辺境伯とエケドラの地

 カウンティ辺境伯は、落ち着かない様子で先程から立ったり座ったりを何度も繰り返していた。

「あなた、少し落ち着いてください。まるで初孫が生まれた時みたいですわ」

 座って刺繍をしている夫人に呆れたようにそう言われて、また立ち上がり掛けていた辺境伯は苦笑いして座り直した。

「う、うむ。しかし一体何故、わざわざ儂にお忙しい中、時間を割いてまで会いに来てくださる?」

「国境での、貴方の手腕を評価頂いているのではないのですか?」

「うむ、しかし……分からん。まだマイリー様やヴィゴ様と会うのなら分かる。国境の守備の事で話を聞きたいと言われたら大いに納得しようが、儂とレイルズ様に何か関係があるか?」

 刺繍の手を止めた夫人は、少し考えて思いついたように手を打って辺境伯を見た。

「場所は明かされておりませんが、レイルズ様は自由開拓民の出身だと伺っております。もしや、領地内の自由開拓民の村の出身なのでは?」

「ふむ、考えられるとしたら、それくらいだな。しかし……確か、その村はもう無いと聞いたからなあ。二年前前後で、領内の自由開拓民の村が襲われたと言う報告は無い」

 それ以上の事は思い付かず、二人は揃って首を傾げるばかりだった。




 夕方、ルークに伴われて新しく竜騎士見習いになったレイルズが訪ねて来た。

 辺境伯が滞在しているのは、城に部屋の無い地方の貴族が来た際に使用する部屋の一つだ。

 執事に案内されて来た赤毛のレイルズは、会議の席や、夜会で会った時よりも更に大きく見えた。

 血色の良い顔と、真っ赤でふわふわの赤毛。この年齢の若者特有の少年の顔と大人の顔が不思議に同調する、とても良い顔をしていた。

 これは城の女性達が大騒ぎするだろうな。

 入って来たルークと並んでも見劣りしないその容姿に、辺境伯は密かに感心していたのだった。



「改めまして、カウンティ辺境伯。お時間を頂き、感謝致します」

 差し出された手を握りながら、笑顔のレイがそう言うのを聞いて、辺境伯も笑顔になった。

「ようこそ。お待ちしておりました。さあどうぞお座りください」

 すぐに執事がお茶の用意をしてくれる。出されたのは、とても良い香りのする紅茶だった。

 ルークの甘いもの好きは有名だが、レイルズも甘い物が好きだというのもすっかり有名になっているようで、執事が当然のように彼らと奥方の前に綺麗に飾られたベリーのタルトを置いて行った。

 しばらくは、お茶とお菓子を前に、ルークも交えて当たり障りのない話をした。

 その後、ルークが国境地帯の様子を聞きたがった為、辺境伯は大真面目に今の国境の様子や、今までの国境での戦いの際の南側の地の様子を話したりした。

 レイルズも、興味深々で黙って二人の話を聞いていたのだった。



 辺境伯は、実は自分に会いたかったのはレイルズ様ではなく、国境の事を聞きたがったルーク様の方なのではないかと思い始めた頃、紅茶を飲んで深呼吸したルークが話を変えて来た。

 領地内にある、精霊王と聖グレアムを祀った神殿のあるエケドラの事を尋ねてきたのだ。



「……エケドラでございますか?」

 思いも寄らぬ地名が出て、辺境伯は驚いて目を瞬いた。



 確かに、辺境伯の領地の中にエケドラは含まれている。

 しかし、あの辺りは山側にこそ神殿の神官や僧兵達が開拓した葡萄畑が広がっているが、それ以外は殆ど草も生えない不毛の大地が続くだけの荒野だ。

 そんな所には、さすがの自由開拓民すらも住まない。あの地は、個人がどうこうして開拓できる程甘い土地では無い。

「恐れながら……エケドラは、精霊王の神殿のある山側の麓の僅かの地以外は、ほぼ草も生えぬ不毛の大地でございます。今の時期ならばまだエケドラの大地は凍てついたままで、ドワーフの振るうツルハシさえも受け付けぬでしょう」

 それはほぼ耕すのが不可能だと言っているのと同じ意味を持つ。そんな厳しい場所に彼らがいると思うと、レイの目に密かな涙があふれた。

「実は、お聞き及びかもしれませんが、二年前の降誕祭の時に、悪戯からとんでもない事をしでかした子供が罰を受け、現在エケドラにいるのですが、それはご存知でしょうか?」

 言いにくそうなルークの言葉に、彼らが何の話しがしたかったのかようやく納得した辺境伯は頷いた。

「テシオスとバルドの二人ですね」

 頷く二人を見て、辺境伯も頷いた。

「有り体に申し上げますと、まさか彼らが自力で神殿まで到着出来るとは思っておりませんでした。旅慣れた冒険者達でさえ、あの地へは行くのを躊躇います。点在する水場のいくつかは不安定で唐突に水が絶える事も珍しくは有りません。神殿のある辺りは山からの湧き水が豊富にございますが、平地では地下に流れる水脈が僅かにある程度で、水を自力で調達出来る精霊使いでもいなければ、旅の過酷さはそれだけで何倍にもなります」



