蒼の森の家族
城の控え室から揃って本部へ戻り、いつもの自分の部屋に戻った頃にはもうすっかり遅い時間になっていた。
いつもならもうそろそろ、おやすみなさいの挨拶をしている頃だ。
出迎えてくれたラスティはいつもと変わらなくて、何だか嬉しくなったレイだった。
「お疲れ様でした。初めての夜会はいかがでしたか?」
笑顔でそう聞かれたレイは、今日一日だけでどれだけ沢山の人と会って挨拶をしたのかや、ダンスの時にお相手を務めてくれたアデライド様の足を踏まずに済んでホッとした事。それから楽器と歌の披露でどれだけ緊張したかを、息を継ぐ間も無い程にひたすら着替えながら喋り続けていたのだった。
そんなレイの話を、ラスティは終始笑顔で聞いていてくれたのだった。
実は、会議での挨拶に始まり夜会での事まで、ラスティは裏方の覗き窓からその一部始終を見ていたのだ。しかも途中からは、何度も感激のあまり本気で泣きそうになり、他の裏方の人達に何度も慰めるように背中や肩を叩かれていたのだった。
全ての予定を終了した彼らが控え室へ下がったのを見て、ラスティは、裏の廊下を通って急いで先に本部へ戻って来ていたのだった。
レイが湯を使っている間に、ラスティは彼の脱いだ竜騎士見習いの第一級礼装を片付ける事にした。
まずは、丁寧に装飾品を外していく。
降誕祭の時にギードから贈られたラピスラズリの襟飾りとカフリンクスは、今日のレイの襟元と手首を飾ってくれていた。
彼が服を脱いだ時に取り外したカフリンクスは、ベルベットを敷いた装飾品専用のお皿に置かれている。
取り外したそれらを一つずつ丁寧に布で拭ってから、それぞれ用意されていた小箱に片付ける。
服には一度丁寧にブラシを全てかけて汚れを落としてから、所定の籠に入れて後方担当の者に渡すのだ。そうすると水の精霊魔法を使える洗濯担当者が、全て綺麗にして戻してくれる。
女神オフィーリアの神殿で、ニーカがやっているのと同じ仕事だ。
すっかり汗を流して綺麗になったレイは、冷たくしたカナエ草のお茶を入れてもらった。汗をかいた身体に、冷たいカナエ草のお茶はとても美味しかった。
冷たいお茶を飲んでようやく落ち着いたレイは、少し困ったようにラスティを見た。
「えっと、明日からの予定ってどうなっているんですか?」
いつも、月の後半には来月の精霊魔法訓練所の授業の予定表を渡されて、それと同時に本部での勉強や訓練の予定も教えてもらっている。もちろん、急に予定が変更になる事も多いので、それらはあくまで予定だが、それでもなんとなくこれから先の予定が分かるのは安心出来て良かったのだ。
しかし、今月はまだ予定表を貰っていない。
多分、忙しい事になるのであろう事は想像がついたが、何がどう忙しくなるのか、具体的な事はまだ全く想像出来ないレイだった。
「明日は、朝練には参加して頂いて構いません。お戻りになられたら朝食はいつものように食堂で食べて頂きます。午前中はルーク様と一緒にまずディレント公爵閣下のところへ行って頂きます。歓談の時間を設けておりますので、閣下から様々な事を教えて頂いてください。ディレント公爵閣下と昼食をご一緒して頂いた後、そのままゲルハルト公爵閣下の所へ。午後のお茶に招かれておりますので、ルーク様と一緒に参加して頂きます。その後は……」
延々と夜まで続く予定を聞かされて、レイは本気で気が遠くなった。
「えっと。それって……今月の予定……」
「いえ、明日の予定でございます」
そのまま悲鳴を上げて顔を覆ったレイを見て、ラスティはにっこりと笑った。
「これでも、出来る限り厳選して予定を入れております。当分の間はルーク様と、ルーク様の予定が合わない時は、他の竜騎士の方が必ず一緒に行ってくださいます。今なら多少の失敗や失言はある程度までは見逃してくださいますので、今のうちに出来るだけ多くの物事に触れて、様々な事を学んでください。また、分からない事や不安に思う事があれば、どんな些細な事でも構いませんので、遠慮無く誰かに聞いてください。もちろん私でも結構です。絶対に、疑問に思った事や不安に思った事を放置しないでください。よろしいですね」
真剣なラスティの言葉に、レイは何度も頷いたのだった。
「それじゃあもう休みますね。今日は本当に疲れました」
寝巻きに着替えて小さな欠伸をしてベッドに入ったレイの言葉に、ラスティは笑顔になった。
「おやすみなさい。明日も蒼竜様の守りがあります様に」
「おやすみなさい。明日もラスティにブルーの守りがありますように」
額にキスをされて、ラスティにキスを返す。
笑顔で笑い合って、毛布を胸元まで引き上げた。
灯りを消して部屋を出て行くラスティを見送り、レイは横になったまま天井を見上げて大きなため息を吐いた。
「ブルー、いる?」
『もちろんいるぞ。どうした?』
「もう遅くなったから寝ちゃったかな? タキス達はどうしてるか分かる?」
『居間で呑んでいるぞ。呼んでやろうか?』
笑ったようにそう言われて、レイは横になったまま頷いた。
「うん、やっぱり声が聞きたいから呼んでくれる? 今日あった事、報告しておかないとね」
