朝練と近づくその日

 翌朝、いつもの時間にシルフ達に起こされたレイは、ルークやカウリと一緒に久し振りの朝練に向かった。

 最近では本部での勉強も内容がどんどん具体的になった座学が殆どで、しっかり身体を動かせるのはこの朝練の時ぐらいになっている。

 ルークに一対一で相手をしてもらい、そのあとは一般兵達との乱取りに混ぜてもらってしっかりと汗を流した。

 嬉々として打ち合っているレイを、早々に離脱したカウリは床に座り込んで半ば呆れた様に見ていたのだった。

『真面目にやらんか』

 膝の上に現れたブルーのシルフにそう言われて、カウリはレイを見て、それから大きなため息を吐いた。

「十代の若者と、四十過ぎのおっさんの体力を一緒にしないでくださいよ。いやあ本当に朝から元気だね。おじさん感心するよ」

 悪びれる様子も無くそう言って笑うカウリを見て、ブルーのシルフは鼻で笑った。

『では奥方に告げ口してやろう。ご亭主が真面目に朝練をしないので困っているとな』

 座り込んでいたカウリは、ブルーのシルフのその言葉に慌てて立ち上がった。

「ちょっ、それは卑怯だぞ」

『新婚の奥方に怒られるのが嫌なら、ちょっとは真面目にやれ」

「ええ、これでも一生懸命やってるつもりなんだけどなあ」

『一生懸命の意味について、一晩語り明かす必要がありそうだな。双方の間には大いなる誤解と齟齬がある様だぞ』

 大真面目なブルーのシルフのその言葉に、カウリはまたしゃがみ込んで大笑いしている。

「分かったよ、やりゃあ良いんだろう」

 大きく伸びをして改めて身体を解すと、乱取りが一段落したレイの元へ向かった。

「休憩したら、一手お相手願えますか?」

「やるやる!」

 目を輝かせて立ち上がるレイを見て、カウリは笑って棒を構えた。



 口では文句ばかり言ってるし、駄目だ駄目だと言う割にはカウリは強い。

 本気のカウリと正面から打ち合ったら、経験と体格で勝るルークであっても、打ち負かすのは容易では無い。

 現にレイは、未だに本気のカウリに勝てた事が無い。それどころかまだ竜騎士隊の誰からも本気の一本を取れた事が無いのだ。



 最初は軽く打ち合っていたのだが、段々真剣なレイに釣られてカウリの腕にも力が入り始め、最後は本気の打ち合いになっていった。

 途中から音が変わったことに周りが気付き始め、手を止めて見入る兵士達が続出した。

 ルークも、途中からキルートと打ち合っていた手を止めて、二人並んで完全に観客になっていた。



「どうして、こんなに、出来るのに、駄目だ、なんて、言うん、だ、よ!」

「いやあ、だっておじさんもう歳だし」

 レイは息を切らせて必死で打ち込んでいるのだが、のらりくらりと躱されて、どうにも決めの一手が無いまま時間だけが過ぎていく。

 残り時間を気にして、いつもなら焦って隙が出るレイだったが、今日は冷静だった。

 先程から、平然として見えるカウリが、実は少し息を切らしているのに気付いて、いける、と判断したのだ。

 そこからレイは、一気に攻勢に出た。



 手が変わったのに気付いたカウリの顔色が変わる。



 打っては離れ、また打ち合う。何度かの攻防の末にカウリがレイの棒を絡め取りに来た。

「これを待ってたんだよ!」

 叫んだレイは、以前ヴィゴがやった様に、絡みに来たカウリの腕ごと捕まえて一気に投げに行ったのだ。

「ちょっ! 無茶するなって!」

 吹っ飛ばされたカウリが、空中で棒を手放し一回転して地面に受け身を取って落ちる。そのまま二回転がって立ち上がったが、すぐに膝をついてしゃがみ込んだ。

「お前、何しやがる。チェルシーを新婚早々寡婦にする気かよ!」

 突然の投げ技に驚いて声もなかった見物人一同は、カウリのその叫びに揃って吹き出し大爆笑になった。




「ねえ、今のは一本で良いよね?」

 ひとしきり笑い合ったあと、向かい合って一礼したレイは、振り返ってルークにそう尋ねた。

「まあそうだな。今のは一本取ったと言っていいと思うぞ。中々見事な投げだったな」

 まだ笑っているルークにそう言われて、レイは大喜びでその場で大きく飛び跳ねた。

「やった! カウリから一本取ったぞ!」

「お見事。確かに今のは俺の負けだよ」

 拾った棒に寄り掛かって手を叩くカウリにそう言われて、レイは満面の笑みになった。

「そっか、初めての一本だな」

 ルークの言葉に、レイは大きく頷いたのだった。




 そのあと部屋に戻って軽く湯を使っていつもの竜騎士見習いの服に着替えたレイは、ルークやカウリ、ラスティ達と一緒に皆で食堂へ向かった。

「あ、おはようございます」

 そこには若竜三人組とヴィゴがいて、レイは食事をしながら今日のカウリから一本取った話をして、皆から拍手をもらったのだった。



「しばらく手合わせしていないうちに腕を上げたな。よし、近いうちに時間を取ってやるから、今度は俺から一本取ってみせろ」

 食後のお茶を飲みながらヴィゴにそんな事を言われて、レイは思わずカウリの陰に隠れた。

