それぞれの想いと密かな根回し

「おはようございます。あら、二人だけ? じゃあ今日もレイルズはお休みなのね」

 自習室に顔を出したニーカの言葉に、取ってきた本を整理していたキムが顔を上げて振り返った。

「おはよう。レイルズは当分、ここへ来るのは無理なんじゃないかな?」

「おはようございます。何が無理なんですか?」

 ニーカの後ろにいたクラウディアの声に、同じく顔を上げたマークが、彼女が抱えていた山積みになった本の山を片手で受け取って、机に置くのを手伝った。

「レイルズがね、多分また当分来られないぞ、って話」

「レイが? またお城で何か有るんですか?」

 今月は特に何も大きな行事は無かったと思っていたが、竜騎士隊では何かあるのだろうか。

 不思議そうな二人を見て、マークとキムは苦笑いしている。

「来月の一日。つまりもう来週だけどね。毎月月初めにお城の大会議室で陛下も参加なさる会議があるんだよ。その月の行事の確認とか、そんな事を話すんだけど、その会議で竜騎士見習いの二人を、会議に参加している全員に正式に紹介するのさ。これがいわば竜騎士見習いとしての正式な第一歩。その日の夜には、同じく王妃様や皇族方も参加なさる大きな夜会があるから、二人も当然そこに出て、改めて紹介される。これで主だった貴族や軍人の偉い人達、それから社交界の女性陣にも正式に紹介されて、いわば社交が解禁される訳。まあ、そうなったら当分の間は寝る暇もないくらいに忙しいよ。その日から夜会の招待状は山積みになるって聞くからね」

「ええ、じゃあもう正式に披露されるって事なんですね」

 ニーカの声に、二人は頷いた。

「カウリはそこから約半年、レイルズは約一年間の見習い期間を経て、正式な竜騎士となるんだよ。きっと半年や一年なんてあっと言う間だろうさ」

「あれ? カウリとレイルズでは見習い期間が違うのね。どうして?」

 ニーカの質問に、キムは未成年であるレイルズと、既に社会人としての豊富な経験を持つカウリとでは、同じ見習いでも扱いが違う事を説明した。

 苦笑いして詳しく教えてくれたキムの言葉に、ニーカは感心したように時折相槌を打ちながら、何度も頷いていたのだった。

 そしてクラウディアは、その間中ずっと黙ったまま俯いて自分の足元を見つめていた。



 自分に出来る事は、もう彼を信じて会える日を待つだけだ。

 そして、彼に何があろうとも、絶対に生涯かけて彼一人を愛するのだと誓ったのだ。その心に偽りはない。

 だけど、あの日……応接室でやや赤い顔をして笑顔で見つめ合って話をしているクローディアとレイルズを見ただけで、彼女は激しく動揺したのだ。

 それは単なる勘違いだったが、恐らくあんな事はこれから先いくらでも起こるだろう。



 これからの社交界では、貴族の綺麗な娘達がこぞって彼をダンスの相手に指名するだろう。もしかしたら、年齢的に彼と釣り合う女性の家族から、個人的なお茶会やお出掛けに誘われるかもしれない。

