お掃除と楽しみ

「それでは、行ってまいります」

「申し訳ありません。では行ってまいります」

 昼食の後、事務所に竜騎士隊の本部に行く事を報告した二人は、いつもの掃除道具の入った大きな籠と交換用の新しい掛け軸を巻いた大きな筒を持って、二人揃って竜騎士隊の本部に続く渡り廊下を歩いていた。



 今までと違い、ディレント公爵が後見人となったクラウディアとニーカには、一々本部へ向かう為の通行証や身分証の確認は必要無くなった。

 公爵の紋章の入った指輪があれば竜騎士隊の本部へいつでも行く事が出来るのだ。

 それでもお掃除に行く為の届け出と、向こうの事務所で掃除に来た確認のサインをもらう書類は必要だ。

 見送ってくれた僧侶に頭を下げた二人は、嬉しそうに荷物を抱えて竜騎士隊の本部へ向かっていた。





「ジャスミンはもう来ているのかしら? 楽しみね」

「でも、まずはエイベル様の祭壇のお掃除をしないとね」

 ニーカの言葉に、クラウディアはやや引きつった声で前を向いたままそう言った。

 そんな彼女を横目で見たニーカは、小さくため息を吐いて自分の肩に座っているスマイリーのシルフを見て笑った。

「もう、本当に考えすぎだって。レイルズは、彼女以外の人は全員ただのお客様なのにね」

『本当にそうだよね』

『でもそんな所も可愛いって思ってるんでしょう?』

 ややからかうようなその声に、ニーカという我慢出来ずに小さく笑った。

「確かにそうね。見ていて……可愛いわ」

 その言葉に、周りにいたシルフ達までもが、同意するかのように手を叩いて一斉に笑った。

「え? どうしたの?」

 ニーカとシルフの話を全く聞いていなかったクラウディアの言葉に、ニーカは小さく笑って首を振った。

「何でもないわ。気にしないで」

 平然とそう言うと、大きな籠を立ち止まって抱えなおした




 到着した本部でも、まずは事務所に顔を出して、いつもお世話になっている事務員に、今からエイベル様の祭壇の掃除をする事を伝える。

 持ってきた書類にサインをもらった二人は、すっかり歩き慣れた本部の廊下を通り、エイベル様の祭壇のある部屋に向かった。

 部屋には今日は誰もいなくて、燃え尽きた蝋燭が数本、燭台に残ったままになっていた。

 籠を下ろした二人は、手早く身支度を整えると、まずはエイベル様の像に祈りを捧げて、今から祭壇のお掃除をしますと報告をした。

 祭壇手前側に置かれた燭台や香炉を全て下げ、まずはいつものように手分けして祭壇の埃をはたいて落とし、手早く拭いていく。

 それが終わると、踏み台を持って来て、像の後ろの壁に掛かっている大きな掛け軸を専用の長い棒の先で引っ掛けて外した。

「落とさないようにね」

 踏み台の下にいるクラウディアに、ニーカはそっと外した掛け軸をそのまま渡す。

 受け取った掛け軸の紐を、棒の先から外して後ろの机の上に置いたクラウディアは、急いで戻って来て立て掛けてあった新しい掛け軸を解き、ニーカが持つ棒の先の金具に新しい掛け軸の輪っかになった紐を引っ掛けた。

