楽しいひと時と面会準備

「ご苦労様。お掃除はもう終わった?」

 エイベル様の祭壇のある部屋には扉が無い。

 廊下から掛けられた声に、後片付けをしていたクラウディアとニーカは笑顔で振り返った。

「レイルズ。待ってね、もう終わるから」

 ニーカが手を振って応え、脱いだ掃除用のスモックを畳んで籠の上に乗せた。

「うわあ、綺麗になったね。ああ、後ろの掛け軸が変わってるね」

 エイベル様の祭壇の背後には、広い幅の織物製の掛け軸タペストリーが掛けられていたのだが、それが今までの、僅かに雪が残る寒々しいの森の風景だったのが、春から初夏の明るい緑に包まれた森の景色に変わっていた。

「夏が終わるまではこの掛け軸よ。秋になれば紅葉の森の景色になるわ」

「その後は雪景色だったね」

「そう、季節によって、後ろにかける柄が決まっているのよ」

 祭壇の綺麗になったエイベル像を見た三人は、揃って両手を組んで額に当て、跪いて祈りを捧げたのだった。



「えっと、片付けが終わったら休憩室へおいでよ。お茶を用意してくれているから」

「でも……良いの?」

 戸惑うクラウディアに、レイは笑って右手に嵌ったディレント公爵の紋章の入った指輪を突っついた。

「これがあれば、公爵閣下のお身内とされるんだって聞いたよ。ここへ入る時にも簡単な確認だけだったでしょう?」

 レイの言葉に二人は笑って頷いた。

「前回、ここへお掃除に来た時は、指輪を頂いてすぐだったから、知らずにいつも通りに許可証を貰って来たの。その後、公爵様にお会いした時に教えていただいたわ。この指輪があれば、竜騎士隊の本部へいつでも行けるように申し送りしておいたからって」

「手荷物の確認も、今までと違ってすごく簡単だったわよね。本当に、こんなので良いのかしらって思っちゃうくらい」

 クラウディアの言葉に、ニーカも嬉しそうに笑っている。

「簡単にすむのなら、楽で良いじゃないか」

 笑顔のレイにそう言われて、二人は顔を見合わせた。

「今までがすごく厳重な警戒だったから、逆に驚くわ。身内扱いになった途端にこれって……ねえ」

 喋りながら、掃除道具も全て籠に収め使った踏み台を元の場所に戻す。

「ああ、僕がやるよ」

 慌ててニーカから踏み台を取り上げ、置いてあった部屋の奥に片付ける。

 それから二人分の荷物を軽々と持ったレイは、彼女達をいつもの本部の休憩室へ連れて行った。



「お掃除お疲れ様でした。お嬢様方は、どうぞこちらで手を洗ってください」

 レイから彼女達の荷物を受け取ったラスティは、置いてあったワゴンにそれを置いてから、掃除で少し汚れた彼女達の手を見て手洗い場に連れて行った。

 休憩室の横にある綺麗な手洗い場で、ラスティに言われた通りに三人は揃って綺麗に手を洗った。



「うわあ、美味しそう」

 目を輝かせたレイの言葉に、クラウディアとニーカも満面の笑みになった。

 そこに置かれたワゴンには、真っ白なクリームと真っ赤なベリーの果実が刻んで綺麗に山盛りに飾られた、切り分けられたタルトが置かれていたのだ。

 ニーカとクラウディアの分は、タルトは一口サイズに切って、クリームや刻んだベリーの果実と一緒に、山になるように綺麗に盛りつけられていた。

「どうぞ座って」

 笑顔でいつもの席についたレイに言われて、二人も恐る恐る座る。

 カナエ草のお茶が入れられている間中、二人は出されたお菓子を前に、目を閉じて真剣にお祈りをしていた。



 今では、クラウディアも日常的にカナエ草のお茶とお薬を飲んでいる。それぞれにお茶には蜂蜜をたっぷりと入れてお菓子を食べた。

「美味しい。あ、タルトにもベリーが入ってる」

「本当ですね、真っ赤な色が綺麗です」

 切ってあったタルトを食べながら、クラウディアも嬉しそうだ。

 ようやく彼女達も、少しずつだがこういった贅沢な時間にも慣れてきていた。

 今、この部屋にいるのがレイルズだけだったという事も、彼女達を寛がせている理由になっていた。



「こんな贅沢させてもらって良いのかなって、時々怖くなるわ」

 ケーキを食べながら小さな声で呟いたニーカの言葉に、レイも頷いた。

「確かにそうだよね。僕達、考えたら誰も……本当ならこんな所にはいないよね」

「本当だわ。タガルノに生まれて親の顔も知らずに貧しい農場で働いていた私、クレアの街で、綿花と花を育てる農家に生まれたディア。そして自由開拓民の村に生まれたレイルズ。もしも何事も無く、そのままそこで大きくなっていたら、絶対に会える訳の無い場所と距離よね」

