ラスティの想いと会議の始まり

 その日、いつものようにカウリと一緒に朝練に参加したレイは、軽めの運動のみで朝練を切り上げ、早々に食事を終えて、まずはラスティに手伝ってもらって身支度を整えた。

「どう、これでおかしいところはない?」

 両手を広げて笑顔になるレイを見て、着替えを手伝ってくれたラスティは大きく頷いてくれた。

「ご立派になられましたね。今日を境に、周りの者達の貴方を見る目が変わりますよ。どうか常に人目がある事を忘れず、己を律し、立派な竜騎士となってください。何か分からない事が有りましたら、いつでも遠慮無く聞いてください」

 嬉しそうに目を細めるラスティの言葉に、レイは元気に返事をした。

「では参りましょう」

 感極まって出た涙を隠すために、わざわざしゃがんで上着の裾を直したラスティは、立ち上がって自分よりも大きくなったレイを眩しそうに見上げて、噛みしめるようにそう言った。



 彼がここへ来た最初の頃は、正直言って、竜騎士となるべき人物がこんなにも無邪気で無防備で大丈夫かと本気で呆れもしたし心配もしていた。

 しかし、真面目に勉強する彼は、グラントリーでさえも驚く程に優秀な生徒だった。

 多くの竜騎士見習い達を教えて来た精霊魔法訓練所の教授達も、レイの優秀さと成長ぶりには舌を巻いていた。



 ラスティにとっても、彼を受け持った事は大きな出来事だった。



 彼は元々、アルス皇子の身の回りの世話をしていた従卒の一人だった。

 しかし、レイルズが古竜と共にここへ運ばれて来たあの日、彼はアルス皇子から直々に頼まれたのだ。



 どうか、レイルズの第一の従卒になってやって欲しい。古竜の主でありながら、全くの無知と言ってもいい彼を教育するには、絶対に信頼出来る人を彼の身近におく必要が有る。と、そう言われたのだ。



 ラスティにとって、アルス皇子の元で働いていた事は、大きな誇りであり喜びでもあった。

 しかし皇子のその頼みを彼は二つ返事で引き受けたのだ。

 皇子の従卒から一般出身の人物の従卒に変わるという事は、客観的に見れば降格されたと見られてもおかしくは無い。

 しかし、引き受けたラスティには躊躇いも戸惑いも無かった。

 引き受けた理由の一つには、それほどの信頼を皇子が自分においていてくれたのだという喜びが有った。そして、全くの無知なのだというその少年が、立派な竜騎士になるのを一から間近で見たいと思ったからだ。

 実際、身近に接した彼は、未成年であるにも関わらず本当に魅力的な人物だった。

 まだまだ未熟で脆い部分も持ち合わせているが、人の言葉を素直に聞き、自分を偽る事をしない。そして人に教えを請う事を躊躇わない。これは、人として得難い、彼の持って生まれた素晴らしい資質だった。



 いつしか、ラスティはレイルズを守り育てる事に夢中になっていた。



 その彼がとうとう、正式に竜騎士見習いとして紹介されるのだ。

 子供を持たないラスティだったが、今の気分は、すっかり立派になった息子を見る父親の気分だった。



 先導して廊下へ出ると、カウリと一緒に、従卒達のまとめ役でもあるヘルガーと、カウリの従卒であるモーガンが待っていて、目を潤ませて出てきたラスティを見て、二人共笑って彼の腕や背中を叩いた。

 カウリはそんなラスティに気付いていたが、何も言わずに小さく笑ってレイルズの横についた。

「では、参りましょう」

 ヘルガーの言葉に、頷いた一同は胸を張って城にある大会議室へ向かった。



 すっかり見慣れた渡り廊下を通り、城へ入る。いつもの廊下を通り、途中から別の廊下に入る。

「いつも思うけど、お城の廊下って、皆全部知ってるのかな?」

「俺も全部は知らないな。それより俺はどっちかって言うと、表の廊下より裏の廊下の方が詳しいな。だけど、それでも全部知ってるわけじゃ無いな」

「私でも、全てを知ってるわけではありませんね」

 前を歩くラスティの言葉に、レイは驚いて目を瞬いた。

「えっと、じゃあ誰なら知ってるのかな?」

 ラスティとモーガンは、無言で目を見交わした。

「恐らく、全ての廊下と裏の廊下を知っている人はいないと思いますね。部屋にしても、自分に関わりのある部屋や、主だった部屋は知っていても、全てを知っている人はいないでしょうね」

「ええ、そんなので大丈夫なの?」

「大丈夫ですよ。大抵はそんなものです」

 平然と答えたヘルガーの言葉に、カウリとレイは、吹き出しそうになるのを必死で堪えたのだった。



 途中から全く知らない廊下を通り、また階段を上がって廊下を歩く。

 レイにはもう、途中からここが何処なのかさえさっぱり分からなくなっていた。

「こちらの部屋でお待ちください」

 案内されたのは控え室のようで、質素な作りの部屋だったがソファーは座り心地の良いものが置かれていた。

 ミスリルの剣を外して所定の場所に置いたレイとカウリは、揃って大きなため息を吐いてソファーに並んで座った。

 ラスティ達は、彼らが部屋に入ったのを見届けたらそのまま部屋には入って来なかったので、部屋の中は二人だけになってしまった。



「今日、この後ってどうするか聞いてる?」

 紹介された後は、会議に参加しているアルス皇子とヴィゴとマイリー、それからルークと一緒に行動するように言われている。

 それから、夜には夜会への参加がある事は聞いているが、詳しい段取りは全く聞いていないのだ。

 レイの言葉に、カウリは苦笑いして隣に座るレイを見た。

「会議の後は、恐らくそのまま会議に出ていた主だった人達との挨拶の嵐だよ。まあ、殿下やヴィゴ達がいてくれるから、そんな無茶な事は無いと思うけどなあ……。その後は、誰かの部屋へ行ってそのまま面談かな。まあ、ヴィゴが言ってたけど、その辺りは彼らが段取りしてくれるから、俺たちは言われた通りにしてろってか、大人しくしてろって感じかな」