 もしもそんな中で、自分よりももっと綺麗で優しい人がいたら、そして彼と意気投合したとしたら、レイは自分に竜騎士の花束を渡した事を後悔する日が来るかもしれない。

 それどころか、彼と気の合う貴族の娘さんとの縁談がもしも持ち込まれたら……。



 いずれ来るであろう最悪の日があまりにもはっきりと想像出来てしまい、もうクラウディアの頭の中は、最悪の展開で一杯になってしまった。



「ディア? どうしたの?」

「……私は何の後ろ盾も持たないただの巫女で、レイルズと釣り合う所なんて……年齢以外一つも無いわ……それだって、私の方が、年上だし……」

 急にしょげ返って泣きそうになった彼女を見て、マークとキムは二人揃って何か言いかけたが果たせず、慌てて顔を見合わせた。

 お互いの目を見て必死で無言のやり取りをする。

 しかし、様々な事情が分かる彼らは、無責任に彼女を慰めるような言葉を言ってやる事も出来なかった。



 代わりに口を開いたのは、呆れたように腰に手を当てたニーカだった。



「また始まった。言ったでしょう。レイルズを信じてやれって。大丈夫よ。彼は貴女にベタ惚れだからね。ねえ、そう思うわよね」

 振り返ったニーカにそう言われて、二人は無言で何度も頷いた。

 その振り返ったニーカの目が思い切り、反論は許さないわよ! と言っているのに、懸命な彼らは気付いていたからだ。



 なんとか落ち着いたクラウディアは、何事もなかったかのように平然と勉強を始め、それを見たマークとキムも、肩を竦めてそれぞれ自分の勉強を始めた。

 しばらくは、皆無言で部屋に聞こえるのはペンの音と時折ページをめくる音だけだった。

「だけど、レイルズの奴、いつまでここに通えるんだろうな」

 不意に呟いたマークの言葉に、文字を書いていたクラウディアのペンが止まる。

「ルーク様も、ここに通っておられたのよね。ルーク様はどうだったのかしら?」

 ニーカの呟きに、キムが言いにくそうに答えた。

「俺も詳しくは知らないけど、確かルーク様は、竜騎士見習いになってからは、もう訓練所には来られていなかった筈だよ。第一、正式に紹介されてしまったら、恐らくここへ来る時間的余裕は無いと思うよ……」

「そんなの当然よ。竜騎士様になられるのに、そんないつまでも……遊んでなんかいられないわ……」

「ええ、ここには僕、勉強しに来てるつもりなんだけどなあ」

 突然聞こえたその声に、クラウディアだけでなく、マークやキム、ニーカも飛び上がった。

「えへへ、驚かせてごめんね。今日は天文学の授業のある日だったから、どうしても来たかったんだ」

 照れたように笑って話すレイの顔を、クラウディアはまともに見る事が出来なかった。

「ねえ、ディーディー。大丈夫だよ。今までみたいには来られないけど、天文学の授業は希望すれば受けられるんだって。それから兵法と用兵。あと医学と薬学の授業も、まだしばらくカウリと二人で受ける事になってるからね。ね、ここには勉強しに来てるんだよ」

 最後の一言は笑いながら彼女の顔を覗き込むようにして言われて、クラウディアはもう泣いたらいいのか笑ったらいいのか分からなくなってしまった。

「それに、ニーカが本部のエイベル様の祭壇のお掃除と蝋燭の守りに来る時に、時間があれば一緒に来てよ。構わないってヴィゴが言ってたよ。神殿の許可は取ってるって」

 目を輝かせるレイの言葉に、マークとキムは口笛を吹き、ニーカは笑顔で何度も大きく頷いていたのだった。

「良いの? 私なんかで……」

「言ったよね、僕は君が良いんだって」

 顔を上げて見つめ合った二人は無言になる。

「ちょっと追加の本を探してこようっと」

「あ、待って。俺も行くよ」

「それなら私も行くわ。ちょっと数学で教えて欲しいのがあるのよ」

 キムの言葉にマークが同意し、ニーカまでが笑ってそう言って、さっさと三人は自習室を出ていてしまったのだ。

「ええ……行っちゃったよ」

 困ったように呟いたレイだったが、彼女の手をしっかりと握って、そして彼女の顔を正面から見つめた。

「僕は、君が好きなんです。他の事は、どう思われても構わない。だけどこれだけは疑わないで。僕は、君が良い。君が良いんです」

 はっきりと言い聞かせるように言うレイの言葉をクラウディアは黙って聞いていた。

 はっきり言ってとても嬉しい。嬉しくて声も無いクラウディアの顔に、レイはそっと自分の顔を近付ける。目を閉じてくれた彼女のその花のような唇に、レイはそっとキスを落としたのだった。