「よいしょっと」

 そう掛け声をかけたニーカが、新しい掛け軸を持ち上げて壁面上部にある金具に引っ掛ける。

「あれ、上手く、いか、ない……」

 細い腕が、垂れ下がる掛け軸の重さでプルプルと震える。

 その時、見兼ねたスマイリーのシルフが現れて棒の先をそっと押し上げてくれた。

 カチリと音がして輪っかが無事に金具に引っ掛かった。

 下からハラハラしながら見ていたクラウディアは、それを見てホッと胸を撫で下ろした。

「クロサイト様、ご協力感謝致します」

 握った両手を額に当てて笑顔で頭を下げるクラウディアに、スマイリーのシルフは照れたように笑った。

『エイベル様は僕達にとっても大切なお方だからね』

『祭壇のお掃除をお手伝いするのは当然だよ』

 胸を張ってそんな事を言う愛しい竜の使いのシルフに、ニーカは笑ってキスを贈った。

「手伝ってくれてありがとうね、スマイリー。レイルズじゃ無いけど、もうちょっと腕を鍛えないとね。毎回これじゃあ、本当に自分で自分が情けないわ」

『鍛えて何をするつもりなの? 力仕事が必要な時には、いつでも呼んでね。お手伝いするからね』

 笑ったスマイリーのシルフにそう言われて、ニーカとクラウディアは顔を見合わせて笑った。

「確かにそうね。二人で無理そうな時にはお願いするわ」

 そう言ってもう一度キスを贈ってから踏み台からゆっくりと後ろ向きに降りた。

「気を付けてね」

 慌ててクラウディアが踏み台を押さえた。

「大丈夫よ」

 笑顔でそう言ったニーカは、まず使った踏み台を元の位置に戻し、掃除道具を手早く片付けた。

 その間に、クラウディアは柔らかなブラシで掛け軸の埃を軽く払い、下側から軽く巻いていく。

「じゃあ、戻ったらお洗濯をお願いね」

「うん、赤リボンを巻いておいてね」

 籠から太い赤いリボンを取り出して渡す。

 これは、洗浄の必要有り、という意味のリボンだ。これらも、戻ったらニーカがいつも行なっている水の精霊魔法で綺麗にするのだ。

「二人ですると、お掃除も早く出来るわね」

 嬉しそうなニーカの言葉にクラウディアも嬉しそうに頷くのだった。





 一の郭のお屋敷から馬車で出発したジャスミンは、父であるボナギル伯爵とともに竜騎士隊の本部へ向かっていた。

 ゆっくりと走る馬車の中で嬉しそうに竜について話す伯爵の話を、ジャスミンは目を輝かせて聞いていたのだった。



「竜を間近に見るのは初めてであろう。大きくて驚くぞ。私がまだ其方よりも小さかった頃、私のお爺様が竜騎士様だったのだ。大きな竜に初めて会わせて貰った時の感動は、今でもはっきりと覚えておるな」

 当時を思い出すかのように目を閉じた伯爵の言葉に、ジャスミンも目を閉じてうっとりと考えていた。

 あの大きな竜の背中に乗ったら、いったいどんな世界が見えるのだろう。

「それから我に返って、自分が竜騎士にはなれないと分かり、とても悔しい思いもしたな」

 苦笑いする伯爵に、目を開いたジャスミンは不思議そうに伯爵を見た。

「あの、質問してもよろしいでしょうか」

「ん? どうした。改まって?」

 顔を上げた伯爵に見つめられて、ジャスミンはちょっと考えてから口を開いた。

「あの、竜騎士様って、竜の主なんですよね。その……そもそも竜の主って、何なんですか? 竜と単に仲が良い人、って訳では無いのですか?」

「精霊竜と絆を結び、共に生きる者だよ。そうだな、分かりやすい言葉で言えば、婚姻の誓いが一番近いな、共に助け合い、時に寄り添い生涯を共にする相手だよ」

「精霊竜と絆を結び、共に生きる者……」

 優しい伯爵の言葉に、ジャスミンは小さく呟き首を傾げた。

「人同士なら、お互いに好きだって言ったり手を握ったりしますよね。竜とはどうやったらそれが分かるんですか?」

 無邪気な疑問に伯爵は笑顔になった。

「まあ、その疑問は当然であろう。私のお爺様が仰っておられた。言葉では無い。出会った瞬間にそれと分かるのだと。例えば、お爺様の時にはこんなふうだと仰っておられた。竜を見た瞬間に突然目の前が真っ暗になり、次の瞬間、目の前に今まで見えなかったシルフ達が物凄い数で現れて、大喜びで拍手をしてくれたんだそうだ。おめでとう、新たなる竜の主の誕生だ、と言ってな」

