その日のクラウディアとニーカ
その日、いつものように夜明けとともに起き出したクラウディアは、手早く顔を洗って身支度を整えると、同じく起きて来たニーカ達と一緒に礼拝堂へ行き、いつもの早朝の祈りに参加していた。
しかし、彼女の頭の中はレイルズの事でいっぱいだった。
今日、彼は正式に竜騎士見習いとして議会で紹介される。更に夜には夜会に出て、そこで貴族達にも紹介されるのだと聞いた。
既婚者であるカウリならまだしも、成人したばかりのレイルズは、貴族の年頃の娘を持つ親にしてみれば娘の結婚相手候補としては最高だろう。
散漫になる考えを振り払うように頭を振ったクラウディアは、小さく深呼吸をして再び女神に捧げる祈りの歌を歌い始めた。
そんなクラウディアの様子を、少し離れた場所に並んだニーカが心配そうに見つめていたのだった。
「相変わらず、ディアは心配性だね」
目の前の椅子の背に座ったスマイリーのシルフに、小さく笑ったニーカが話しかける。
『彼女もラピスの主と一緒で自分に自信が無いんだよね』
「本当にそうよね。見ていてじれったいったら無いわ」
『でもこれからは変わるよ』
『公爵様が後見人になってくれたんでしょう?』
スマイリーのシルフの言葉に、小さく頷いたニーカは首を振った。
「お歌が始まるから、その話はまたあとでね」
小さく頷いたスマイリーのシルフは、ニーカの肩にふわりと飛んできて座り、そこでそのまま見学する事にしたみたいだった。
嬉しそうに笑ったニーカも、前に立つ僧侶の合図に合わせて、女神に捧げる祈りの歌を歌い始めたのだった。
早朝の祈りが済めば、各自に割り振られた掃除の時間だ。
今月の彼女達は、礼拝堂の掃除担当だ。二人共まずは羽根箒を使って祭壇手前側の壁の飾りの埃を取り除き、それから床を掃いて回った。それが終われば、次は固く絞った雑巾で、参拝者達が座る椅子を拭いて回った。
くるくると、まるで舞を舞っているかのように、ひと時も立ち止まらずよく働く彼女達を見て、他の僧侶達はいつも感心していた。
城の分所に来る巫女達は、例えば貴族の庶子であったり、なんらかの事情があって貴族としての身分を捨てて巫女になったような子達が多い。その為、どうしてもこう言った下働きに当たる床掃除や細かな仕事を嫌がって疎かにしがちなのだ。
しかし、彼女達は礼拝堂に来てくれる人達が、いかに気持ち良く参拝してくれるかを考えて掃除をするので、決められた作業だけでなく、自主的に作業を探して行なったりもする。
例えば、扉の取っ手部分の僅かな汚れを見つけて磨いたり、壁のちょっとした段差部分に溜まった僅かなゴミまで、全て綺麗にお掃除してしまうのだ。
今も、掃除をしている椅子の座面と背もたれの僅かな隙間に溜まったゴミまで、持って来た細いブラシで掻き出している。
嫌がりもせず、冬でも水を使う拭き掃除も率先して行い、見事に埃の一つも無くピカピカに磨き上げられた床を見た参拝者達は、皆、入る前に入り口横に置かれた靴の泥除けのブラシに、何度も何度も靴を擦り付けていたのだった。
その日、ニーカがその椅子の座面と背もたれの隙間を掃除していた時、不意に何かが転がるのが見えた。
「シルフ、今のは何?」
思わず顔を上げて周りを見たが、特に何も落ちた様子は無い。
「あれ? 見間違いだったのかな? 確かに今、何か小さな物が落ちたみたいに見えたんだけどなあ?」
キョロキョロと床を見回すニーカに気づいたクラウディアが、掃除の手を止めて顔を上げた。
「どうしたの? ニーカ」
「えっと、今ここから何かが落ちたみたいに見えたんだけど……」
その時、一人のシルフが得意げにとんでもない物を持って来たのだ。
それはどう見ても宝石だった。
ニーカの小指の爪の半分はある、綺麗な水色をしたキラキラと光るカットを施されたその石に、二人は無言になった。
「ええと、今落ちたのがそれなの?」
得意げに何度も頷くシルフを見て、ニーカは黙って手を差し出した。
当然のようにシルフは彼女の手にその宝石を落とした。
「これ誰に言えばいいかしら?」
「ええと、あ! ルディ様に届けるのが一番じゃ無いかしら?」
「そうね、先に行って来て。椅子のお掃除は私がしておくから」
これは黙って持っていてはいけないものだと判断して、ニーカは急いで事務所へ向かった。
ルディ様は、いつもこの時間なら事務所にいらっしゃる事が多い。
足早に事務所に駆け込んだニーカは、いつもの席にルディ僧侶が座っているのを見て安心したように、深呼吸をした。
「あの、ルディ様、お忙しいところを申し訳ありません」
駆け寄って、少し離れたところから彼女に声を掛ける。
「おはよう、どうしたんだい?」
書類に何かを書き込んでいたルディ僧侶が顔を上げてくれたので、ニーカは握ったままだったあの石を手を開いて見せた。
「あの、礼拝堂の椅子を掃除していたら出てきました。私には分かりませんが、その、この輝きは宝石じゃないかと思うので持ってきました。シルフ達も良い石だって言って喜んでいます」
驚きに目を見開いたルディ僧侶は、ニーカの掌にある、その輝く石を見つめた。
「礼拝堂の椅子にあった? これが?」
「はい。ええと、祭壇に向かって右側の列の、前から六列目の端に有りました。あ、でも真ん中側から吐き出して行って最後に床に転がったのを見つけたから、六列目の何処にあったかは分からないです」
