緊張の朝食

 翌朝、いつも通りに夜明けと共に起き出した二人は、早朝の祈りに参加してから、お掃除を代わってくれた巫女達にお礼を言って事務所へ戻った。

 そこには既に、公爵家からの使いの執事が待っていたのだった。

「お待たせ致しました。あの、教えてください。服装はどうさせて頂けばよろしいでしょうか?」

 申し訳なさそうに執事に尋ねると、やや年配の執事は二人を見てにっこりと笑った。

「どうぞそのままで。今回はあくまでも個人的な招待です。閣下のご友人などに貴女方を紹介する際などには、こちらで正装をご用意致しますので邸にて着替えて頂きます。ですが今回はどうぞそのままでお越しください」

 顔を見合わせた二人は、嬉しそうに頷き合って執事に深々と一礼した。

「よろしくお願いします!」

「はい。では、こちらへどうぞ」

 てっきり歩いて行くのだと思っていたが、外に待っていたのは、小振りだがとても豪華な二人乗り用の二頭のラプトルが引く馬車だった。

 中も華やかで、向かい合わせに座った二人の膝には、これ以上無いようなふわふわの手触りの綿兎の毛で織られた膝掛けが乗せられた。

 執事が扉を閉めるのを、二人は呆気に取られて見ている事しか出来なかった。

「では出発致します。最初は少し揺れますので舌を噛まないようにご注意ください」

 前側の覗き窓から聞こえる、御者台に座ったこちらも年配の男性の言葉に、二人は揃って返事をして座り直した。

 少しだけ揺れた後、まるで滑るように馬車は出発した。

「どうなってるのかしら。全然揺れないわね?」

「本当ね。いつもの馬車なら、かなり衝撃があるのにね」

 走り出した後も、まるで雪の上を走っているのかと思ってしまうくらいに、全く衝撃が来ない。

 不思議そうに顔を見合わせた二人は、それぞれ綿兎の膝掛けを引き上げて潜り込んだ。ふわふわの綿兎の膝掛けは、本当に軽くてとても暖かい。

「さすがは公爵様の馬車ね。乗り心地は最高だし、この膝掛け、とっても暖かくて寝てしまいそうだわ」

 嬉しそうなニーカの言葉に、クラウディアも笑って頷いた。

「本当に気持ちが良いわね、これにくるまってお昼寝出来たら最高でしょうね」

「本当ね。貴族の娘さんなら、きっとそんな毎日なのかしら?」

「さあ、どうかしら? でもきっと、貴族の娘さんには、私達とはまた違うお勤めがあるのではないかしら?」

 クラウディアの言葉に、また、二人揃って首を傾げる。

 それから不意に二人は笑い出した。

「きっとどんな身分の方であっても、やらなければならない事は沢山あるわよね」

「そうね。本当にその通りだわ」

「じゃあ、到着するまで、この膝掛けの手触りを満喫させてもらうわ」

 笑ったニーカがそう言い、膝掛けを胸元まで引き上げて嬉しそうに潜り込んだ。

 それを見たクラウディアも笑って膝掛けに思い切り頬擦りしたのだった。




 到着したお城の一角は、扉のすぐ横に見事な石造りの壁がそびえ立ち、一体ここがお城の何処になるのか、二人には全く分からなかった。

 案内された部屋は、明るい朝日が差し込む中庭が見える部屋で、机の上にはとても大きな真っ赤な花が活けられていた。

「うわあ、綺麗な花ね」

「本当、すごく大きいわ」

 感心したような少女達の声に、軽いノックの音が重なる。

 慌てて振り返った二人が見たのは、部屋に入ってくる公爵閣下その人だった。

「おはようございます、公爵閣下。本日はお招き頂きありがとうございます」

 二人が声を揃えて挨拶をすると、ディレント公爵は笑顔になった。

「おはよう、良い天気で良かったな。ああ、構わぬから立ちなさい」

 二人は揃って両手を握りしめて額に当てて跪いている。

「その花は、ヴィゴの娘さんからの届け物だ。今年も見事に咲かせておるようだな」

「ディアとアミーが咲かせたのですか?」

 ニーカの質問に、公爵は笑顔になった。

「ああ、そうだ。彼女達はイデアもそうだが、皆見事な花を咲かせるぞ。去年の花祭りの花の鳥は見事だったからな」

「はい、花祭りの間に、ヴィゴ様のお屋敷に招いて頂いて、花の鳥を見せて頂きました。その後、彼女達に教えてもらって、初めて花の鳥を作ったんです」

 目を輝かせるニーカに、公爵は笑った。

「その辺りの詳しい話も聞かせておくれ。だがまずは食事にしよう」

 振り返ると、花が置かれた机の横には大きなワゴンを押した執事が何人も控えていたのだ。

 公爵が小さく頷いただけで、執事達は手早く朝食の支度を整えてしまった。

「まあ、パンケーキですね」

 ワゴンに置かれたそれを見て、ニーカが目を輝かせる。

 綺麗なガラスのドームが被せられたお皿には、三段重ねになった大きなパンケーキが並んでいたのだ。

「まずは座りなさい。作法は今は気にせずとも良い。おいおい教えてやる故、今日の所は好きに食べなさい」