 俯いたまま、レイは黙って話を聞いている。



「元々、かの神殿はアルカーシュの建国初期の頃に建てられた物を改築して使い続けているのだと言われております。それが本当なら、建物自体は千年以上の時を経ている事になりますね。元は、聖グレアムをお祀りしていた神殿です。俗世との関わりを断ち、厳しい修行に明け暮れた山岳修行者達の住む場であったと聞いております」

 その言葉に、レイは驚いて顔を上げた。

「山岳修行者? それって、星系信仰……えっと、星系神殿で働く護衛の兵の事ですよね」

 レイの言葉に、今度は辺境伯が驚く番だった。

「お若いのによくご存知ですね。そうです。元々山岳修行者は聖グレアムを信仰する一団でした。その後、どのような経緯かは存じませんが、星系信仰と道を同じくし、彼らは戦いの腕を生かして星系神殿の僧兵や護衛の兵となったのです」



 思わぬ所での遠い関わりを知り、レイは少しだけ嬉しくなった。



「今も、あの神殿で勤める者達は、殆ど俗世との関わりを持ち得ません。申し上げた通り、神殿の周りは気軽に出掛けるには適さない厳しい不毛の大地が広がっております。年に一度、出来たワインを運ぶ商人がエピの街から商隊キャラバンを組んで行く程度で、その際にも決まった神官としか会わぬと聞きます。それ以外ならば年に数回、気候の良い時期に商人が細々と自給自足出来ない物資を運んでいる程度でございます。もちろん、私も代々エケドラを拝領し名義上治めてはおりますが、私が彼の地に赴いた事は、私の父親が存命中の一度きりでございます。普段はエピの街にある神殿より毎年、エケドラの神殿のワインの売り上げ分の税金も一緒に納めてもらっている程度でございます」

「エケドラの管轄はエピの街の神殿なんですね」

 ルークの言葉に、辺境伯は頷く。

「精霊通信で、何か変化や問題があれば、その都度報告は来ておるそうです。あの二人の少年がエケドラに送られる事が決まった時も、エピの神殿から後日改めて報告を受けました。正直に申し上げると、エケドラは流刑の地として使われる事が多いのでございます。ですのでその報告を受けた時も、まだ若いのに可哀想な事だ。程度にしか思いませんでしたね。全く旅などした事が無い貴族のご子息には、文字通り命掛けの旅だった事でしょう」



 言葉も無く頷くレイルズを見て、辺境伯は首を傾げた。

「恐れながら、あの二人とはどういうご関係なのでしょうか?」

「精霊魔法訓練所で一緒に勉強していたんです……」

 小さな声で答えるレイルズを、辺境伯は痛ましい目で見た。



「成る程、ご友人でしたか……」



「僕は今でも彼らを友達だって思っています。彼らは僕に約束してくれました。絶対に生きてエケドラへ辿り着くって……だけど……」

 そっと俯くレイルズの背中を撫で、辺境伯はルークを見た。

「ならばこう致しましょう。屋敷に戻り次第、冒険者に頼んでかの神殿の様子を見て来てもらいます。今の季節ならば、場合に寄っては商隊キャラバンに同行する方が良いかもしれませんね。申し上げた通り、行って帰るだけでも相当な時間が掛かりますので、すぐには報告出来ませんが、実際に行った者の目で見た、神殿での彼らの様子をご報告する事をお約束致します」

 弾かれたように顔を上げるレイに、辺境伯は大きく頷いてくれた。

「ありがとうございます。でも、無理はしないようにその冒険者の人にも伝えてください。はぐれの狼が出るって聞きました……」

「辺境の地では、何よりも恐ろしいのがはぐれの狼ですね。ですが商隊で行くと安全度は増します。特に、大型の騎竜のトリケラトプスがいると狼避けになりますからご安心を。もちろん、彼らの安全も最大限に配慮致します」

 それを聞いて安心したレイは、少し赤い目で、それでも辺境伯に笑顔でもう一度お礼を言ったのだった。




「ありがとうございました」

「領地へお帰りの際、道中お気を付けて」

 辺境伯に見送られて部屋を後にした二人は、黙って本部へ戻るために廊下を歩いていた。

「良かったな。いろんな話が聞けて」

「うん。無理言ったのに時間を作ってくれてありがとう、ルーク」

「こんなの無理のうちに入らないって。まあ、これからも何か気になる事があれば遠慮無く言えよな」

 軽く笑って背中を叩くルークに、レイは態とらしく痛がり笑いながら逃げた。

「こら待て。廊下は走るな」

「走ってないもん! これは早歩きです!」

 振り返って胸を張るレイに、周りにいた数名が堪える間も無く吹き出すのを聞き、ここがまだお城の中だった事を思い出して、レイは真っ赤になるのだった。



『主様は可愛い』

『可愛い可愛い』

『もう泣いてない?』

『泣いてない泣いてない』

『それは良かった』

『良かった良かった』


 廊下の出窓に座ったシルフ達は、足早に本部へ戻るレイの姿を見送りながら、何度も何度も、主様は可愛い可愛いと、笑いながら繰り返していたのだった。

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