二人の後見人
三の月もあと数日で終わるその日、午前中の勤めを終えて用意された昼食を頂いたニーカとクラウディアは、午後からの担当箇所である倉庫へ向かった。
定期的に業者からまとめて届けられる蝋燭を数えて、それぞれ場所ごとに決められた数を数えて箱に入れて準備しておくのは、巫女達の大切な裏方の仕事の一つでもある。
早速箱を開けて中身を確認し、蝋燭の長さを専用の道具で確認してから、二人はせっせと蝋燭を数えて、目の前に並べた箱に入れて行った。
振り分けた蝋燭の入った小箱は、これも決められた棚に置いておく。すると各祭壇の担当の人達がそこから必要な長さの蝋燭の入った箱を持って行くのだ。
「あ、短いのも少なくなってるわね。これが終わったら数えてしまいましょう」
棚に数えた蝋燭の入った箱を並べていたニーカが、出来上がった在庫を確認して少なくなっているものを見つけた。
「ええと、短い方ならこっちの箱ね。あら? 在庫が無いわ」
長さごとに積まれている蝋燭の大箱は、その短いサイズだけが在庫が無かったのだ。
「品切れ? 困るわね。ちょっと確認して来るわ」
空箱を並べていたニーカが振り返ってそう言うと、止める間も無く倉庫を出て行った。
「じゃあ、その間にこっちを揃えておきましょう」
積み上がっている、蝋燭を入れる空箱の山を見て、クラウディアは小さなため息を一つ吐くと、空箱を大きさ別に仕分けして、綺麗にもう一度積み上げていった。
こうしておけば危なくないし、他の人たちが蝋燭を数える時にも楽になるだろう。
「ディア、夕方にならないと短いほうの蝋燭の配達が来ないんですって。だから先にこっちをやってくれってさ」
戻ってきたニーカが指差しているのは、祭壇に灯す大型の蝋燭の入った箱だ。
「荷下ろしに、神官見習いの人が手伝いに来てくれるから、倉庫で待っていなさいってさ」
別の棚に並んだ、大きな木箱を取り出すニーカを見て、クラウディアも慌ててそれを取り出すのを手伝った。
「お手伝いに参りました」
まだ若い神官見習いの若者が二人、年配の僧侶に連れられて倉庫にやってきたのはそれからすぐ後の事だ。
手伝ってもらって降ろした箱に入っていた大型の蝋燭には、一本づつ、祈りの言葉が書かれた専用の薄紙を巻いて紐でしっかりと縛るのだ。こうしておけば、薄っすらと祈りの言葉が蝋燭に移り、火を灯した時に文字が浮かび上がって見えるのだ。
「いつも思うけれど、これって本当に綺麗に書かれているわね。私には絶対に書けない文字だわ」
それは、転写文字と呼ばれていて、薄紙から蝋燭に移した時に正しく見えるように、全ての文字が鏡に写したように反対向きに書かれている逆さ文字なのだ。
「この文字は確かに誰にでも書ける文字ではありませんね。神殿でも転写文字を書ける人は限られておりますよ」
「見習い期間中に、一度やらされるのですが、酷い出来でしたね」
二人が作る紙を巻いた大きな蝋燭を、一本ずつ専用の箱に入れながら神官見習いの二人がそう言って笑っている。
「酷い出来でも、転写文字が書けたのなら凄いです。私なんか、この国へ来て初めてラディナ文字を間違わずに全部書けるようになったのよ。それどころか、ラトゥカナ文字なんて……そんな文字が存在している事すら知らなかったわ」
「ニーカ様はタガルノのご出身だそうですね。彼の国でも精霊王の神殿にいたのではないのですか?」
ニーカがタガルノから亡命してきたものである事は知られている。だが詳しい事情を知らない見習い達の無邪気な質問に、クラウディアは密かに慌てたが、逆にニーカは平然としていた。
「私は元々農場で働いていたの。とても貧しい生活だったわ。だけど、その後別の場所へ移動させられて、その近くにあった竜舎のお掃除も手伝っていたのよ。あの国では、本当の信仰心を持つ人は少ないと思うわ。精霊王への祈りなんて、それこそ悪態を吐く時の言葉ぐらいしか聞いた事がないわよ」
「そ、それは……」
驚きに絶句する見習い二人に、ニーカはにっこりと笑った。
「私はこの国へ来られて幸せよ。私がこれから先どうなるのかなんて分からないけれど、何があっても、この国なら大丈夫だって、素直にそう思えるわ」
照れたように笑ったニーカの言葉に、二人の見習い達は笑顔で頷き、それぞれ精霊王への祈りの言葉を口にしたのだった。