「素敵ですね。まるで物語の中の一場面のようですわ」

 両手を握り、うっとりとそう言う彼女に、伯爵は目を細めて笑った。

「確かに物語の一場面のようだな。出逢った時の瞬間は、皆違うそうだ。今度レイルズ様にお会いしたら、どんな風だったのか聞いてみればいい。きっと教えてくださるだろう」

「そうですね。じゃあ今度、時間のある時に聞いてみます」

 頬を紅潮させて笑う彼女に、伯爵はそっと手を伸ばしてその髪を撫でた。

「レイルズ様も、これから色々と大変だろうからな。其方も、何かお役に立てる事があれば必ずお手伝いなさい。良いな」

「はい、父上」

 目を輝かせて頷いたジャスミンは、丁度馬車が減速して止まったのに気付き、嬉しそうに窓の外を見た。

「到着したみたいですね。楽しみだわ。ニーカの竜に会えるかしら」

 嬉しそうに扉を開いてくれるのを待つ彼女の肩には、あの時の小さなシルフが座っていたのだった。





 朝食の後、城での会議に出席するマイリーとヴィゴ、カウリとルークを見送ったレイは、のんびりとソファーでうたた寝をしてから昼食までの残り時間を天文学の予習をして過ごした。

 早めの昼食をラスティ達と一緒に食堂で食べた後は、落ち着かずに図鑑を広げたり天球儀を回したりして過ごしていた。

「クラウディア様とニーカ様が、エイベル様の像のお掃除に来られたそうですよ。如何なさいますか?」

 ラスティの声に、天球儀を触っていたレイは飛び上がった。

「お仕事の邪魔をしちゃ駄目だよ。ねえラスティ、ジャスミンと伯爵様は竜の見学に来られるって言ってたけど、それって竜の面会とは違うの?」

 振り返ったレイの質問に、ラスティは頷いて教えてくれた。

「見学は、個別に竜騎士隊の本部に申し込みをして、その時に第二竜舎にいる竜達と会う機会を作る事を言います。もちろん、申し込めば誰でも竜に会える訳ではありません。来られる本人がどういった人物であるかは、詳しく調べられます。それから、竜騎士隊に関係している地位のある貴族の方からの紹介状などは必須ですね。きちんと審査した上で、本部がいついつならば許可します。という風に連絡を取り、都合が合えばだいたい午後からの数時間を使って見学が行われます。第二部隊と第四部隊から担当の者が付き、竜舎を案内して順番に竜達に会わせるんです。もちろん、カナエ草のお薬やお茶を飲んで頂くことは絶対に必要ですね」

「へえ、その辺りは竜の面会の時と同じなんだね」

「ボナギル伯爵様は、祖父が竜騎士だった方です。もう、そのお方は亡くなられましたが、伯爵家は竜騎士隊に好意的で何くれとお手伝い下さるお方ですね。なので信用度は高いですから、見学の申し込みがあっても審査は簡単です。遠方から親戚の子供さんが来られた時など、今までも数回見学にお越しになっておられますよ」

「今回は、ジャスミンに竜を近くで見せるんだって。ジャスミンは竜を見るのは初めてだって言ってたから、大丈夫かな」

「ああ、精霊竜の覇気ですね。具合が悪くなる方は多いですが、もちろんお一人で竜舎に入る訳はありませんから、そんな事があれば周りの方がすぐに対応してくださいますよ。心配はいりません」

「そうだね。竜の面会の時も、入り口近くに救護室が作られていたもんね」

 机の上に出したままだった図鑑を本棚に戻したレイは、小さく笑って外していた剣を手にした。

「じゃあ、一度ディーディー達の様子を見てくるね。えっと、彼女達なら休憩室に入ってもらっても良いって聞いたんだけど、本当に構わないの?」

「はい、今のお二人はディレント公爵閣下のお身内という扱いになっていますからね。お掃除はお勤めですから、終わったら休憩室にお茶をご用意しますので、お連れになってください」

「わかった、じゃあ行ってくるね」

 笑顔でそう言ったレイは、早足でエイベル様の祭壇のある部屋に向かったのだった。

 そんな後ろ姿を小さく笑って見送ったラスティは、もう一度お茶とお菓子の準備を確認する事にしたのだった。



 祭壇のある部屋に向かうレイの後ろを、ブルーのシルフ達が嬉しそうに追い掛けて行き、ジャスミンの乗る馬車が間も無く到着する事をレイに知らせていたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る