「本当だわ。それが今では……オルダムのお城の中にある、竜騎士隊の休憩室で三人揃って、こうして一緒にカナエ草のお茶を飲みながら美味しいお菓子まで頂いてこうして三人が一緒にいるんですものね」

 クラウディアも食べかけのケーキの山を前に、何度も頷きながらそう呟いた。

「精霊王も、不思議な事をなさるよね」

 笑ったレイの言葉に、二人も改めて頷き、その場で目を閉じてそっと祈りを捧げたのだった。




 一方、竜騎士隊の本部に到着したボナギル伯爵の馬車は、竜舎の横にある、見学者用の別館と呼ばれる別棟になった建物に入っていた。

 到着早々別室にて、いくつかの書類に伯爵がサインをするのをジャスミンは大人しく後ろで待っていた。

 その後、広い部屋に通された二人は、第二部隊の案内担当のティルク伍長から、まずはカナエ草のお茶を出された。

「こちらは最後にお茶と一緒にお飲みください」

 小皿に出されたカナエ草のお薬を見て、ジャスミンは真剣に頷いた。

 机の上にはビスケットが並んでいるのは幼い少女への配慮だろう。小皿に取ってもらったビスケットは、サクサクでとても美味しかった。

「美味しいです、父上」

 笑顔でビスケットを食べるジャスミンに、伯爵も笑顔になる。

「良かったな。しかし、この蜂蜜がなければ、ビスケットが例え百枚あったとしても、其方はこのお茶を飲めなかっただろうな」

 ビスケットの横に置かれた蜂蜜の瓶を見て、伯爵は笑っている。

「どうしてですか? ちょっと苦味がありますけれど、香りの良い美味しいお茶ですのに?」

 伯爵の目配せに、笑顔になった第二部隊のティルク伍長が、別のカップに少しだけカナエ草のお茶を入れた。

「勇気がおありなら、どうぞ少しだけ飲んでみてください」

 お茶を飲むのに、勇気はいらないと思う。

 目を瞬いたジャスミンは、不思議そうに目の前に置かれたお茶を見て、それから伯爵を見た。

「飲んでみなさい。ただし、ほんの一口だけな」

 頷いた彼女は、言われた通りに少しだけそのお茶を口に入れた。


「ん! んんー! んんんんー!」


 突然襲ってきた舌を刺すような苦味からくる衝撃に、彼女は必死で閉じた口を押さえて、涙目になりながら足をバタバタさせて口の中の刺激物と戦っていた。

 あり得ない苦味と刺激だった。

 しかし、きちんと躾けられている彼女は、この場で口の中のものを吐き出すなんて考えもしなかった。



 なんとか必死になって飲み下す。



 どれ程苦くてもこれはお茶だ。本当に飲んではいけないものなら、兵隊さんも父上も、冗談でも飲ませはしないだろうとの判断からだった。

 しかし、それを見た兵士と伯爵は驚きに目を見開いていた。

「おお、お飲みになりましたね。これは素晴らしい。どうぞ、ジャスミン様、この蜂蜜をひと匙そのまま口に入れてください」

 兵士に手渡された蜂蜜の瓶と匙を受け取り、言われた通りにたっぷりとすくって口に入れる。

「んん? 苦いのが無くなりました。ええ、どうなってるんですか?」

 今度は彼女が驚きに目を見開く。

 そこで伍長と伯爵から、このお茶や薬を飲む意味、竜熱症の詳しい説明、そして、レイルズの家族が来た事で分かった、蜂蜜でカナエ草の苦味を消せる事などの話を教えてもらった。

 真剣にその話を聞いたジャスミンは、思わずその場で手を組んで祈りを捧げた。

「エイベル様とレイルズ様のご家族に心からの感謝を。そして、今度レイルズ様に会ったら、ちゃんとお礼を言っておきます」

 その言葉に笑顔で頷く伯爵を見て照れたように笑った彼女は、大人しく残りの蜂蜜入りのお茶を飲み干した。



 その後、ティルク伍長から竜舎の見学の際の注意事項を詳しく聞いた。

 ここからは伍長の指示に従う事。勝手に竜舎に入らない。竜には許可無く手を触れない。柵の閉じてある場所は勝手に入らない事、などだ。

 真剣に聞いてはその度に頷く彼女を見て、ティルク伍長も笑顔になった。

「では参りましょう。今は、竜の保養所から慣らしのため若竜のルチルが来ているんです。とても綺麗な竜なんですよ」



 立ち上がった彼女を見て、同じく案内役で来ている第四部隊の伍長はシルフにレイルズ様を呼ぶようにお願いしたのだった。

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