在庫のある蝋燭の整理は一通り片付いたので、一旦その場は撤収して神官見習い二人は帰っていった。
「お疲れ様でした。少し早いですが、一旦私達も戻りましょう」
年配の僧侶の言葉に、二人は元気に返事をして倉庫を後にしたのだった。
「あら? どうしたのかしら」
一旦戻ってきた事務所は、妙にざわついていて落ち着きが無い。何かあったみたいだ。
「ああ、戻ってまいりました」
二人を見た僧侶が慌てたようにそう言い、立ち上がってこっちへ走ってきた。
「二人共、今すぐ身支度を整えて応接室へ行きなさい。ほら、襟飾りが歪んでるわ」
何故か、数人がかりで寄ってたかってあちこち触られて、あっという間に髪まで梳かされる。
驚きに動けない二人を見て、にっこり笑った僧侶達は大きく頷いた。
「これでよろしい。では行きなさい」
背中を叩いて押し出すようにして、廊下へ連れていかれた二人は、何が何だか訳がわからないうちに応接室の前まで来てしまった。
「あの、いったい何事でございますか?」
連れてきてくれたのは、女神の神殿でも上位の僧侶だ。
「正式に貴方達二人の後見人になってくださっても良いと、そう仰ってくださる貴族の方がお見えです。その意味が分かりますね」
身寄りのない二人にとって貴族が後見人についてくれるという事は、この国ではその貴族と同等の身分を保証され、城への自由な出入りも認められる事を意味する。
当然、そう簡単に身寄りもない者の後見人になってくれる方などいる訳も無く、例えば娘のいない家に入り将来的には還俗してどこかの貴族に娘として嫁いだり、男性の場合は同じく還俗して跡継ぎとして家に入るなど、なんらかの引き換え条件を提示されるのが普通だった。
「アンセル様、ですが私は……」
戸惑うニーカに、アンセルと呼ばれた正一位の僧侶はにっこりと笑ってニーカの腕を取った。
「大丈夫ですよ。二人の事情を全て知った上で後見人を申し出て下さったのです。この国で、あの方以上の後見人はいません。貴方達は幸せ者です」
驚きに眼を見張る二人にもう一度笑いかけたアンセル僧侶は、小さく深呼吸をして扉をノックした。
「クラウディアとニーカを連れてまいりました」
「どうぞ、公爵様がお待ちですよ」
扉を開けてくれたのも、同じく正一位の僧侶の資格を持つポルタ僧侶だったのだ。
戸惑いつつ、アンセル僧侶に続いて中に入った二人が見たのは、やや白髪混じりのがっしりとした体格の男性だった。
そこにいたのは、ルークの父であるディレント公爵その人だったのだ。
「どうした。座りなさい」
立っていた公爵がにっこり笑ってソファーに座り、向かい側のソファーを示す。
「し、失礼します」
ギクシャクとした動きで、二人がソファーに並んで座る。
「改めて名乗らせてもらおう。ヒューイット・ラスター・ディレントだ。公爵の位を拝領しておる」
「クラウディア・サナティオでございます。お目にかかれて光栄でございます。ディレント公爵閣下」
立ち上がって握った両手を額に当てたクラウディアは、跪いて深々と頭を下げた。
「ニカノール・リベルタスでございます。お目にかかれて光栄でございます。ディレント公爵閣下」
同じく、両手を額に当て、跪いて深々と頭を下げたニーカが名乗る。
「うむ、よろしい。構わぬから顔を上げなさい」
優しい言葉に、もう一度礼をしてから、二人は手を離して立ち上がりソファーに座りなおした。
「話は聞いたかと思うが、其方達二人の後見人を申し出た。今、神殿内部の手続きを取ってもらっておるところだから、近日中には手続きも終わろう。改めてよろしくな」
しかし、降って湧いたこの幸運な出来事に、二人は戸惑いを隠せなかった。
「あの……このような事をお聞きするのは大変失礼かと存じますが……」
「何故、突然後見人を申し出たのか理由を聞きたかろう」
当然の事のように言われて、二人は揃って絶句した。今まさに、その事を無礼を覚悟で聞こうと思っていたのだ。
「理由はいくつかあるが、まず言っておこう。其方達を神殿から引き離すつもりは無い。無理に何処かへ嫁にやったりはしないから安心しなさい」
一番聞きたかった言葉を真っ先に聞かされて、安堵した二人の肩から力が抜ける。
