夜会の始まり
夕食は聞いていた通りそれほど改まったものではなく、比較的気楽に食事が出来た二人だった。
夕食が終わってしばらくの間、また側に寄って来た猫達と膝をめぐって攻防戦を繰り広げた。しかし結局二人揃って大敗を喫し、見事に膝を占領されてしまった。
だけど今から夜会に出ることを考えて、今度はマティルダ様が手伝ってくださって早めに膝から退散してもらい、なんとか足の痺れは回避した二人だった。
「レイルズは、歌と竪琴を披露するんですってね。カウリは? 楽器は何を使うの?」
マティルダ様が、猫のレイを抱えて、自分の座っているソファーの横に乗せてやりながら尋ねる。
「はい、私は横笛を披露させて頂きます。まあ、下手の横好きと申しますか、以前から少々笛を嗜んでいましたので、良い機会だからと改めて基礎から教えていただいたんです」
「かなりの名手だと聞いているぞ」
陛下にからかうように言われて、慌てたようにカウリは首を振った。
「とんでもありませんよ。所詮は素人です。ただ、ヴィオラと違って吹けば正しい音が出る笛は、俺には向いていたみたいですね」
笑って謙遜するカウリに、陛下は大きく頷いた。
「レイルズは、森の家族から素晴らしい竪琴を贈られたそうだな。なんでも元の持ち主は、オルベラートの貴族だったそうではないか」
「はい。僕の養い親のニコスのご主人が持っておられた竪琴だって聞きました。あの、それでちょっと気になったので……お聞きしてもよろしいでしょうか?」
困ったようなレイの言葉に、マティルダ様の隣に座って猫のフリージアを膝に乗せて撫でていた陛下は笑って頷いた。
「ああ、構わぬぞ、どうした?」
「その竪琴なんですが、ニコスのご主人が持っていたって事は、オルベラートの貴族の方の持ち物だったって事ですよね。その……オルベラートにお返ししなくて良かったんでしょうか?」
せっかくニコスが贈ってくれたものだし、レイ自身も気に入っているので出来れば手放したくはないが、オルベラートの貴族が持っていたものを勝手にレイが持っていて良かったのだろうか。
実は竪琴をもらってから、ずっと密かに気になっていたのだ。しかし、誰に聞いたらいいのか分からなくて困っていたのだ。
「ああ、それなら問題ない。その竪琴は確かにオルベラートの貴族が持っていたものらしいが、今はもうその貴族の家は断絶されて、家名も無くなっているそうだ。当然屋敷も没収されて資産も国庫へ納められている。その竪琴は、その館の執事であった年配の竜人が王の許可を得て、形見の品として譲り受けたそうだ。その竜人が其方の養い親本人なのか、また別の人物なのかは分からんがな」
陛下の言葉に、レイは安心したように笑った。それを見て、陛下も笑ってくれた。
実は、レイルズが降誕祭の贈り物で養い親からあの竪琴をもらった時、カードに書かれていた内容を心配したルークの報告で、既にニコスにも、それからオルベラートの王にも確認を入れているのだ。
あの竪琴は相当な品と見たアルス皇子までが、同じように心配していたので、万一オルベラートで紛失品として捜索などが行われていないか、確認してもらうためだ。
もしもそのような事態になっていれば、竜騎士となるレイルズが持つ事で、下手をしたら国家間の問題にもなりかねないからだ。
しかし、オルベラートから返ってきた答えは今の陛下が言った通り、正式な許可を経て形見分けの品として譲られたものなので、誰が持っていようと問題にはならないとの答えだった。
それどころか、それはとても良い品だから出来れば日の当たる場所に出してやってほしいとまで言われたのだ。
竜騎士見習いのレイルズの持ち物になったのだと教えると、それはまた不思議な縁だと、とても喜ばれた。
そして、ニコスにも確認したところ、その竪琴をオルベラートの王から譲り受けたのはニコスの父上で、後日、別の人を通じて、元気になった彼にその竪琴は託されたとの答えが返ってきて、特に問題が無いことが確認されたのだった。
「オルベラートのダルタント王からは、それは良い品だから大切にしてくれと言われたぞ」
陛下に笑いながらそう言われて、レイは嬉しそうに何度も頷くのだった。
「そろそろお時間でございます。ご用意をお願い致します」
執事の声に、笑った陛下が立ち上がる。
「では後程な」
一同が立ち上がって見送る中を、両陛下は一旦準備の為に部屋を出て行った。
「我々も着替えようか」
笑って振り返ったルークの言葉に、レイとカウリは真剣な顔で頷いた。
いよいよ、挨拶だけではない今夜の夜会が、竜騎士見習いとしての本当のお披露目なのだ。
ひとまず彼らも、別室に通されて軽く湯を使った後、用意されていた第一級礼装に着替えた。
