歌声とささやかな演奏会
大喜びの少女達に請われて、歌の後もレイは簡単な竪琴の曲を披露した。
「えっと、そうだ。この曲なら知ってるんじゃないかな?」
何曲か披露したところで、ふと思い出してゆっくりとつま弾き始める。
「小川のせせらぎ雪解けの音、いざや歌えや春の訪れ。芽吹きの喜び愛しき春よ。いざや踊れや春の
知っている曲に目を輝かせたクラウディアが一緒に歌い始め、二人の歌声が優しく寄り添う。
歌いかけたルークとニーカは、顔を見合わせて笑って口を閉じ、二人が嬉しそうに仲良く歌うのを聞いていたのだった。
「そう言えば、ルークは何の楽器を使うの?」
歌い終わって二人だけで歌っていた事に気付いたレイとクラウディアは、照れたように笑い合って、誤魔化すように話を変えた。
「ああ、俺が使う楽器もレイルズのそれに近いな。ハンマーダルシマーって知ってるか?」
振り返ったルークは、彼が話を変えたのに気付いていたが、笑ってその話に乗ってやった。
レイとニーカは、その楽器の名前を聞いた事が無くて首を傾げたが、クラウディアは逆に目を輝かせて身を乗り出した。
「ルーク様の弾くハンマーダルシマーは、とても美しい音色だと聞きました。それにあれはとても難しい楽器だと聞きましたが、どんな風なのですか? 私は、話には聞いた事がありますが、実際には見た事は無いんです」
「レイルズの竪琴とは少し違っていて、台形の土台に金属製の弦が張ってあって、それを木製のスプーンみたいなハンマーで叩いて音を出すんですよ。俺が持っているハンマーダルシマーにはミスリルの合金で作った弦が張ってあるからね。通常のものよりも更に良い音がするんですよ」
その説明に、レイは目を輝かせた。
「ええ、すごい!どんな楽器なのか聞いてみたいです!」
「残念ながら今日は持ってきていないからね。じゃあ今度……」
「それならここにあるぞ。ミスリルの弦を張ったのがな」
ニンマリと笑う公爵の言葉に、ルークは振り返って顔をしかめた。
「最初っから、そのつもりだったな」
「良いでは無いか。お嬢さん方のご希望だ。せっかくだから聞かせてあげるといい」
嬉しそうにそう言った公爵は、手元のベルを軽く振る。すぐに執事が衝立の奥から出て来た。
「ハンマーダルシマーをここへ」
公爵の簡単な指示だけで、すぐにワゴンに乗せられたハンマーダルシマーが運ばれてきた。最初から用意してあった事は明白だったが、ルークはもう何も言わなかった。
「へえ、始めて見ます。確かに台形だね」
レイが身を乗り出すようにしてハンマーダルシマーを見ている。
「机に置いて演奏するのね。へえ、これがハンマー? これで叩くんですか?」
「変わった楽器ね。これを調弦するのはかなり難しそうですね」
ニーカは、横に置かれたハンマーを手にとって不思議そうに眺めているし、クラウディアは台形の板の上に張られた、何本もの弦を見て感心しきりだった。
初めて見る楽器に興味深々の三人を見て、ルークはさっきからずっと笑っている。
「そうだよ。ほら、こんな風にして叩いて音を鳴らすんだ。机に置いて演奏する事が多いけど、座って膝に乗せて演奏する事も出来るんだよ」
ニーカの手から受け取ったハンマーで、真ん中あたりの弦を軽く叩く。
レイの弾くハープの音とはまた違う、なんとも言えない優しい音が響いた。
「これは、俺がハイラントにいた頃、近所の酔っ払いの爺さんがスラムの外の路上で弾いて日銭を稼いでいた楽器だったんだ。子供だった俺はこの珍しい楽器に興味津々でね。爺さんに頼み込んで弾き方を教えてもらったんだよ。それで、爺さんが死んだ時に楽器を貰ったんだ。ブリストルまで行って路上で弾けば、子供でも良い稼ぎになったよ。あの爺さんが何者だったのかは今となっては分からないけど……どう考えても、これが弾けた時点でスラムにいるような身分の人じゃ無い事は明白だよな。ここへ来て、最初に楽器を何にするかって話の時に、ハンマーダルシマーが弾けるって言ったら皆にすごく驚かれたのを覚えてるよ」
笑いながら何でもない事のように話すルークの話を、公爵は黙って食い入る様に聞いている。
彼のハイラントでの具体的な生活の話を聞くのは、決闘をした時以来だ。
「ハンマーダルシマー自体はとても古い楽器でね。元はオルベラートの民族楽器だったんだ。だけど、今クラウディアが言ったみたいに、確かにとても弾きこなすのは難しいんだ。だから、王宮の楽団などでは使われる事もあるけれど、今ではもうオルダムの貴族では殆ど弾く人はいないって聞いたよ。勿体無いよな。良い音だし、良い楽器なんだけどな」
