは到底思えなかった。

 しかし、陛下は小さく笑って首を振った。

「ニーカがこの国へ来てからずっと考えていた。必ず我が国でも、女性の竜の主がいつか現れるだろうとな」

「確かに、人間の半分は女性な訳ですから、今までいなかった事の方が不自然なのかもしれませんね」

 ルークの言葉に陛下は頷いた。

「しかし、こうなると竜騎士の役目そのものも考えなければならん。軍人でもない女性に、無理に前線で戦えとは言えまい?」

「しかし、それで竜騎士として扱うと、周りに対して示しが付かぬのでは?」

 皇子の言葉に陛下は首を振った。

「とにかく前例の無い事だ。男性と同じ扱いにすべきなのか。それとも女性ならではの役目を与えるべきなのか、竜騎士になる事ありきで考えるのでは無く、あらゆる方向から考えるべきだと思うぞ」

「つまり、前線には出さずに、しかし竜騎士として扱うと?」

 不思議そうな皇子の質問に、陛下はもう一度首を振った。

「名称はまだ決めておらぬが、前線に出る竜騎士では無く、神殿での役目を主に担わせる、司祭のような役職に出来ぬかと考えている。神殿でのあらゆる祭事に、神官と同等の扱いを受けて竜騎士は駆り出されているが、どうだ? あれらならば女性であっても問題なかろう」

「まあ確かに。竜騎士では無く、全く新しい役職を作ると言うのも方法の一つとしては有り得ますね」

 ルークが腕を組んで考えるように呟く。マイリーは無言で天井を見つめたままだ。

「それにニーカの件もある。彼女とて、いつまでも神殿で一巫女として置いておく訳にはいくまい。彼女が成人するまでの間に、女性の竜の主の担う役割を決めるべきだと考えていたのだ。女性の竜の主としては二人目だが、幸いな事に彼女もまだ未成年だ。となれば時間はまだある。言ったように具体的な役職や役割を含めて、早急に考えねばなるまい」

 腕を組んだ陛下の言葉に、反論は出なかった。



「お考えは分かりました。確かに、現状ではそれが最善の方法でしょう。では、彼女が竜の主となった事はすぐに公表なさいますか?」

「その前に、まず彼女の意思を確認したい。もしも……もしも彼女が、竜の主となる事自体を拒否するようであれば、その時はまた別の方法を考えねばなるまい」

 陛下のその言葉に、ルークとヴィゴは無言で顔を見合わせた。



 以前、ルークが怪我をした折、砦で思いつくままに考えてヴィゴに話していた事が今まさに目の前で起こっているのだ。

 小さくため息を吐いたルークは立ち上がった。

「では、彼女の所には俺が行ってきます。会話はシルフを通じてここで聞いていてください。何か質問や問題があればいつでも言ってください」

「そうだな。いきなり私が行くと恐らく萎縮して話も出来まい。ここはルークに任せる事にしよう」

 陛下が頷いてルークを見た。

「はい、では行ってまいります。ああ、クラウディアとニーカが一緒にいるんですが、どうしますか? クラウディアには、さすがに聞かせていい話じゃ有りませんよね」

「それならばレイルズ、一緒に行って彼女を連れ出しなさい。この話はニーカも当事者だ。彼女の考えも確認しておきたい」

「分かりました。レイルズ、一緒に来てくれ」

 平然と呼ばれて、レイは慌てて立ち上がった。

 ロベリオとユージンがまた結界を解いてくれるのを見てから、ルークは扉を開いた。

 頭の中は真っ白だったが、とにかくレイもルークに続いて部屋を出て行った。



 ブルーのシルフが当然のようにその後を追うのを、部屋にいた全員が無言で見送ったのだった。

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