嬉しそうなレイの頬にそっとキスをしてブルーのシルフが頷くと、その背後に何人ものシルフ達が現れて並んで座った。
「えっと、遅くにごめんね」
申し訳なさそうなレイの言葉に、三人のシルフが揃って嬉しそうに笑って首を振り、一番前のシルフが口を開いた。
『お疲れ様』
『それでどうでしたか? 初めてのお披露目は』
タキスの声で話すシルフに、レイは起き上がって嬉々として今日あった事を話して聞かせた。
簡単に済ませようと思っていたのだが、いざ口を開くと話に夢中になり、いくらでも喋る事が出来た。
三人は、時折頷きながら、ひたすら喋り続けるレイの話をずっと感心しながら聞いていてくれた。
途中、ソファーに置いてあった肩掛けを持って来てくれたブルーのシルフにお礼を言い、背中から羽織って暖をとって、ベッドに座ったレイはひたすら夢中になって今日の出来事を話し続けたのだった。
ようやく気が済むまで喋ったレイは、若干呆れたようなタキスに言われた。
『明日からの予定があるのでしょう? もう今日は早く休みなさい」
「うん、もうベッドに入ってるんだよ。実はさっきから、ちょっと眠いの……」
小さく欠伸をしたレイは、我に返って慌てて謝った。
『構わないからもう休みなさい』
『明日からのあなたの活躍をお祈りしています』
『良いですね』
『しっかりしなさい』
『皆が興味津々で貴方を見ているんですからね』
タキスの言葉に、レイは元気に返事をした。
「分かりました、じゃあもう今日は寝ます。おやすみなさい」
『おやすみなさい』
『明日も貴方に蒼竜様の守りがありますように』
「おやすみ、皆にもブルーの守りがあります様に」
小さく笑って、手を振ってくるりと回っていなくなるシルフ達を見送った。
「じゃあ本当にもう寝るね。おやすみブルー」
背中に羽織っていたひざ掛けは、毛布の上に広げてそのまま一緒に被って寝る事にした。
「おやすみシルフ。明日もいつもの時間に起こしてね……僕はちゃんと朝練に行くんだから……」
枕に抱きつくようにして横向きになって枕に顔を埋めたレイは、小さくそう呟くと、すぐに静かな寝息を立て始めた。
手を振って消えるシルフを見送ったタキス達三人の口から安堵のため息が同時に漏れた。
少し離れて聞いていたアンフィーも、同じように安堵のため息を吐いていた。
一緒に飲んでいた彼は、レイルズの伝言のシルフが来た事に気付いて慌てて居間から出て行こうとしたのだが、ギードが笑って止めてくれ、結局少し離れたところで話が終わるまで大人しくしていたのだった。
「良かったですね。レイルズ様の声が聞けて」
アンフィーの声に、顔を覆って泣いていたタキスが顔を上げた。
彼はもう、今日は先程からずっと泣いてばかりいる。
実は、彼らは少し前にルークから連絡をもらい、今日のレイの様子を全て聞いていたのだ。
堂々たる様子で紹介された会議の場で挨拶した事。
夜会では、皇族の女性を相手に見事にダンスを踊って見せた事。そして会場中の大喝采をもらった竪琴と歌の披露。挨拶をしたほとんどの人達が、まだ十六歳のレイの堂々たるその様子に感心していた事も聞かされた。
タキスはもう、感動のあまりずっと泣いていてルークを困らせた。
途中からはもう泣き過ぎて話が出来なくなり、ニコスが代わりに対応してくれた程だった。
今日のレイルズは疲れ切っていたので、もしかしたら彼からの報告は今日は無いかもしれないが大丈夫なので心配しないでくださいとも言われて、苦笑いした三人だった。
ようやく落ち着いて祝杯を挙げていたところで、レイからの伝言のシルフが現れたのだ。
彼から聞く話は、ルークから聞いた話と視点が変わっただけで、ほとんど変わらなかった。
唯一違うのは、彼が思っている周りの人の彼に対する評価だった。
「自己評価が低いのは、相変わらずのようじゃな」
「まあ、それもルーク様はご存知だよ。多分、普段からもっと自信を持て! とかって、色々と言われてると思うけどな」
苦笑いするニコスも、実は先程から泣きそうになるのを何度も我慢していたのだ。
「人の子の成長は、本当に早いな……ここへ来た時のあの小さなレイが、もう夢のように感じるよ」
目に涙を浮かべながら、誤魔化すようにそう言ったニコスを、ギードが黙って隣から肩を組んだ。
「全くだな。あの子は森でワシを初めて見た時、ドワーフだ。と、呆然とジッと見つめてそう言ったのだぞ」
「ああ、そうだったな。俺達の事も、目を丸くして見ていたよな。それで、その後我に返って謝っていたな」
ニコスとタキスも、当時を思い出して笑いながら頷いている。
「私達の一年と、あの年頃の子の一年は、流れている時の値打ちが違いますね。本当に、人の子の成長は……早いですね」
目を閉じてそう呟いたタキスの言葉に、ニコスとギードだけでなく、アンフィーまでが揃って持っていたグラスを上げて、それぞれ一気に飲み干したのだった。
そんな彼らを、シルフ達が優しい目で見つめていたのだった。
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