少し寂しそうにそう言って、ルークは楽器の前に座った。
「じゃあ、やっぱり弾くならこれかな?」
笑って弾き始めたのは、精霊王に捧げる歌だった。
先ほどのレイの竪琴の演奏とは全く違う、転がるような何とも言えないその優しい音の響きに、三人だけで無く公爵までもが目を閉じて聞き入っていたのだった。
実は、公爵はルークがハンマーダルシマーを弾いているところを見るのも聞くのも、彼が竜騎士見習いとして紹介された時以来だ。
公式の場では、完全に公爵を無視し続けていたルークの事を周りが気遣って、公爵と公式の場では出来る限り合わせないようにしていたからだ。
ルークと和解した後、公爵は出入りの商人に頼んでミスリルの弦を張ったこのハンマーダルシマーを用意させていたのだ。
いつか、彼がここで演奏してくれるかもしれないと思って。
思わぬ形で実現したその演奏に、公爵はただただ聴き惚れていたのだった。
二曲弾いて、ルークは照れたように顔を上げた。
「調弦も響きも完璧だね。これは良い楽器だ。俺が持ってるのより良いんじゃないか」
誤魔化すようにそう言って笑う。
「公爵様は、楽器は?」
無邪気なニーカの質問に、公爵は嬉しそうに笑った。
「私はヴィオラを少々弾く程度だな。所詮は素人だよ」
「ご謙遜を。ロベリオとユージンが、あなたはヴィオラの名手だって言ってましたよ」
ハンマーを置いたルークの言葉に、レイが目を輝かせる。
「ねえ、それなら公爵様も一緒に弾きましょう。僕、合奏ってあまりやった事がないんです」
思わぬ提案に、公爵は驚いてルークを見た。
「ああ、良いんじゃないか? 楽器は? すぐに出て来ますか?」
まさかの二人からの合奏のお誘いに声も無く驚いていると、また衝立の奥から呼びもしないのに執事が一礼して出て来た。
その手には、ケースに入ったヴィオラを持っている。
「どうぞ、調弦はしてございます」
それだけ言って、ケースを公爵に渡すとすぐに下がってしまった。
「で、では、今日のお嬢様方でもわかるように、女神に捧げる歌にしようか」
一つ咳払いして、取り出したヴィオラを構えて軽く手に持った弓で音を鳴らす。
見事な和音が部屋に響いた。
「これのどこが素人なんだよ」
小さく呟いたルークは、改めて手にしていたハンマーを構えた。
公爵の合図でレイが前奏部分を弾き始める。公爵のヴィオラがそれに続き、ルークもそっと弾き始めた。
三種類の全く違う弦楽器が奏でる、それぞれの美しい音色は見事に調和して広い部屋に響き渡った。
少女達は、目の前で奏でられる何とも贅沢な演奏に声も無く聴き惚れていたのだった。
昼食は、始終笑顔の絶えない時間になった。
すっかり緊張の解れた二人の少女達は、先程の演奏がいかに素晴らしかったかを口々に言い、お礼に、今度はクラウディアが舞を舞うという話に落ち着いたのだ。
「皆、良いなあ。私も何か出来たら良かったのに」
ニーカは、無意識にそう呟いていた。
もちろん、本当に自分に何か出来るなんて考えてもいなかったのだが、公爵の耳にはしっかりと聞こえていた。
「ふむ、彼女は小柄だから手も短く小さい。何が出来るかのう?」
次回までにニーカでも出来そうな楽器を何か用意してやろうと、密かに考える公爵だった。
公爵は、彼女達を立派な淑女に育てるつもりだ。
もちろん、神殿での勤めを邪魔しな範囲内でだが、こういったお茶会で恥をかかない程度の最低限の行儀作法などは教えるつもりだった。
ルークに渡されたハンマーで、机の上に置かれたハンマーダルシマーを弾かせてもらって、嬉しそうに歓声を上げている少女達とレイルズを公爵はいつまでも満足げに眺めていたのだった。
『ふむ。どうやら、あの公爵は中々に良い男のようだな』
『そうですよ』
『本当に仲直り出来て良かったです』
ルークの伴侶の竜の、オパールの嬉しそうな言葉に、横に座ったクロサイトのシルフも嬉しそうに頷いているのだった。
『今日は綺麗な歌も聞けたし演奏もいっぱい聞けて楽しかったね』
『そうだな。確かにあの演奏は素晴らしかったな』
最後の三人の合奏には、ブルーのシルフ達だけで無く、部屋にいた大勢のシルフ達も食い入るようにして聴き入っていたのだった。
優しい春の日差しの差し込む中、レイルズの竜騎士見習いとしての初めての訪問は、こうして和やかに終了したのだった。
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