「ヴィゴから一本取るなんて、そんなの絶対無理だって!」

「あれ? ヴィゴから一本取るのが目標なんだろう?」

 からかう様な口調でルークにそう言って背中を突っつかれて、悲鳴を上げて椅子からずり落ちたレイだった。

 ロベリオとユージンに引っ張られて椅子に戻ったレイは、改めて目の前に座る竜騎士隊の人達を見た。

「うう、目標は確かに目標だけど……絶対一生かかっても誰にも勝てる気がしません!」

「そんな情けない事を言うな。打ち込んできてくれる日を楽しみにしているんだからな」

 笑ったヴィゴにまでそんな事を言われて、もう一度思い切り首を振ったレイは、隣に座ったルークを見た。

「ルークはヴィゴから一本取った事ってある?」

 その質問に、ルークは嫌そうにレイを見た。

「ええ、それを俺に聞くか?」

「やっぱり無理?」

「まあ、無くはないけど、俺の場合はあまり自慢出来る勝ち方じゃないからね」

 意味が分からず目を瞬いていると、苦笑いしたルークは棒を振る振りをした。

「一応、俺の方が竜騎士になったのは早いんだよ。だけど、その最初の頃でさえ、竜騎士隊でヴィゴと対等に打ち合えるのはマイリーくらいだったよ。ヴィゴが竜騎士になってすぐの頃に、手合わせして一度だけ一対一で勝った事があるな。後にも先にもヴィゴに勝てたのはそれ一度きりだよ」

「どうやって勝ったか聞いて良い?」

 しかし、ルークはレイの無邪気なその質問に笑って首を振った。

「騙し討ちみたいなもんだからね。はっきり言って、あれは騎士の勝ち方じゃない」

「どう言う事?」

 ルークはヴィゴを見て、笑ってもう一度首を振った。

「今度見せてやるよ。隠し打ち、って俺は呼んでるんだけど、手合わせして打ち合った直後に、籠手を嵌めた肘を使って相手の棒を弾くんだよ。うまく決まれば衝撃で相手は棒をとり落とす。そうなったらもう勝負は決まりだろう? 俺は、要は相手を負かせば良いと思っていた。だけど、あとでマイリーに叱られたよ。勝負としては勝ちだが、あれは皆の規範となるべき竜騎士の戦い方じゃないってね」

 驚きに目を瞬くレイに、ルークは苦笑いして彼の背中を叩いた。

「まあ、実戦になればそんな事は言っていられない。命のやり取りをするのに、卑怯も何も無いだろうけどさ。それでも、やっぱり騎士の戦い方ってものがあってね。言ってみれば、騙し討ちみたいな卑怯な手は恥ずべき行為とされている。俺は今でも正直言うと、何を寝言を抜かしてるんだ? って言いたくなる時があるけどな」

 肩を竦めるルークの言葉に、ヴィゴとカウリは笑っている。

「ルーク、そこは思っていても、言わないのが大人ってものだぞ」

 ヴィゴの言葉に、ルークはもう一度笑って天井を見上げた。

「あはは、確かにそうですよね。まあ、今のはレイルズの年齢に合わせたって事にしておいてください」

「それなら仕方ないな」

「ですね。それなら仕方ない」

 ヴィゴとカウリに笑ってそう言われて、残りのお茶を飲み干したレイはヴィゴ達を見た。

「今、物凄く遠回しに馬鹿にされた様な気がしたのは、僕の気のせいじゃ無いよね?」

「おお、言う様になったな」

 ルークが笑ってレイの背中をもう一度思い切り叩き、またしても悲鳴を上げて机に突っ伏したのだった。





 レイはその日は一日中、苦手なダンスのレッスンの日で、ステップの確認を中心に、ヘトヘトになるまで踊り続けたのだった。

「お疲れ様です。かなり様になって来ましたよ。ですがどうしても俯きがちです。笑顔で、しっかりと顔を上げてお相手の方をリードしなくてはね」

 一旦休憩になった時に、レイはニコスから言われた事を思い出して、サヴァトワ夫人にその話をした。

「素晴らしいアドバイスですね。確かにその通りです。一応、一通りのステップが踏める様になったら近いうちに何人か呼んで順送りのダンスの練習もする予定でした。ではその時の人数をお願いして少し増やす事に致しましょう。順送りのダンスはやり方だけ覚えれば、あとは簡単ですからね。それが終わってから改めて練習致しましょう」



 順送りのダンスとは、それぞれ一列に並んだ男女が前後に移動して順番に交代しながらダンスを踊るもので、大人数で踊る際などに用いられる。

 格式のあるものでは無く、野外でのパーティーや、若い人が中心の気軽な夜会などで踊られるダンスなのだ。

「うう、お願いします」

 情けなさそうなレイに、サヴァトワ夫人は嬉しそうに頷くのだった、


『主様はダンスが苦手』

『だけど、頑張る頑張る』

『我らも応援』

『我らも応援』


 いつの間にか、レイの頭上には、呼びもしないのに何人ものシルフ達が現れて、楽しそうにダンスを踊る真似をしているのだった。

 そんな彼女達をレイは見上げて照れた様に笑うのだった。




 いよいよ、見習い二人にとっての来たるべき日が近付いて来ている。

 学ぶべき事もどんどん詳しく本格的になっていき、精霊魔法訓練所には、行けない日が続いたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る