剣帯を締めた時には、もう既に緊張してレイは息が早くなっている。
「レイルズ様、どうかゆっくりと息をしてください。大丈夫ですよ。上手くいきます」
着替えを手伝ってくれた顔見知りの第二部隊の兵士に、苦笑いしながらそう言われてしまい、レイはもう頷くことしか出来なかった。
『大丈夫だぞ。其方には我が付いていると言っておるではないか』
笑みを含んだ声でブルーのシルフにそう言われて、頷いたレイは、顔を上げて大きく深呼吸をした。
「うん、ありがとうブルー。それに君達もね。頼りにしてるからよろしくね」
ブルーのシルフの横には、ニコスのシルフ達も現れて笑っている。
順番にキスを贈ったレイは、改めてもう一度深呼吸をしてから顔を上げた。
夜会の催される城の大広間は、既に着飾った男女であふれていた。
身分の高い人程後から来るので、今ここにいるのは比較的若く身分も低い者が多い。また、若い未婚女性達は一人ではなく、お目付役の叔母などの親族と来ている事が多い。
そんな彼ら、彼女らの話す内容は、見事なまでに一緒だった。
つまり今夜、この場で正式に一般にお披露目される竜騎士見習いとなる二人についてだ。
実はこの中の何人かは、精霊魔法訓練所でレイルズやカウリと顔見知りだったり、直接言葉を交わした知り合いの者が何人もいたのだが、皆、素知らぬ顔で会話に参加していた。
広間に次第に人が増え始め、夫婦で参加する者、また娘や息子を連れて来る年配の人達も増えてきた。
到着の報告をする兵士の声が聞こえる度に、あちこちで挨拶が交わされ、笑い声が起こっていたのだった。
竜騎士隊も全員が順番に到着して、大勢の人達に取り囲まれていた。やはりここでも話題は新しく竜騎士見習いになった二人の事で持ちきりで、皆、密かに笑いを噛み殺しながら対応していたのだった。
そして、最後にレイルズとカウリを伴った両陛下が大広間に到着して、大広間正面の壇上に立った陛下の口から開会が告げられ、大広間は一斉に拍手に包まれるのだった。
執事の案内で、陛下とマティルダ様に伴われて、カウリと共に大広間の横にある控え室にやって来たレイは、もう正直言って心臓が口から飛び出しそうなくらいに緊張していた。
隣では、カウリも似たような状態だ。
しかしここでは休む暇も無く、そのまま大広間に通されたのだ。
開いた大きな扉から見えたそこは、とても高い天井から見事なシャンデリアがいくつもぶら下がり、部屋の奥が見えないのではないかと思うくらいに広い空間だった。
そこにいる煌びやかに着飾った人々が、全員、興味津々で揃ってこっちを見ていたのだ。
全員が自分達を見ているのだと思った瞬間、また心臓が一段と早くなった。
全力疾走した時だって、こんなに早くはならないだろう。
『落ち着きなさい。大丈夫だ。別にとって喰われる訳でなし』
からかうようなブルーのシルフの言葉に、レイとカウリは小さく吹き出した。
「そうだな。でもまあ、気分は似たようなものだよ。お互い、とにかく大きな失敗だけはしないように気をつけようぜ」
小さな声でそう言われて、レイは小さく頷いたのだった。
「大丈夫だ。まずは私の開会の挨拶のあとで、其方達をアルス皇子が紹介してくれる。それが終われば、言ったようにまずはレイルズはアデライドと、カウリはスカーレットとそれぞれダンスをなさい。その後はまあ、成り行き次第だな」
「その成り行き次第ってのが恐ろしいんですけどね」
若干上ずった声でカウリがそう呟くと、振り返ったマティルダ様が笑って軽く肩を竦めた。
「大丈夫よ、二人ともこれ以上ないくらいに格好良いわよ」
その言葉に、彼らの周りにいたシルフ達も大喜びで同意するように頷いて手を叩きあっていた。
ダンスのお相手をしろと命じられたアデライド様とスカーレット様は、どちらも直系ではないが皇族の女性であり、お二人とも未だ未婚の女性なのだ。
その為、なんと無くこの数年は、どちらかが竜騎士見習いのお披露目の際の初めてのダンスのお相手を務めている。
年齢的にはスカーレット様の方が年上だったので、カウリがお相手をする事になった。ちなみにアデライド様はまだ二十代前半で、スカーレット様は三十歳になられたばかりだ。
緊張に引きつった顔で頷く二人を見て、小さく笑った陛下は隣に立つ王妃に腕を差し出した。
「では、参るとしよう」
腕を取って寄り添う二人がゆっくりと大広間に出て行き、レイとカウリも、教えられた通りに少し離れて両陛下の後をついて大広間に足を踏み入れたのだった。
いよいよ、二人のお披露目の夜会が始まろうとしていた。
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