 嬉しそうな公爵の言葉に、ニーカは引かれた椅子に早速座った。

「何してるの、早く座ってよ」

 戸惑うクラウディアを振り返って、ニーカが満面の笑みでそう言っている。

「し……失礼します」

 頭を下げて、ニーカの隣の執事が引いてくれた椅子に座る。

 絶妙のタイミングで椅子が少しだけ押し込まれて、丁度良い位置で座る事が出来た。



「あれ、パンケーキなのに野菜やお肉が乗っているね」

 目の前に置かれたパンケーキには、うす茶色のソースがかけられていて、刻んだ野菜や一口サイズの肉団子が幾つも添えられていた。

 二人の前には、真っ赤なベリーのジュースも置かれる。

「ナイフは使えるかね?」

 優しい公爵の言葉に、ニーカは困ったように首を振った。クラウディアは、少しは使えるがとても公爵様にお見せ出来るようなものではない。

「失礼致します」

 公爵の合図で、執事が皿を取って、手早く二人のパンケーキを一口サイズに切り分けてくれた。

「どうぞ」

 再び目の前に置かれたそれを見て、二人はこれ以上ない笑顔になった。

「ありがとうございます」

 振り返って執事にお礼を言うと、二人は手を組んで食前の祈りを唱えた。

「今日も命の糧を与えてくださった全てのものに心からの感謝を。精霊王の恵みに祝福あれ」

 小さな声で真剣に祈る二人を、公爵は黙って見つめていた。



 フォークを持ったニーカは、少し考えて遠慮無く切ってもらったパンケーキにフォークを突き立て、大きな口を開けてパンケーキを口に入れる。

 数回噛んで目を輝かせた後、無言で隣に座ったクラウディアの腕を叩く。

「ど、どうしたのニーカ。喉でも詰まらせたの?」

 驚いて、自分のパンケーキを食べようとしていたクラウディアが、ニーカを覗き込むようにしてそう尋ねる。

「すっっっごく美味しい! 何これ、まるで雲みたいにふわっふわよ!」

 力一杯叫んだニーカの言葉に、自分でパンケーキを切っていた公爵は堪える間も無く吹き出した。

「し、失礼した。いや、気に入ってもらえて良かったよ。さあ、遠慮は要らぬ、好きに食べなさい」

 目を細めて笑った公爵の言葉に、ニーカは返事をして、今度は肉団子にフォークで突き刺して口に入れた。

「これも、柔らかくて美味しいです」

 無邪気に喜ぶニーカと違い、クラウディアは戸惑いを隠せなかった。

「言ったであろう? 今の其方に完璧な行儀作法など求めてはおらぬ。せっかくの焼き立てが冷めてしまうぞ。遠慮なく食べなさい」

 そんな彼女を見た公爵に、優しい声でそう言われてしまった。

 頷いて小さく深呼吸をした彼女は、パンケーキをフォークで掬うようにして、そっと口に入れた。

「美味しい……本当にふわふわね」

 花が綻ぶようなその笑顔に、公爵は満足そうに頷いて自分の分を食べ始めた。

 二人とも、そのあとはもう夢中になって平らげた。

 ベリーのジュースも、今まで飲んだどのジュースよりも濃厚で美味しかった。



 最後に、刻んだ果物と一緒に真っ白なクリーム状のものを出された。

「それはヨーグルトと言って、朝露のついた木の枝を牛乳に入れておくと出来るのだそうだよ。竜の保養所のあるロディナでは、昔から食べられておるものでな。精霊の恵みとも呼ばれておる。少し酸っぱい味がするので、初めて食べるのならそこの蜂蜜を入れて食べてみなさい。ヨーグルトは女性の身体には特に良いものだそうだぞ」

 初めて見るそれに小さく頷いた二人は、言われた通りに置かれていた蜂蜜をたらした。

「どうぞ、そのまま混ぜてお召し上がりください」

 横に置かれていたスプーンを渡してくれた執事にそう言われて、もう一度頷いた二人は真剣にヨーグルトを掻き回し始めた。

 公爵は黙って面白そうに、真剣にヨーグルトを混ぜる二人を見ていた。


「もう良いのではないか?」

 笑った公爵にそう言われて手を止めた二人は、顔を見合わせてそっと綺麗に混ぜられたヨーグルトをスプーンですくって口に入れた。

 二人揃って笑顔になる。

「美味しいです」

「何これ、初めて食べる味だわ」

 笑顔のクラウディアの言葉に、何度も頷いたニーカも嬉しそうに笑っている。

「口にあったようで良かった」

 笑った公爵は、蜂蜜を入れずにそのまま口に入れた。



 美味しい朝食を頂いてすっかりご機嫌になったニーカは、ここへ来た時の緊張などすっかり忘れたようで、ソファーに並んで座って目を輝かせて隣に座ってくれた公爵の話を聞いていた。

 クラウディアはまだ緊張していたが、公爵の話してくれる昨夜のレイルズの様子が聞きたくて、同じように目を輝かせてニーカの後ろから身を乗り出すようにして聞いていたのだった。



 もちろん、この後ここに誰が来る予定なのかなんて、全く知らない二人だった。

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