「うう、駄目だ。考えただけでお腹が痛くなってきたよ」

 クッションを抱きしめたまま、レイが呻くようにそう言うのを聞いて、カウリは小さく笑って彼の脇腹を突っついた。

「もう、ここまで来たら腹括るしかねえよ」

「それはそうだけどさあ……」

 それでも情けない顔をしているレイを見て、カウリは小さなため息を吐いて肩を竦めた。

「考えてみたら、俺達、二人いて良かったな」

「え? どう言う事?」

「だって、お前……考えてみろよ。もしも一人だったら、紹介された時に会議室全員の視線を独り占めだぞ。その後の挨拶の嵐なんて、絶対長蛇の列だぞ。夜会にしたって、紹介された後、どれだけの女性とダンスを踊らなくちゃ駄目だと思ってるんだよ。それを全部一人でやるとしたら……」

「うわあ! カウリ、あの時に竜騎士になってくれてありがとう。僕、心から感謝するよ!」

 不意に、自分一人で紹介された時のことを考えて真っ青になったレイは、カウリに向かってそう叫んだ。

「俺も礼を言うよ。お前がいてくれるおかげで、周りの人の目もかなり分散するからな」

 苦笑いした二人は、揃ってもう一度大きなため息を吐いてそれぞれカウリは天井を見上げ、レイは抱きしめたクッションにもう一度顔を埋めたのだった。




「カウリ様、レイルズ様、間も無くお時間となりますので、ご準備をお願い致します」

 ノックの音と共に、第二部隊の見知らぬ兵士が顔を覗かせた。

「了解です。ほら、見てやるから立てって」

 笑って返事をしたカウリは、クッションを抱いたまま固まっているレイの肩を叩いた。

 笑ったカウリは、半ば呆然と立ち上がったレイの服のシワを直してやる。我に返ったレイも、慌ててカウリの背中のシワを直すのだった。

 剣帯にそれぞれ剣を装着したら、黙って立ったままその時を待つ。

 二人の肩にはそれぞれ、ブルーのシルフとカルサイトのシルフが当然のように座っていたのだった。



 定刻に始まった月初めの会議は順調に進み、主だった議題が順番に進められていった。

「それでは最後に、竜騎士隊より皆様方に報告がございます」

 立ち上がったアルス皇子の言葉に、全員の視線が集まる。

「この度、この場を借りまして、正式に竜騎士見習いとなる二人を皆様方に紹介致します。まず一人目は昨年の竜との面会にて成竜カルサイトと出会い竜の主となった、カウリ・シュタインベルグ。四十五歳です」

 カウリの年齢を聞いて、会議室に騒めきが起こる。

 しかし、アルス皇子は平然と話を続けた。

「二人目は、皆様も二年前の騒ぎを覚えておられる事と思いますが、西の国境地帯に広がる古き森、蒼の森に棲んでいた古竜の主となったレイルズ・グレアム。十六歳です」

 再び騒めきが起こる。

「年齢こそ違いますが、二人とも非常に優秀であり、共に優れた精霊魔法使いでもあります。どうぞ皆様方の暖かなご指導を賜りますようお願い致します」

 態とらしく、一礼する皇子に、再び騒めきが起こる。



「私からも。一つ話しておこう」

 皇王が口を開き、会議室は水を打ったように静まりかえった。

「カウリ・シュタインベルグについては、一の郭に銀鱗の館を授けた。そこに奥方と共に住む事になる」

 何人かが息を飲む音が聞こえる。

 父の家を継いでいないカウリは、正式な竜騎士となれば希望すれば家を起こす事が出来る。一の郭に屋敷を賜るというのは、それを許可すると言うのと同じなのだ。

「そして、レイルズ・グレアムについてだが」

 皇王は、ここでわざと一度口を噤んだ。

 周りが息を飲んで次の言葉を待つ。

「ようやく成人したばかりの彼の後見人には、我が妻であるマティルダがなる事となった」

 その言葉に大きなどよめきが沸き起こった。

「古竜の主だからな。当然であろう」

 その言葉に、あちこちから感心するような呟きが聞こえた。しかし、レイルズに取り入る事を考えていた何人かは悔しげに小さく舌打ちをしていた。

 そんな彼らの反応に満足気に笑った皇王は、会議室を見渡して頷き、アルス皇子に目配せをした。

 皇子が後ろに控えていた第四部隊の兵士に合図を送ると、その兵士がすぐにシルフに何かを命令した。



 ノックの音がして、ゆっくりと会議室の大きな扉が開かれる。

 全員が無言で注目する中、そこに立っていたのは、直立したカウリとレイルズの二人だった。

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