 扉の外では、それぞれに適当な本を抱えた三人が、苦笑いして顔を見合わせて、もう一度本を見に行ったのだった。






 一方、その日ルークは、城で何人かの貴族達に会った後、城にあるディレント公爵の部屋を訪れていた。

 今回は彼の方から連絡をして、時間を取って、わざわざ人払いをしてもらって会いに来たのだ。

 壮絶な殴り合いの末に和解した二人だったが、中々ゆっくり会う機会が無く実は密かに寂しがっていたディレント公爵は、連絡を聞いて大喜びで予定を全て断り言われた時間に彼の訪れを待っていた。

 約束の時間丁度に部屋にやってきたルークは、少し疲れているように見えた。

 執事がお茶の用意をして下がるまで、二人共黙って座ったままだったが、二人きりになるとルークは早速口を開いた。

「実は、父上にお願いがあって参りました。誰に頼むより、貴方が一番の適任だと思ったのでね」

 お茶を一口飲んでから、公爵は内心での頼られた喜びをかけらも出さずに平然と顔を上げた。

「ほう、改まって何事だ?」

 一つ頷いたルークの口から聞かされたその話しの内容に、公爵は無言で頷いた。

「成る程な。確かにそれは放置出来んな」

「だろう? で、どうするのが良いか考えたんだけど、何度考えてもこれしか解決方法を思いつかなかったんだよな」

 苦笑いするルークを優しい目で見た公爵は、大きく頷いた。

「彼女の話は、私も聞いていたからな。了解だ。その件、責任を持って私が引き受けてやる」

「良かった。ありがとうございます。これで一つ心配事が減りましたよ」

 ホッとしたように顔を覆ってため息を吐いたルークを見て、公爵は無言でビスケットの乗った皿を彼の前まで押しやった。

「疲れているときは、甘いものでも食べておけ。竜騎士が草臥れた顔をしていて何とする、しっかりせんか」

「頂きます。ああ、甘くて美味しい」

 チョコチップの入った分厚いビスケットを齧ったルークは、誤魔化すようにそう言って笑っている。

「準備は順調か? 問題が有るなら、解決出来る奴に早めに回せ」

 そんなルークを心配しつつも素直になれない公爵が、遠回しに自分をもっと頼れと言う。

 そんな公爵の心の内を全部わかっているルークは、小さく吹き出してから公爵を見て、無言で飲みかけのカップを上げた。

「感謝してるよ、父上。色々と裏で動いてくれて有難うな」

「はて、なんの事だか分からんな」

 しらばっくれた公爵の物言いに、ルークはもう一度吹き出してから残ったお茶を飲み干した。

「ここのビスケット、美味いね。今度本部に差し入れてくれよ。これ、絶対レイルズが喜ぶよ」

「ほう、それは良い事を聞いたな。了解だ。では、早速手配しておこう」

「楽しみにしてるよ。それじゃあ時間を取らせて悪かったね」

「何だ、もう戻るのか?」

 公爵の席の横に、見事な陣取り盤が置いてあるのに気付いたルークは、笑いを堪えられなかった。

「じゃあ、せっかくだから、名将と名高い公爵様に一手お相手をお願いしようかな」

「望むところだ。なんなら駒を落とそうか?」

 駒を落とすとは、実力に余りにも差があるもの同士が対戦するときに、強い人の女王や馬車などの強力な駒を、最初から入れずに行うことを指す言葉だ。

「さすがに、そこまでしていただく必要はないですよ」

「マイリーが、お前は中々個性的な指し方をすると言っていたからな。一度ゆっくり対戦してみたかったのだ」

 嬉々として、そんな事を言いながら陣取り盤を出す公爵を見て、もう一度笑って座り直したルークは、自分の分の駒を確認して並べ始めたのだった。




 いよいよ、その日がやってくる。

 しかし、すでに裏では様々な思惑を抱えた者達が、それぞれの立場で動き始めているのだった。

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