おそらく一番聞きたかったであろう自分の言葉に、分かりやすく安心した様子の彼女達を見て、公爵は密かに笑いを噛み殺していた。
「一番の理由は、頼まれたからだ」
「頼まれた? あの、一体どなたが私たちの事を公爵閣下に頼むと言うのでしょうか?」
今の二人が思いつく人物は一人しかいないが、まさか、レイルズにそのような発想は無いだろう。となると、もう二人には誰なのか全く思いつかなかった。
もしも、見知らぬ誰かの思惑に乗って、迂闊にこの話を受けた場合、万が一にもレイルズや竜騎士隊に迷惑をかけるようなことがあってはならない。
貴族間の力関係には全く無知な二人が慎重になるのは、当たり前だった。
「息子から頼まれたのだ。其方達を貴族どもの勝手な思惑から守ってやってくれとな」
「ご子息……!」
ディレント公爵の息子が誰かに思い至ったクラウディアは、思わず立ち上がって改めて両手を握って額に当てて跪いた。
それを見たニーカも、訳がわからないまでも同じように改めて跪く。
「まさか、まさかルーク様が、私達の事をそれ程に考えていて下さったなんて。ルーク様に心からの感謝を」
小さく呟いたクラウディアの言葉を聞いたニーカも、俯いたまま驚きに眼を見張る。
「そう改まらずとも良い。顔を上げなさい」
戸惑いつつも顔を上げてソファーに座りなおした二人を見て、公爵は満足気に頷いた。
「もう間も無く正式な竜騎士見習いとして紹介されるレイルズの想い人であり、光の精霊魔法の使い手であるクラウディア。そして、竜の主であり、竜と共にタガルノから来たニーカ。確かに其方達を誰の後見も無いままに放置は出来ぬ。神殿の上層部は私を引き込んだと狂喜乱舞するであろうが、そのような些細な事はどうでも良い。良いな、其方達には私が味方についた。もしも何かあったら、いつなりと私を頼りなさい。それから言うておこう。私が其方達に求めるのは、真摯であれ。嘘をつかず正直であれ。そして貞淑であれ。女神への信仰を守り、日々の勤めを疎かにせぬ事。それだけだ」
それは彼女達にとっては至極当然の当たり前の事だ。
「ですが……」
「まあ、もしも其方達が誰かを好きになって本気で還俗したいと思う日が来たら、その時は必ず私に相談しなさい。相手によっては良いように計らってやろう程にな」
何もかも分かってる公爵の言葉に、クラウディアは呆気にとられて返事をする事も出来なかった。
「公爵様、ありがとうございます。本当に、本当にありがとうございます!」
代わりに眼を輝かせたニーカがそう言って、もう一度跪こうとして笑った公爵に止められた。
「私には娘がいないのでな。今更こんな可愛い娘が二人も出来て嬉しいぞ。其方達さえ良ければ、私の事を父と思うてくれて良いのだからな。今日はこれを渡しに来たのだ。肌身離さず身に付けていなさい」
そう言って公爵は、自分の懐から小さな小箱を二つ取り出した。
「ありがとうございます……」
半ば呆然とそれを受け取り、無意識にお礼を言う二人に、公爵はにっこりと笑った。
「サイズは合うておる筈じゃが、もしも合わないようならすぐに直させる。嵌めてみなさい」
無言で頷いた二人が開いたその小箱の中には、公爵家の紋章である、交差する剣と盾の前に立つ、竜の尾を持つ牛の紋章が刻まれていた。
二人の左手の中指には、それぞれ精霊の指輪が嵌っている。黙って頷いた二人は、右手の中指にその指輪をそれぞれしっかりと嵌めた。
「ありがとうございます。ぴったりです」
揃った嬉しそうな声に、笑顔の公爵はもう一度大きく頷いた。
「よろしい。では今日のところはこれくらいにしておこう。近々屋敷に招いてやる故、楽しみにしていなさい」
改めて跪く二人を見て、公爵は待っていた執事と共に応接室を後にしたのだった。
その後ろ姿が見えなくなるまで廊下に出て見送った二人は、半ば呆然としたままその場に立ち尽くしていたが、話を聞いて駆けつけて来た巫女達に背中を叩かれて我に返り、揃って歓声をあげて大喜びするのだった。
そんな二人を廊下に置かれた花瓶の縁に座って、満足気に見つめているブルーのシルフとスマイリーのシルフだった。
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