立ち上がったルディ僧侶は、そのままニーカの手をもう一度握らせると、そのまま事務所を出て別の部屋へ連れて行った。
そこも事務所のようだが、そこにいたのは僧侶や神官ではなく、皆軍人達だったのだ。
「おはようございます。ルディ様、どうなさいましたか?」
一人の士官が、彼女を見て来てくれる。
「すまないが、とんでもない落し物だ。正直に届け出た彼女に褒美をやらなければいけないと思うぞ」
背中を叩かれたニーカは、その兵士に先程の石を見せた。
「おお、これはまた……了解しました、そこに座ってお待ちを。すぐに書類を作ります」
慌てたその兵士は、そう言って奥の席に行き、何かの書類を書き始めた。
「あの、これをお渡ししたらすぐに戻らないといけないんです。まだ礼拝堂のお掃除が残っているので」
「お待たせしました、礼拝堂の何処にあったか分かりますか?」
書類を手にした兵士の質問に、ニーカは先程ルディ僧侶に言った事を、もう一度話した。
「ご苦労だったね。もう戻ってもらって構わないよ」
ニーカの名前や巫女の身分、それも聞かれた後、ルディ僧侶にそう言われたニーカは、一礼して礼拝堂に戻ろうとした。
「あ、待って。正直な働き者に私からのご褒美だよ」
笑って飴の包みを渡してくれる。
全部で十個も貰って、ニーカは笑顔になった。
「ありがとうございました!」
深々と一礼して、大急ぎで礼拝堂へ戻った。
貰った飴は、前掛けのポケットに入れておく。
「ごめんね。ルディ様に渡して来たわ」
礼拝堂に駆け込んだニーカは、残りの椅子をクラウディアと手分けして掃除して、最後に綺麗に床に雑巾がけをした。
これはニーカがいれば水の精霊達が手伝ってくれるので、軽く掛けるだけでピカピカにしてくれるのだ。
クラウディアではこうは行かない。これは水の精霊魔法の中でも上位の技になるのだ。
無心に掃除をしている間は、何とか忘れていられたのだが、午後からはまた、彼の事で頭がいっぱいになってしまった。
昼食の後は、いつものように蝋燭を数えて、箱に詰める。
その後は、印刷機の元になる蝋引きの紙に鉄筆で文字を書く、謄写版と呼ばれる印刷機の原紙作りを手伝った。
二人共とても綺麗な字を書くので、定期的に開催される祭事の際に、参加者に配られるお祈りや説明を書いた紙の原紙作りを任される事が多いのだ。
見本の文字を書き写すだけの作業なので、クラウディアはまた頭の中に良くない考えが次から次へと出てきてしまい、間違わないように何度も手を止めていた為に、いつもよりも進まなくて、担当の僧侶に何処か具合でも悪いのかと心配されてしまった。
夕食の後は、ようやくの自由時間だが、クラウディアは無言で部屋に閉じこもってしまった。
今頃、彼が、着飾った大勢の綺麗な貴族の娘達に取り囲まれて請われてダンスのお相手を務めているのかと考えたら、ここにいる自分が悲しくて悲しくてもう何も考えられなくなってしまったのだ。
枕に抱きついて声も無く泣いていると、ノックの音がした。
聞こえないふりをして黙っていると、もう一度ノックされる。
それでも黙っていたら、いきなり目の前にシルフが現れた。
『居留守を使うなんて酷いと思うな』
「だって、今私……きっと酷い顔してるわ……」
消えそうな小さな声でなんとかそれだけを言う。
『良いから入れて頂戴!』
精霊使いとしては、ニーカの方が上なのだから、彼女が部屋に閉じこもったところでニーカが本気で破れば簡単に扉は開く。
しかし、彼女はそうせずにいてくれた。
起き上がって深呼吸をしたクラウディアは、何とか立ち上がって扉を開いた。
笑ったニーカが部屋に入って来る。
「あのね、さっき公爵様のところからお使いの方が見えたの」
驚いて部屋を出て行こうとしたが、ニーカはそんな彼女の腕を笑って捕まえた。
「もうお帰りになったわ。それで公爵様から伝言。明日の午前中、早朝からお城にある公爵様の部屋に二人で来なさいってさ。お迎えの人が来てくださるから、一緒に朝ごはんを食べて、午前中いっぱいお話がしたいんですって。それで、お昼もご一緒してから戻るんだって。分かった? 明日は私達は、早朝のお祈りだけで、午前中いっぱいは公爵様の所へ行くんだって」
呆気に取られていると、ニーカが笑って顔を覗き込んできた。
「わ、分かったわ、じゃあ明日は私達は朝食は食べずに行けばいいのね」
小さく頷いてそう答えた。
「そうそう。それと、公爵様からお菓子の差し入れが沢山届いて皆大喜びなの。ディアも一緒にお茶にしましょうってさ」
笑って腕を叩かれる。
「分かったわ、顔を洗ってから行くから、休憩室に先に行っててくれる」
何とか、顔を上げてそう言ったクラウディアに、ニーカも笑って今度は背中を叩いた。
「大丈夫よ。レイルズにはラピスが付いてるんだもん」
目の前に、何人ものシルフ達が現れて頷きながら手を振っている。
「そ、そうね。そうよね」
誤魔化すようにそう言って、顔を洗うために手洗い場へ走って行った。
「これ、当分の間はこんな感じなんだろうね。世話がやけるなあ、もう」
呆れたようにそう言って笑ったニーカだったが、その顔はとても優しい笑顔になっていたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます